第38話 あたりまえのこと(2)
隣の車両に行ってしまったアキラと入れ違いに、カンタービレが僕の正面に座った。立ち上がろうとする僕を手で制する。
「まあまあ、任せておいてあげて。……あなたのために何かしてあげたいのよ、きっと」
「あ、はい……。…………ええ、と、その……さっきは挨拶もちゃんとできずにごめんなさい。薬もありがとうございます……」
「いいのよ。薬を持っていたのはアキラくんだし、それをアキラくんに託したのはジョコーソ。わたしはたまたまその話を聞いて、薬があるのを知っていただけ」
「…………」
「それに、わたしもあなたが生きていてよかったと思っているから」
「……ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ、もう。全部終わったこと。パルティトゥーラの人間は終わったことは気にしない性質なの。それより、ひとつ聞いてもいいかしら」
「…………ッ、はい」
「この旅の途中で、あなたアマービレに会った?」
「………………アマービレ所長に?」
てっきり僕がアキラを殺したときの状況を詳しく聞かれるのだと思っていたら、想定外の質問が飛んできた。
「ちょうどあなたと同じタイミングでアマービレも出張だって言って急にいなくなっちゃってね。昨日ようやく本人から検定所に連絡があって無事は確認できたからそれはいいんだけど……。……もしあなたに処分場に行くよう唆したのがあの子だったら、研究所所長として厳しく追求しておかないといけないから」
「…………」
『――その行き場のない苦しみが、あなたに分かるんですの!?』
…………彼女の言葉は、厳しかったけれど、それでも間違っていなかったと思う。
あのときの僕の視界はかなり狭くなっていた。人から真実を知らされる前に自分で伝えるしかない、真実を伝えた以上もう一緒にいられない、罪を償う方法がない以上死ぬしかない――。
……アキラの、周りの人の心にももっと気を配るべきだった。それをせずにただ逃げ出した僕は、叱られて当然だった。
「……昨日電車の中で会ったよ。でも、彼女は僕に『家に帰れ』って言ったんだ。僕は僕だけの意思で処分場に向かってたんだ。彼女はそれをうまく読んで先回りしてただけ」
「…………でも、それならその時点でわたしに連絡しなかったのは一体……」
「たぶん僕が、人から頼まれて死体を運んでいたからだと思う。僕がその時点で捕まっていたらおばあさんが放置されることになっただろうし……」
「え、死体を運んで……?ど、どういうこと?あの、もうちょっと落ち着いてからでいいから、後で詳しく聞かせて……!」
ほどなくしてパンをたくさん抱えたアキラが戻ってきた。……無料じゃないパンもある気がする。電車の揺れで落とさないように顎まで使って支えている様子がなんだか少しいじらしく思えた。
「多すぎよアキラくん!」
「あ、あはは。俺もおなかすいてて……見たことないパンもあったから美味しそうだなってつい……」
「大丈夫だよ、これから二日はこの電車に乗ってるんだから。二日もあれば食べ切れるよ」
「じゃあ日持ちしないものから食べましょ。わたし生クリームサンドもらうわね」
「あっそれ狙ってたのに……。まあいいや、また買ってこよう。ハルトは?」
「……ええと……」
どれにしようと考えるとき、ほとんど無意識に『二人が選ばなさそうなもの』を探していた。やっぱり味なしパンかなと思って手を出して……よく見たら味なしパンがないことに気づいた。
……何かが挟まったり、入ったりしているパンばかりだ。サゴ芋のサラダが挟んであるパンもある。
「ハルトの食べたいやつなかった?」
「あ、ええっと……。その、いろいろあるから迷っちゃって。どれにしようか……」
「それもそっか、ハルトが好きそうなやつ選んできたからさ!」
…………よくよく見ると、確かにその多くが僕が食卓に出したものだった。燻製肉のサンドイッチ、サゴ芋サラダ、甘く煮たトーゾ豆を練り込んだ豆パン……。
「……僕のために選んでくれたの?」
「もちろん。だってハルトに食べてもらうためなんだからさ」
アキラはさも当然のようにそう言ってくれた。
「……ありがとう」
お礼を言って、豆パンを取る。アキラも燻製肉のサンドイッチを取って、三人で一緒に食べた。
…………豆パンなんてずいぶん久しぶりに食べた気がする。トーゾ豆を甘く煮るとこんな味になるんだ……。
「…………」
……おいしい。知らなかった味がする。……優しくて、甘くて、ちょっとだけ豆の苦味があって…………。
「…………、……ッ」
「……ハルト……」
視界がにじむ。……僕、泣いている?……どうして?
「大丈夫?詰まっちゃった?ほらお水飲んで」
「カンタービレ、たぶん違……」
「ううん、……喉も渇いてたんだ、いただきます」
差し出されたコップの水を飲んで、もう一口パンを食べて。水を飲んで。
気づいたらパンはなくなっていた。もう一つ食べていいか聞いて、アキラが頷いたから、今度はピクルスの挟まったサンドイッチを口に運ぶ。
「豆に瓜に……意外と渋好みなのね……」
「ハルトは結構野菜食べるほうなんだよ」
「野菜をしっかり摂る成人男子……。三食ハンバーガーしか食べてないペザンテにも見習わせないと……」
「ハンバーガーにも野菜入ってるからそれはいいじゃ……いや、三食ハンバーガーは普通にバランス悪いな……?」
「でしょ?いろいろ好き嫌いせず食べなさいって言ってるのに……」
「あはは……。……ハルト、おいしい?」
「……うん」
……ああ、お腹空いてて、それで元気が出なかった部分もあったんだなって、食べながらようやく気がついた。ほんの少し、気分が前を向く。よかったと自分ごとのように笑ってくれるアキラを見て、僕も嬉しくなる。
……アキラが僕にくれるその当たり前のような優しさが、一体何度、僕を助けてくれただろう。
僕がそれに応えられるのか、これからまたうまくやっていけるのか、死にたくなったり逃げたくなったりしないか、わからないけど。
――でも、これだけは言える。
やっぱり僕はアキラが…………好きなんだって。
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