第36話 ともしびよ、どうか消えないで(3)

――1時間後。

俺とハルトは地下鉄のホームにある椅子に並んで座っていた。カンタービレは少し離れたところで荷物番をしながら俺達を見守っている。

「……落ち着いた?」

「うん。やっぱりこの薬はすごいね。怖いくらいに効いて……。アキラこそ、もう身体は大丈夫?」

「大丈夫。意識ぶっ飛んだときはどうなるかと思ったけど、もう平気」

「よかった……」

あのあと俺はもう一回気を失ってしまったから、2人から聞いた話なのだけど。

俺がまた気を失ってしまってハルトがパニックになりかけた頃にカンタービレが追いついてきて、俺の上着からハルトの薬を取り出して強引に飲ませたらしい。

それで少し落ち着いたハルトと一緒に俺を地下鉄まで運んで、俺が目を覚まして、2人で水を飲んで一息ついて、今に至る。

「落ち着いたなら、話をさ、したいんだけど」

「…………うん」

「……正直、何から話せばいいのか……言いたいことも、聞きたいこともたくさんあってさ……」

「何から話してもらってもいいよ。……アキラから何を言われても受け止めるって、決めたから」

「ハルト……」

「…………なんて言って、薬が効いている間しか決まってない覚悟なんだけどね。……ごめんね、僕、本当はぜんぜん勇士なんかじゃないんだ。……本当は、薬に頼らないと君のことを見ることすらできないくらい、臆病で、弱くて……」

「…………」

ハルトの手が震えている。俺を見ていたはずの瞳は、よくよく見ると少しズレた場所、俺の喉元辺りを見ている。薬を飲んでもこの状態ってことは、今日までの数日は、一体どうやって……。

「……ごめん、僕の話はいいんだ。何でも言って。何でも聞くし、答えるから」

「うん。……でも、つらくなったり、話をやめてほしくなったらすぐに教えてほしい。……俺は、ハルトを苦しめたくて話をするわけじゃないから」

「…………うん」

考えていた段取りを思い出す。うん。そう、まずは。

「……ハルトの魂の記録を見たんだ」

「…………うん」

「それで、わかった。……ハルトが俺を殺したって言葉の意味。……ハルトの自殺に俺が巻き込まれたから、なんだよな?」

「……そうだよ。君の通っていた塾の隣に、僕の勤めていた会社があってね。屋上は喫煙所として常に解放されていたんだ。……一度先輩に連れられて煙草を吸ったときにね、ああ、ここ、ここから落ちたら絶対に死ねるだろうなって……思ってた」

「…………そんなことはないってわかってて聞くけど。……俺が下にいることに気づいて飛び降りたんじゃないよな?」

「それは、もちろん。……人がいることに気づいてたらきっと躊躇ったと思う。……いや、どうかな。わからないや。あのときの僕に、周りを見る余裕なんて少しもなかったから。そもそもまず気づくことができなかったかもしれない」

「…………」

「……君がいるのに気づいたのは、飛び降りた直後だ。死ぬ間際に、ぽかんとしながら僕を見上げていた君と目が合ったのを覚えてるよ」

「…………そっか」

「…………」

「……ちゃんと聞けてよかった。ありがとう」

「お礼を言われるようなことじゃ……」

「ううん、話してもらえてよかった。……何も知らないままでは、いたくなかったから」

「…………そうだね、ちゃんと説明してなかった。ごめんね」

「…………」

「…………」

「……あのさ!」

うん、とハルトは穏やかに頷いた。でも笑ってはいない。再会してから、ハルトはまだ一度も笑ってない。

それがつらくて、いやで。……なんとかしたいと思って、言葉を探す。

「俺は、……正直ショックだったけど、でも、……だからって、ハルトに死んでほしくないんだ」

「……うん」

「むしろ前の人生がつらかったなら、ここではなるべく楽しく過ごして欲しいっていうか……」

「…………」

「だから……。……だからさ……」

うつむき気味のハルトの顔を両手で挟み込んで、ちょっと強引に俺を見させる。濃茶の瞳が俺の顔を映してわずかに揺れた。

「――一緒に帰ろう!俺達の家に!」

「…………え……?」

「俺は、……っ、ハルトさえよければ、……また一緒にあの家で、今まで通りに暮らしたい……!」

「…………なにを、言っているの?」

「ハルト?」

「そん、……そんなこと、でき…………できないよ」

震える声。嬉しいというよりも怯えている瞳。それを見て、手を離してしまった。

「…………っ、……やっぱり、俺といると……辛い?」

「そ、そうじゃない!そうじゃないよ、……辛いのは君のほうだよ。だって、……自分を殺したやつと、一緒に暮らすなんて、そんなの……」

「今更1人にされるほうが嫌だ!!」

……ああ、だめだ。やっぱり俺に言葉を選ぶなんてちゃんとした行為はできそうにない。

わがままだけは言わないようにしようって思ってたのに。

――だって、俺がわがままを言うと。

「あ…………そう、……そうだね。ご飯を作ったり、洗濯をしたり……そういうこともしないといけないしね」

……ハルトはそれを、俺のために叶えようとしてしまう。

自分の心を壊してでも。

「そうじゃないよ。そうじゃない…………。ハルトを便利な召使いみたいに扱いたいんじゃない……友達でいたいんだ、今までみたいに、これからもずっと……」

「…………僕が言うのもなんだけど、アキラは他にも友達を作ったほうがいいよ。一緒にいて楽しい相手を作るとか、アキラになら難しくないんだからさ」

「俺はハルトがいいんだ!!」

「……ッ」

「……ごめん、大声出して。でも……教えてよ。ハルトが前世のことに気づく前。……一緒に暮らし始めた頃。……あのとき笑ってたハルトは、……本当に楽しくて笑ってた?それとも……」

「…………」

「それとも、俺にいやいや付き合って楽しいふりをしてた?」

「…………それ、は」


ハルトの視線が揺らぐ。……違うと即答されなかったのが、怖い。

もしかして、友達だと思っていたのは俺だけだった?

迎えに来たのは、もしかして迷惑だった――?


「…………僕は」

「…………」

「……幸せ、だったんだ。アキラとの毎日が。戸惑うくらいに。こんなことがあっていいのかって」

うつむきながら、ハルトが話す。両手を強く握りしめて、震えを抑え込んでいるようだった。

「だって、僕は人を殺してここに来たんだ。最初はなんでまだ生きているのかわからなくてすぐに死のうと思ったけど、思ったようには死ねなくて、家族に止められて、閉じ込められて、それでやっとわかったんだ。この第二の生は、贖罪のためにあるんだって。何が起きても、それは罰なんだって」

「…………」

「だけど君と一緒にいると新しい発見ばかりで……何度も歩いた道にも知らないことがたくさんあるって、君が教えてくれた。僕は君と出会ってやっと、この世界とも向き合い始めたんだ」

「……ハルト」

「…………だから、君といるのが嫌だったなんてことは、絶対にない。……ないんだよ。……でも、戻れないんだ。僕らは」

「やってみないとわからないじゃないか、そんなの……!」

「…………」

「もう一度一緒に暮らして、それでやっぱり辛いなってなったらそれは仕方ないよ、でも、やる前から無理だって決めつけるのは嫌だ」

「……」

「不安なことがあるなら教えてよ、一緒になんとかしていこうよ。二人で暮らすってそういうことだろ……?」

「アキラ……」

「…………」

「……僕からも、聞いていいかい。……どうして、僕がいいの?たまたまあの場にいて、たまたま君を引き取って、たった一ヶ月一緒に暮らしただけの僕の何が、そんなに気に入ったの?」

ハルトの目が言外に言っている。『ほかにもっとふさわしい相手がいるはずだ』と。

……どうして。どうして、ハルトはそんなに。

「…………だけじゃない」

「…………」

「一緒に暮らしただけじゃない!ハルトは何度も俺を助けてくれたし、優しくしてくれた!俺が取り乱したときにココア淹れてくれたし、言われたこと守らずに夜空を見てぶっ倒れたときは一晩中看病してくれたし、俺のどんなしょうもない話だって真面目に聞いてくれたし、自分の体調が悪いときだって俺のこと優先して……!」

「そんなの、当たり前だよ。……君を引き取って、面倒をみる立場なんだから。それくらい、できないとだめ。むしろ、足りないところだらけで……」

……自分が人に与えたものに対して無自覚なんだろう。

俺が勝手に「あれ何これ何」って聞いていたようなことですら喜んでくれるのに、自分はその何倍も俺に尽くしているくせに「そんなの当然」って言い切って。

「……なんで伝わらないんだ」

「……アキラ……?」

「なんでわかってくれないんだよ、俺が、……俺だって、ハルトに救われたんだって……!ハルトがいてくれたから、俺はこの世界で無事に生きていけたし、この一ヶ月楽しかったのに……!」

「…………」

「なんで、俺が本気でそう思ってるってわかってくれないんだ……!」

「あ、…………」

ハルトが口をつぐむ。そのまま二人で、お互いのほうすら見ないまま、ホームの床を見て黙っていた。

「…………ごめん」

先に謝ったのはハルトだった。

「……僕は、ずっと自分が何もしていないって思ってた。何もしてないか、できて当然のことしかしていないか…………。……でも、アキラはそれを、嬉しいって思ってくれていたんだね」

「……うん」

「…………ありがとう。……僕のしたことで、喜んでくれて、ありがとう」

「そんなの、お礼を言うのは俺の方……」

「このまま――」

『――まもなく、列車が参ります。乗車予定の方はお急ぎください』


「――ハルト」


ホームのアナウンスにかき消されて、何を言ったのかは聞こえなかった。

でも、唇の動きは見えた。



『このまましんでもいい』


そう、言った。


「……だめ」

ハルトが立ち上がる。電車が近づく。ゴウンゴウンと音が反響して響く。

「だめだ!!」

「――アキラ?」

俺も立ち上がって、ハルトを後ろから抱きしめていた。抱きしめたというか、羽交い締めにしたというか。とにかく、それ以上一歩も動かないように。

「どうしたの、列車来たから乗らないと」

「…………へ?」

「このあたり田舎だから、これ逃したらまた20分くらいホームで座って待つことになるよ。……話なら、列車の中で続ければいいんじゃないかな」

「え、……あ、ああ、うん……。……あ、じゃあ、一緒に帰ってくれる……?」

「……君にはたくさん迷惑かけたし、取り返しのつかないことをしてしまったけれど、……それでも君が、僕を選んでくれるのなら」

「…………うん!」

カンタービレに大きく手を振って合図する。ホッとした様子で彼女は荷物を持ってきてくれた。

「ごめん、ずっと持たせちゃって」

「いいのいいの!これくらい!さ、乗りましょ乗りましょ!これで一件落着ね!」

来た列車に三人で乗り込み、ボックス席に俺とハルトで隣り合って座る。



焦って、ほっとして、その拍子でつい、忘れてしまっていた。

――ハルトの顔に、まだ笑顔が戻っていないことを。

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