27.そういうことになってもおかしくはないだろう

「でもさぁ、折角こんな部屋にいるんだからさぁ」

「えぇ……何するのなぉ?」


「短編の再掲をします」

「そういうタイプの変なことしないでよ!!!!」



尺八様 春海水亭


「この村な、今の時期は尺八様っちゅう、淫乱ド変態妖怪が出るから気ィつけぇよ」


 俺は、爺ちゃんの庭で最悪の話を聞かされた。


「淫乱ド変態妖怪の出現情報って、親父の実家で聞きたくなかった話のナンバーワンだぜ、爺ちゃん」

「尺八吹くみてぇに、男根しゃぶりあげて死ぬまで精を啜り上げる妖怪じゃあ。ドスケベぇな顔をしとるからすんぐにわかる。熊みてぇな身長とヒグマみてぇな運動能力を持っているが、人間は恐れねぇし、銃も効かねぇ」

「親父の実家で聞きたくなかった話のナンバーワン、いきなり更新されたぜ、爺ちゃん。会ったら死ぬじゃん」

「おお、会ったら死ぬど。しかも向こうから狙ってくるぞ」

「親父の実家で聞きたくなかった話、金銀銅メダルコンプしちまったぜ、爺ちゃん」


 親父の実家は農家で自宅から車で二時間弱くらいのところにある。

 ちょっとした連休や、年末年始には両親に連れられてよく遊びに行ったのだが、盆休みになると爺ちゃん達の方から遊びに来て、不思議と夏に親父の実家へ行くことはなかった。

 それが気になった……というわけではないが、小遣いを貯めて新しい自転車を買ったこともあったので、せっかくなので夏休みに行ってみようと思い立ち、こうして真実を知ってしまったわけである。


「で、俺どうすればいいんだよ」

 尺八様という淫乱ド変態妖怪の存在を信じられたわけではない、そもそも爺ちゃんが適当なホラを吹いているという可能性しかない。

 実際爺ちゃんの語り口は明るいが、忙しげに周囲を見回して何かの気配を探っているようだ。

 爺ちゃんの乾いた肌を伝う汗の量は、絶対に暑さのせいだけじゃない。


 おそらく――尺八様はいる。


「最後ぐらいはいいもの食べたほうが良いだろうし、鰻でも取……」

 最悪の提案を仕掛けた爺ちゃんの言葉を、なにか奇妙な音が止めた。


「じゅぽぽ……」


 粘つくような、どこまでも生物的な音。


「尺八様じゃ……」

「えっ……」

 爺ちゃんが小声で言って、俺を伏せさせた。

 その姿勢は何か危険なものから身を隠しているというよりは、神に向かって祈るようなものだ。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

 庭の生け垣の向こうに、女の頭が見えた。

 その目は夢見心地でどこかとろんとしていて、淫蕩なる火が灯っているかのように、その肌は桃色に染まっている。

 そして、俺は見てしまった……そのすぼめた唇が彼女自身の細く白く長い指を前後にしゃぶっているのを。

 彼女が纏う白いワンピースは、その清楚さを以て淫乱さを引き立てているようだ。

 思わず、ズボンのファスナーを下ろしかけたところで俺は正気に戻った。


 生け垣の高さは二メートルほどある。

 その生け垣から頭を出せる痴女――羆の頭胴長が二百~二百三十センチメートルであることを考えると、その痴女の身長は羆のそれとおおよそ一致する。


 あれが、例の尺八様か。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」


「爺ちゃん……」

 俺は小声で爺ちゃんに話しかけた。

 だが、爺ちゃんはそれを見て胸を撫で下ろしているようだった。


「安心せい、あれは尺八様ではない……夏休みに帰省した子どもを狙うただの上背のある痴女だ」

 爺ちゃんも小声で返す。

 あれが尺八様であれよ。


「子どもを狙う痴女ってそんな人目をはばからないものなのかよ、爺ちゃん」

「田舎は性に開放的というへんけんを聞いたことがあるじゃろう?」

「開放しすぎて性欲が人類滅亡寸前のそれなんだよなぁ」

「まぁ、じゅぽじゅぽと性的なアピールを繰り返して子どもを狙うだけじゃ、害はない」

「害そのものだろ……」

「とにかく尺八様が来たら、お前なぞしゃぶり殺される……やっぱ鰻やめて寿司にするか?」

「始まる前から終わらせようとするなよ爺ちゃん、まだ尺八様出てねぇんだから……なんかこう、車で村から脱出するとかさぁ?」

「免許返納したからなぁ」

「くそっ……爺ちゃんの尊敬できる判断がこの時ばかりは仇となった!」

「バスが来るまで、あと三時間ぐらいじゃしなぁ……儂、村八分にされとるから車も借りれんぞ」

「ここに来て親父の実家で聞きたくなかった話のナンバーワンが更新された!!!」


 爺ちゃんが村八分にされてるとか、尺八様以上に聞きたくなかった。

 だが、こうなるともう自力で脱出するしか無いのか。

 尺八様に会わないことを祈って、全力でペダルを漕ぎ続けて村の外に出るんだ。

 俺の思考を止めるように、奇妙な音がした。


「じゅぽぽ……」


 粘つくような、どこまでも生物的な音。


「今度こそ尺八様じゃ……」

「えっ……」

「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」


 何かを勢いよくしゃぶり尽くす音がする。

 だが、先程の痴女とは違って――その姿は見えない。

 むしろそれが正しいのかもしれない、相手は妖怪――俺のように普通の人間の目に見えるものではないのだ。

 音だけが生け垣の向こうから聞こえてきて、それが尺八様の存在を雄弁に語っている。



「いっけないんだぁ♡大人のくせにこぉんな小さい女の子に興奮しちゃって♡」

「うっ……うっ……」


 嗜虐的に苛む幼い声と、途切れ途切れにこちらに聞こえてくる犠牲者の声。

 尺八様による犠牲者が現在進行系で出ているというのか。

 だが、爺ちゃんはそっと胸をなでおろしていた。


「安心せい、あれは尺八様ではない……帰省した田舎で、小さい女の子に興味がある大人を、勢いのある指しゃぶり挑発している小学生の痴女メスガキだ……生け垣に隠れて、その姿は見えんが」

「今度敬老の日に、安心のところに付箋を貼った辞書を送るぜ爺ちゃん」

「田舎は性に開放的だからな」

「その田舎に住んでる爺ちゃんが今どういう気持ちでその台詞を吐いてるのか知りてぇよ」


 思わぬ倫理終焉っぷりを見せつけられて、むしろ尺八様に出会う前に死んでしまいたくなる。

 だが、三度目の正直という言葉がある……次に出会うのは本物の尺八様だろう。

 早く自転車に乗ってこのクソ田舎から脱出しなければ。

 そう考えた瞬間、もういい加減に聞き慣れた奇妙な音がした。


「じゅぽぽ……」

 粘つくような、どこまでも生物的な音。


 生け垣の向こうに――茶色く太い頭が見えた。

 どこか愛らしい表情に反し、だらだらと口から涎が垂れ流しになっている。

 その牙は鋭く、毛皮は分厚く、天然の鎧のように敵からの攻撃を防ぐ。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

「「羆だァーッ!!!!!」」


 知らなかった、羆がじゅぽじゅぽと鳴くとは。

 だが、英語圏では犬の鳴き声はバウで、鶏の鳴き声はクックドゥードゥルドゥーである。

 そうであることを考えれば、俺たちの耳にじゅぽじゅぽと聞こえる羆の鳴き声が、インターネットの向こう側の人間には、なんか恐ろしい感じの鳴き声に聞こえてもなんらおかしくはない。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

 生け垣を破壊し、羆はのそり、のそりとこちらに向かってくる。

 破壊された生け垣の向かい側には痴女の姿もメスガキの姿も見えない。

 なるほど、性欲とは人間を生む行為、その反対は死。

 であるならば、命を奪う羆は痴女やメスガキの天敵であろう。

 そんな羆から逃れるためのなんらかの本能が痴女やメスガキに備わっていても、なんらおかしなことはないだろう。


「うわーッ!!羆だァーッ!!!」

「こ、腰抜けた……!!」


 だが、そんな分析は羆という圧倒的な脅威を前にしては何の役にも立たない。

 じゅぽじゅぽと音を立てながら、向かってくる羆に対し、なんらかの対抗手段を考えようとするが、爺ちゃんは腰を抜かしているし、俺は俺で指一本も動かせないでいる。

 恐ろしいのだ。

 恐ろしいから逃げなければならないのに、あまりにも恐ろしすぎて何も出来ないのだ。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

 羆が俺たちを嘲笑うように鳴いている。

 俺の人生はここまでか――ああ、鰻食べたかった。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」


 その時、羆の鳴き声と重なるもう一つの音があった。

 すぼめた唇が細く白く長い指を前後にしゃぶる音だ。

 羆の後ろに、つばの広い白いハットを被った白いワンピースを着た女がいる。

 白尽くしの服装――極めつけのように、女の肌は雪のように白い。

 そして、大きいのだ。

 四足の羆が二足で立ち上がれば、同じ程の大きさになるだろう。

 足も太い、腕も太い。

 尻も胸も大きい。

 女は後ろから羆の尻に突っ込むように低い姿勢で飛びかかり、羆の男根を握りしめた。


「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」

「じゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」


 恐ろしい――羆が悲鳴を上げている。

 女は羆の男根を自分の顔に向け、そして――俺は意識を失ってしまった。


 目を覚ました時。

 俺は爺ちゃんと一緒に街に向かうバスに乗っていた。


「助けられたんだな……俺たち」

「うむ」

「……俺絶対夏にはこのクソみてぇな村に来ないよ」

「そうせいな」

「自転車……夏休みが終わったら取りに行くよ」

「ああ……なに、爺ちゃんがピカピカに磨いとくからな」


 しばらく俺と爺ちゃんは黙り込んで、バスが揺れるに身を任せていた。

 窓の外から、街の明かりが見える。

 随分懐かしい――文明の灯だ。

 もう、尺八様なんてこりごりだ。

 でも――


「尺八様、俺達を助けてくれたんだよな」


 羆から生き残っているのが、なによりの証拠だ。

 古来、日本人は災いを神と奉ってきた。

 尺八様は人間をしゃぶり殺す――だが、それだけではないのかもしれない。


「いや、あれは尺八様じゃなくて獣姦趣味のガタイが良い痴女」

「人間が一番怖いんだよなぁ」


【終わり】

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