第2話


その日、カレンは体調不良で学園を休んでいた。この日を逃せばセオドアと話す事はできないかもしれないと意気込んでいたジョアンだったが、意外にもセオドアのほうから声をかけられた。

――――放課後、時間が欲しい・・・・と。




久しぶりに言葉を交わすセオドアは、どこかやつれていて顔色もあまり良くなく、ジョアンは心配そうに彼を見つめた。

だが、ジョアンには変わらず優しい笑みを向けてくれる彼に胸がギュッと締め付けられる。

その笑顔を目に焼き付けるかのように見つめ、ジョアンは思いの丈をセオドアにぶつけたのだった。


「カレンと婚約するそうですね。おめでとうございます」

ジョアンのその言葉に、セオドアは驚いたように目を見開いた。そんな彼の表情を無視し、ジョアンは胸の内を吐露する。

「それでも、言わせてください。セオドア様は私の初恋でした。初めて会った時から、ずっとずっと今も・・・好きです。自分勝手だとは思いましたが、自分の気持ちにけじめをつけたくて・・・カレンと婚約してしまったら、きっともう話す事もないだろうから・・・」

そこまで言うと、こらえきれずに美しい瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきた。

もっともっとたくさん言いたいことはあった。でも、胸がいっぱいになり言葉が出てこない。

「どうか・・幸せになってください・・・・」

絞り出すようにそれだけを言って、頭を下げ踵を返そうとした時、セオドアに腕をつかまれた。

「まって・・・ジョアンは・・・婚約するのではないの?」

「え?私がですか?・・・・そんな予定はありませんが・・・」

「エドワード・オーブリー侯爵令息と、婚約が内定していると聞いたけど・・・」

意外な人物の名前が出てきて、ジョアンは驚きに目を見開いた。

「それは、天地がひっくり返ってもありませんわ。何故なら、エドワードは私の実兄ですし、まだ公表はされていませんが、リリアンナ王女殿下との婚約が決まっていますから」

「・・・・え?実兄?」

セオドアはまさに混乱の真っただ中にいた。

そんなセオドアにジョアンは簡単に家庭事情を告白したのだった。


元々ジョアンはオーブリー侯爵令嬢だった。というか今も侯爵家に籍がある。

伯爵令嬢と名乗ってはいるが、実際は侯爵令嬢なのだ。

現当主の女癖の悪さに我慢できなかった母親が、三下り半を突きつけ家を出るのを機に、ジョアンを母の実家でもあるスペンサー伯爵家へと引き取ったのだ。

父親でもある侯爵の素行の悪さに、悪影響を懸念しての事だった。

侯爵もそれに対し異議は唱えていなかったので、籍はそのままに伯爵家へと居住を移したのだ。

兄のエドワードは跡取りという事で侯爵家に残せざるを得なかったが、信用できる家令がいたのでとりあえず彼に様子見してもらっていた。

だが、後妻としてはいった娼婦崩れの出戻り女とその娘が屋敷で大きな顔をしている事。

義理の息子となるエドワードに手を出そうとした事が発覚。事態を重く見て、スペンサー伯爵家で子供二人を育てる事にしたのだ。

オーブリー侯爵の容姿はこれといって冴えないが、元妻である母の容姿はジョアンとエドワードに引き継がれ、大変見目麗しかった。

色ボケ後妻は、あわよくば美しいエドワードに取り入り愛人にしようとしていたのだろう。

だが、ここで王家が口を出してきた。

まだ公表されてはいないが、既に王女殿下と婚約が内定していたエドワード。

可愛い娘の嫁ぎ先でもある侯爵家の醜悪な家庭内事情を重く見た国王が、エドワードと王女の婚姻を機に、家督をエドワードに譲り当主は隠居をするよう王命を下したのだ。

この事は、ごくごく一部の人間にしか伝えていなかったが、カレンには伯爵邸でエドワードを見られてしまい実兄である事は話していた。


セオドアにそのことを話すと、彼は険しい表情で衝撃的なことを告白した。

「君とエドワード様の婚約の話は、カレン嬢から聞いたんだ・・・・」

あぁ・・・やっぱり・・・と、ジョアンはメリアが言っていたことは本当だったんだなと、改めて思ったのだった。





あの日、メリア・サリバン伯爵令嬢に内密な話があると言われ、呼び止められた。

馬車の中ならばと、ジョアンの馬車に相乗りする形で二人は向き合った。

二人きりの空間に安心したのか、メリアは突然に誘ったことを詫びながらも本題を切り出す。

「ジョアン様はセオドア様の事を、お好きですよね?」

「・・・えぇ・・ですけど、もうこの想いは捨てるだけですけれどね・・・」

「いいえ。捨ててはいけません。セオドア様とはお話されていますか?」

突然、好きな人の事で踏み込んでくるメリアに戸惑い言葉を詰まらせると、はっとしたように「申し訳ありません」と頭を下げた。

「実は、私も以前にジョアン様と同じような立場に立ったことがあるのです」

「え?それって・・・・」

ジョアンの脳裏には何故かカレンの顔が浮かんできた。

「カレン・ルーミーですわ」

メリアが語る事は、まるで今の自分が陥った状況と全く同じものだった。


メリアには婚約者がいた。幼馴染でもあり次期辺境伯でもあるアルベルト・カーライル。

メリアよりも三才年上の彼は、メリアを溺愛していた。

だが、そんな二人の間に割って入ろうとしたのが、カレンだったのだ。

カレンとは中等部の最終学年で同じクラスだったのだという。

ジョアンは中等部には通わず高等部からだった為、メリアやカレンとは学園に通い始めて顔を合わせた事になる。


メリアとカレンは、たまたま趣味が同じだったことで仲良くなったのだという。

「はじめは本当に、普通に趣味の事やアクセサリーなどのお洒落な事などを話す、普通の友達だったのです。それが、私に婚約者がいると知った瞬間から、彼女が変わりはじめたのです」

婚約者のアルベルトは銀髪紫目の見目麗しい容姿をしており、メリアもまたふわふわとしたプラチナブロンドにアオライトの様な角度によって青にも黄緑にも見える瞳を持ち、儚くも可愛らしい容姿をしていた。

巷では『妖精姫』とも呼ばれており、美男美女である二人の婚約は当時とても注目されていたのだ。

「後で思ったのですが、私の婚約者がアルベルトだったから近づいてきたのかもしれないって」

「じゃあ・・・私に近づいてきたのも・・・」

セオドア様が目的?・・・・ジョアンは背中に何か冷たいものが走る感覚に、身を震わせた。

「いいえ。恐らくではありますが、ジョアン様の場合はのでしょう」

当時学園に通っていたアルベルトは婚約者でもあるメリアの屋敷から通っていたのだという。

するとカレンはメリアの屋敷に入り浸る様になったのだ。

「後は、ジョアン様が体験してきたような事をされました。ですが幸いなことに、当時アルベルトは私の屋敷に住んでいましたので、話をする時間が沢山あったのです。それによって誤解も解けてカレンを遠ざける事ができました」


―――・・・話をする時間・・・


セオドアにはカレンが常にまとわりつき、クラスが離れてからというもの、精々挨拶できるかどうかだった。

その時ですら、まるで見せつけるかのように・・・いや、監視するかのように周りをうろついていた。


「カレンの本性は自己顕示欲が強く陰湿なのです。気の所為かと思う言い回しで、見下し貶してくるのです。ジョアン様もそうではありませんでしたか?」

そうだ。今思えば初めから小さな違和感が沢山あった。

兄であるエドワードから忠告された事もあった。

「彼女とはあまり親しくしないほうがいいよ。可愛い妹には悲しい思いをして欲しくはないからね」と。

あの時は何を言っているのかわからなかったが、きっと兄にも色目を使ったのだろう。

でも、セオドアがカレンを好きになってしまったのなら、もうどうしようもない。

メリアと違いジョアン達には話し合う時間が全くなかったのだから。

下を向き悔しそうに唇をかむジョアンにメリアは、膝の上で固く握るその手にそっと己の手を重ねた。

そして力強く頷く。

「まだ大丈夫です。間に合います。ですがこの機会を逃したら、恐らく手遅れになるでしょう。ですから、何としてでもセオドア様とお話しください」

「・・・・そうね。何が起こったのかもわからないままで諦めるのは、辛いだけだもの。明日にでもカレンに見つからないよう、セオドア様と話してみますわ」

「私も協力しますわ。セオドア様を呼び出す役目は、私にお任せください」

「えぇ。お願いしてもいいですか?きっと、私が出向けばカレンがしがみ付いてきそうだから」

「ふふふ・・そうですね。目に見えるようですわ」

セオドアの足にしがみつき、引きずられるカレンを想像し、二人は声を出して笑いあった。

あの鬱々とした気持ちが綺麗さっぱりとまではいかないが、だいぶ楽になった事にそっと胸をなでおろす。

「メリア様、本日は本当にありがとうございます。ただただ悩み感情を押し殺すしかできなかった毎日が、とても辛かった・・・」

でも、それも今日で終わり。どのような結果が待っていようと・・・例え涙を流す結果になろうとも、今よりはましだ。

「私を助けてくださって、ありがとうございます」

この言葉がすべてを語っていた。

気にしないでと首を振るメリアは「こんな時にこんなことを言うのもどうかと思ったのですが・・・私と友達になっていただけませんか?」と、ジョアンを喜ばす事を言ってくれたのだった。

沢山の勇気をもらった気がして、メリアの手を握り「喜んで」と晴れやかな笑みで返した。


そしてメリアとの密談の翌日、幸運と言っていいのかカレンが体調不良で学園を休んだ。

その情報を持ってきたメリアに急かされる様、セオドアとの約束を取り付け今に至るのだった。


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