第16話
けたたましい警報が再び鳴り響いたかと思った瞬間、床板と外壁が風に舞い上がる花びらのように剥がれ跳ぶ。
足元が大きく揺らぎ、エレベーターが炎に包まれたその刹那、
「跳べ!」
ソコロフはペトロヴァの手を掴んで、目の前の宙へと身を躍らせた。
噴き上がって来る地下からの生温かい風に煽られるように風を孕んで一対の固まりとなって落ちて行くソコロフとペトロヴァ。
シャフトの外壁が、凄まじい速度で上方へと跳び退って行く。
ソコロフは咄嗟に視線を巡らせる。
(……あれだっ!)
距離は、およそ三十メートル。
あと、数秒、否――
いま一度、片方の手にしっかりと握り締めたペトロヴァの手の感触を確かめてから、ソコロフは目一杯手を伸ばし懸命に体を捩る。
軍用コートの裾がバタバタと激しくはためき、頬に、体に、容赦なく吹き付けてくる風に涙が滲む。
加速度的に増して行く落下速度。
焦げ臭い空気とシャフトの底から湧き上がってくる独特な生臭さを孕んだ臭気。
風を切って、シャフトの底へと落ちて行く二人。
周囲では、ソコロフ達のエレベーターを攻撃した敵に向けて放たれたロケット弾や機関砲弾が、唸りを上げてシャフトの底へと殺到していく。
(あと、少し……もう少し……あと、三メートル――)
そして――
(今だッ!)
グワァンッ!!!!
その瞬間、金属の大きくたわむ感触とともに腕に強い衝撃が奔り、ソコロフの体に二人分の重力が圧し掛かる。
外壁から伸びる資材搬入用の細いクレーンに片方の腕だけで縋り着いたソコロフ。
(堪えろっ! 堪えるんだっ!)
ここで、手を離してしまえばペトロヴァもろともシャフトの底面に叩きつけられて死ぬしかない。
大きくたわみ、激しく軋むクレーン。
掌に感じるクレーンの表面を覆う赤錆びのざらついた感触。
冷たい汗が一筋、ソコロフの筋張った喉を滴り落ちて行く。
(折れてくれるなよ……)
と――
ペトロヴァが、ソコロフの腕の中でそっと体を捻ると新体操の選手よろしく逆上がりの要領で両の足を素早く持ち上げクレーンに絡みつける。彼女のしなやかな体がぐっと持ち上がると同時にソコロフの腕にかかっていた重力が、ふっ、と軽くなった。
「手を離して頂いて大丈夫です、同志中尉」
クレーンに両の足を器用に絡ませたペトロヴァが、くるりと体を回してクレーンの上に跨ると青ざめた顔を微かに綻ばせて微笑んで見せる。
「大したものだな……」
とは言え――
(さて……)
取り敢えず落下の危機を脱したとは言え、ここは、シャフトの外壁のど真ん中ある。
と――
「――同志中尉っ‼」
ペトロヴァが叫ぶ。
指を差したその視線の先には――
(――――なんだとっ!)
ソコロフは、慌てて両の腕でクレーンにしがみ付く。
「早く、こちらへ!」
ペトロヴァが、ソコロフのコートを掴んで引きずり寄せたその瞬間、エレベーターの残骸がクレーンの先を掠めるようにして轟音とともに二人のほんの数メートル先を落ちて行った。
狂った女の悲鳴のような音を立てながら落下して行くエレベーター。
暫しの後、シャフトの底の方からくぐもった音が聞こえてきた。
(
青ざめたソコロフの頬に引き攣った笑みが浮かび、冷たい汗にまみれた体を生温かい風が吹き抜けて行く。
静まり返ったシャフト内部。
いつしか地上からの反撃も底部からの攻撃も止まり、シャフトは重い沈黙の中に沈んでいた。
残りの部隊が目的の階層に侵入し、どうやら戦場がそちらへ移ったらしい。
ソコロフは、ペトロヴァに手伝ってもらいながら、ゆっくりとクレーンの上によじ登ると『ラトニク』を起動。
予想通り、第一七七民生員会の残りの各隊は、目標の四十九階層、国家人民軍第二ロケットセンター跡への侵入に成功し、現在、戦闘中だった。
取り敢えずの目標は達成したようだ。
ならば――
(だいぶ落ちたな……ここは――ああ、この辺りか……)
ソコロフは、周囲をいま一度見回してから光量を落として展開した夜間用立体地図で現在位置を確認する。
(四十五階層……ここが搬入口で、これが高速通信線という事は――)
そっと顔を上げたソコロフの視線がシャフトの壁面にさり気なく佇む一つの赤錆びたハッチへと止まる。
今いるクレーンから、一メートルほど上方。
ハッチの表面には、黒く掠れた文字で『27』とある。
さて……
(吉と出るか、凶と出るか……)
「ペトロヴァ兵長――」
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