第3話 氷の女王との勉強会
「お邪魔するわ」
色々あったが全ての授業が終わり、放課後になると約束通り勉強を教えるために、二人が通う高校の黒い制服を身にまとった
「いらっしゃい鏡花姉」
先に家へ帰っていた涼介がリビングへ案内しようとするが、鏡花は別の場所を提案してきた。
「場所は涼介くんの部屋でいいかしら?」
「リビングじゃダメかな?」
「ダメよ。リビングだとあなたのお母さんに迷惑をかけることになるわ」
自分の部屋で鏡花と二人きりは色々まずいと考えた涼介だったが、その意見はあっさりと却下された。
「わかったよ」
渋々二人は涼介の部屋へ移動して机を挟んで向かい合わせで座ると、鏡花が鞄から紙を取り出した。
「とりあえず、これを解いてもらうわ」
「わかった」
紙を受け取った涼介は問題に目を通すと英語の文章問題のようで、なかなか骨が折れそうだった。
「相変わらず、すぐ顔に出るわね」
「変な顔してた?」
鏡花は自覚のない様子に苦笑しながら、涼介の眉間を指で軽くつついた。
「問題を見た途端シワが寄って、あからさまにテンションが下がってたわ」
「本腰入れて勉強したのは高校受験以来だから、ちょっとね」
見事心情を言い当てられた涼介はバツが悪そうに、頬を掻きながら問題を解こうとするが……
「うーん……」
一問目から長考していた。
「最初はそこまで難しくないはずなのだけれど……」
不思議そうに首をかしげる鏡花だが、涼介の学力は学年の中でも下から数えたほうが早いので、簡単な問題にすら苦戦するのが今の実力だ。
今の高校は家から三十分かからないほどだが、第二志望の高校は電車を乗り継いでいかなければならなかったので、必死に勉強をしてなんとか合格したのだが、それで燃え尽きてしまった。
「できたよ」
「お疲れ様。採点をするから少し待ってなさい」
かなり時間をかけて全ての問題を解いて頭が疲れたので、用意しておいたジュースを飲んで目を瞑って休憩をする。
別に目を瞑る必要はなかったのだが、問題を採点している鏡花の表情が険悪になっていくのを見るのが恐ろしかったので、見ないようにした。
「採点終わったわ」
しばらくして、採点をする作業の音が止み、鏡花の声が部屋に響いた。
鏡花のその言葉を聞いて、ゆっくりと目を開けると想像していたよりも穏やかな表情の鏡花の姿がそこにはあった。
「もしかして、結構正解してた?」
自分では手応えがなかったのだが、偶然正解していたのかと喜ぼうとしたが、鏡花はゆっくりと首を振って否定する。
「いいえ、一問しか正解してなかったわ」
「うっ」
まさかのほぼ全滅で、自分でも虚しくなったのだが、それ以上に鏡花の穏やかな表情が怖かった。
昔の嫌な思い出がフラッシュバックする。
「それで、次は何をすればいいんですか?」
思わず敬語になった涼介を見つめて、少し思案した鏡花は鞄から本を取り出した。
「ひとまず、あなたの今のあなたの学力はなんとなくわかったわ。今日はこれ以上問題は解かずにこの本を読んで、ひたすら単語を覚えてもらうわ」
「よかった。それくらいなら俺にもできそう」
もっと無理難題を押し付けられると思っていたので、安堵した涼介だが続く言葉を聞いて思わず固まってしまった。
「明日までに五十個覚えてもらうわ」
「えっ? 五十? 明日までに?」
涼介は信じられない言葉に耳を疑う。
「ええ、正確には明日の放課後までにね。何か用事でもあったかしら?」
どうにかしてこの状況から逃げられないかと考えたが思いつかなかったので、涼介は観念してこの地獄を受け入れた。
「何も用事はないけど、もう少し少なくしてもらえないかな? 流石にいきなりその数はできる気がしないよ」
勉強をやることは受け入れたが、もう少し楽にならないか涼介は懇願する。
地獄が待っているのしても、もう少し段階を踏んでほしかったのだ。
そんな涼介の死にそうな表情を見て、鏡花もいきなり五十個は多いと思ったのか、とある提案をしてきた。
「そうね……やる気のない状態で勉強をしても意味がないだろうから、ご褒美をあげると言ったら頑張れるかしら?」
「ご褒美?」
「ええ、流石に何もなしでやる気は出ないだろうから、あなたが喜びそうなことを一つ思いついたわ」
ご褒美。
その響きのいい言葉は、テンションの下がった涼介には効果覿面だった。
「ご褒美! それはなにか教えてくれる?」
涼介がご褒美の内容を尋ねると、少し恥ずかしそうに頬を赤くすることもなく、淡々と鏡花は答えた。
「膝枕よ」
「ひざ……まくら?」
「ええ、膝枕よ。もしかして、知らなかったかしら?」
真顔で繰り出される魅惑的な言葉に、涼介の頭は混乱してしまうが、なんとか頭の中を整理して言葉を捻り出す。
「ありがとう鏡花姉。俺、頑張ってみるよ」
鏡花の膝枕の効果は凄まじく、先程までやる気が一切なかった涼介が今ではやる気に満ち溢れていた。
「そう、よかったわ。だったら、こっちに来なさい」
「えっ?」
早速単語を覚えようとしていた涼介を呼び止めて、鏡花は隣に来るよう催促をする。
「違うわ」
疑問に思いながらも大人しく隣に座ると、鏡花は自身の膝をポンポンと叩く。
その行動の意味を理解したときには、涼介の頭は鏡花の膝の上にあった。
まさにその時間は至高の一時であり、制服のスカートの布地が肌に心地よく、布越しではあるが柔らかい鏡花の太ももに頭を包まれた涼介は、ここが天国だと錯覚していた。
だがその天国は長くは続かず、鏡花の「おしまい」という言葉とともに、現実へと戻されてしまった。
「どうだったかしら?」
体を起こした涼介に目を伏せながら感想聞く鏡花は、普段とかわらず真面目な表情をしていた。
直前まで涼介を膝枕していた人物とは思えなかった。
「最高だった」
そんな鏡花に涼介は一切の偽り無く、心の底から感じたことを言葉にして伝えた。
「そう、それなら良かったわ。ちゃんと単語を覚えてきたら、次はもう少し長くやってあげるわ。だから頑張りなさい」
微笑みながら鏡花からそう言われてしまえば、涼介のやる気は限界まで高まってしまう。
「ごめんなさい。長居しすぎたわね、そろそろ帰るわ」
涼介が問題を解くのに時間がかかったこともあり、気づけば今の時刻は六時を過ぎていた。
「今日は勉強を教えてくれてありがとう。これから頑張るよ!」
「今日はあまり教えられたとは思えないけれど、やる気が出たのなら良かったわ。また明日の放課後、会いましょう」
鏡花は最後に優しく微笑んで、部屋を出ていった。
その日の晩、涼介はご褒美のためもあるが、勉強を教えてくれている鏡花の期待に答えるべく、必死に単語を覚えたのだった。
決して、膝枕のためではなかった。
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