ホストから俳優へ〜夢と希望の東京編
どこの業界や世界にも必ず一つや二つはある謎のルール。
PANDORAはホストとして入店してから1週間はウィエイターをするという謎の決まりがあった。
ウェイターは別でいるのに、だ。
全くの謎ルールである。
すばるはみなと同棲をしていた事もあり当面は平塚から歌舞伎町へ通う事に決めた。
そしてこれも今では信じられないが、当時はほぼ全てのホストクラブは夜中の12時頃から朝までの営業だった。
当然これは風営法に違反している。
風営法では夜中1時から日の出までは隣に座ったりして接客をする事は禁止されている。
もちろん、すばるはそんな事は知らずに働いていた。
何故なのかは判らないが、どこの店もほとんど摘発を受けるという事はなかった。
一言で言うと「そういう時代だった」という事にはなるのであろう。
何はともあれ、すばるは自分がどこまで出来るかを試したかった。
HEAVENはホストが5人程で席が10個もない小さな店だった。
それでもそれなりのお客さんがいて店の顔にはなった。
PANDORAは常に約40~50人のホストがいて席は40個ほどはある。
HEAVENとは比べ物にならないくらいの規模である。
ここでどこまで出来るのか?
すばるは不安と同時にワクワクしていた。
そして少しの苛立ちもあった。
何故なら店の風土が体育会系そのものだったからだ。
1日でも先に入ったら先輩だから先輩の言う事には絶対に逆らうな。
などなど、多くの時代錯誤とも思えるルールがそこにはあったのだ。
それでもすばるは1週間のウェイター期間を終えてようやくホストとして働けるようになった。
店には毎日数人の、多い時は10人以上の初めての来店でまだ指名がいないお客さんが来る。
そのまだ指名がないお客さん達を在籍するホストが取り合うのだ。
もちろんすばるは小さいながらも一つの店で結果を残してはいたので自信はあった。
しかしその自信はすぐに打ち砕かれた。
店には大雑把に言うと幹部、準幹部、それ以下、新人、という明確なランク分けがあった。
基本的には売り上げを上げ続ければランクは上がっていくシステムだ。
と同時に必然的に新人には厳しい現実がある。
初めて来店するお客さんは店の売上の上位者を見に来る事が殆どだからだ。
毎月の売上の順位の1位から10位までは中にも外にも大々的に発表される。
PANDORAには一年12カ月のうち10回はNo.1を取る、歌舞伎町でもトップクラスに有名なカリスマホスト刹那がいた。
よく考えたらHEAVENでは多少の歩合はあったものの、ほぼ時給制だった。
だからすばるは過剰に売上にこだわるという事はなかった。
だがここは違う。
売上だけが全てで売上を上げた者が正解なのだ。
すばるは必死にお客さんを掴もうと努力をした。
だが初回のお客さんの席に付けるのは基本的に売上のある者が優先である。
新人には順番が回ってこない事もしばしばだった。
また、ようやく席につけても初回のお客さんは無名の新人の事などは眼中にないのが殆どだ。
「初めまして、すばるです。」
「・・・・」
「出身はどちらですか?」
「・・・・」
酷い時は持ち時間の10分間、新人ホストが話し掛けるが一言も話してくれない事もある。
なので営業時間中の仕事のほとんどはヘルプ周りという先輩達のお客さんの相手をする事だった。
ホストクラブにはシャンパンコールという儀式がある。
今となればメディアなどで知っている人も多いかもしれないが、お客さんがシャンパンを頼むと、店のホストがそのお客さんを囲み音楽を掛けながらマイクパフォーマンスをして皆んなでそのシャンパンを一気に飲み干す、というものだ。
シャンパンはボトル一本が4万円程からであった。
それを頼んだお客さんは一杯だけ自分で飲むだけで、ボトル一本がほんの数分で無くなってしまう。
不思議である。
不思議を通り越して理解が出来ないのが正直なところである。
しかしこれを目当てでシャンパンを入れるお客さんは多い。
新人は全てのシャンパンコールに参加して残っているシャンパンを空にしなければいけない。
すばるは酒が強くない。
すばるにはこれが1番堪えた。
多い日には数十本のシャンパンが入る。
全てのシャンパンコールに参加したら、最低でも数十杯は一気に飲まなくてはいけないという事だ。
酷い時には他のホストが集まらず、一回のシャンパンコールで1人で2~3杯飲まなくてはいけない事もあった。
すばるにとっては地獄だった。
早く売上を上げてランクを上げないと。
すばるは焦っていた。
と同時に苛立ちもあった。
何故なら、シャンパンコールはほぼ全員が順番に交互に集まるようにチーム分けがあり、自分のチームが呼ばれた時はそこの席に行きシャンパンコールに参加して必ず一杯は一気しなくてはいけない決まりがある。
しかしそこに集まっても飲んだらふりをして全く飲まない先輩もいる。
でもシャンパンは全て飲み切らなくてはいけない。
そうなると残りは新人の役目となる。
ある時、流石に酔っていた事もあり怒りを抑えきれなかったすばるは先輩にその怒りをぶつけた。
「お前飲めよ!」
「は?お前新人だろ?何言ってんの?」
すばるは手が出そうになるのを必死に堪えた。
世の中にある多くの理不尽の中の小さな1つがここにはあった。
絶対にこいつを売上で越えてやる。
心に誓った。
しかし現実はそう甘くはなかった。
1カ月、2カ月、と時間は過ぎていくがなかなか思うようにお客さんを掴む事ができていなかった。
PANDORAには新人から3カ月以内に一定の売上を上げなくてはいけないノルマがあった。
それが達成できなかったら強制的に退店というシステムだ。
なかなかシビアである。
すばるはこれを達成するために、これも今では信じられない事だが、営業時間の前や後に客さんになってもらえる人を見つけるために外を歩いて声をかけて回った。
当時はまだSNSなども発達していなかったのでどこの店でも普通に行っていた事だが、今は多くの人がご存知のように外で知らない人に声を掛ける事は東京都の条例で禁止されている。
そういった努力の甲斐もあり、すばるはどうにかこの3ヶ月以内のノルマは達成でき、引き続きPANDORAで働き続ける事になった。
だが不動のNo.1であるカリスマホスト刹那の売上には程遠い。
極端ではなく天と地の差だ。
言い換えれば大人と子供の差くらいはある。
すばるは、俺はどこまでいけるのか?
No.1になる事が出来るのか?
と自問自答する日々であった。
そして1つの決断をした。
PANDORAには新宿に寮があった。
今まで平塚からどうにか電車で通っていたが、寮に入って往復3時間の通勤時間を無くし、お客さんを掴む為の時間を増やそうと考えたのだ。
そうして本格的な新宿での生活が始まった。
寮には個室はなく、一部屋に2段ベットがあり数人での共同生活である。
そして自動的に同棲では無くなったが、すばるはまだみなと付き合っており週に1日はみなの家に行っていた。
しかし現実はそう容易くはなかった。
東京と神奈川なので遠距離とまではいかないが、同棲から別居になり更に少し物理的な距離が出来た事はそれぞれの心に変化をもたらすには十分であった。
そして事件が起きたのである。
寮に入って数ヶ月経った頃のある日、すばるはいつものように仕事が終わってからなので朝にみなの家へ向かった。
ようやくみなの住むマンションの前に辿り着きエントランスへ向かう前に、どこかで見た事がある車が止まっているのを微かに見た。
しかし、すばるは疲れていたのと早く眠りたかったのもあり気にせず急いで部屋へ向かっていた。
エレベーターに乗り葵の部屋の前まで来ると風呂の換気扇が回っていた。
合鍵でドアを開けたがチェーンが掛かっていたのでとりあえずチャイムを鳴らした。
いつまで待っても扉が開かない。
まだ風呂に入っているかもしれないと思い、暫くしてもう一度チャイムを鳴らした。
また反応がない。
すばるは試しにドアの少しの隙間から中を覗いた。
「おーい、開けてくれ!」
すると中で何かがささっと動く気配がした。
「ん?」
すばるは直感的に感じた。
何かがおかしい。
もう一度中に向かって開てくれと言ったが何の反応もない。
トイレに行きたいのもあったので、仕方なく一旦コンビニでトイレを借りようと思いエレベーターで降りていった。
外に出るとやはり見覚えのある車が停まっている。
「あっ!」
すばるは思い出した。
「剛の車だ!」
剛は以前に勤めていたホストクラブHEAVENの店長だ。
このマンションに剛は住んでいない。
「そういう事か。」
すばるは全てを悟った。
怒りというより悲しさのような淋しさのような切なさのような、言葉では言い表せない感情が込み上げてきた。
不思議と怒りは全くなかった。
普通、自分の彼女や妻が他の男と関係を持ったとしたら本人にはもちろん、その相手にも怒りが湧くものだ。
しかし何故かそれは全くなかった。
その理由も全く判らなかった。
それはきっと、既にすばるも知らずしらずの内にみなから心が離れていたからなのかも知れない。
もしかしたら終わるきっかけが無かっただけかもしれない。
彼女が浮気している現場に出くわすという状況としてはショッキングだが、終わりは呆気なく来るものだ。
そしてすばるは3年ほど付き合ったみなとの別れを決意した。
PANDORAはホストクラブとはいえ、ある意味しっかりとした体制で運営されていた。
何故なら、歌舞伎町に数店舗のホストクラブを運営する一大グループでもあるのだ。
PANDORAでは毎週決まった曜日にミーティングがあった。
そして必ず何かのチームに入る方が義務付けられていた。
店を綺麗に保つ為のチーム、シャンパンコールでマイクパフォーマンスをするチーム、広告宣伝について考えるチームなど、用途別に数チームが存在していた。
そして各チームごとに必ずミーティングで1週間の報告をした。
これはまだアンダーグラウンド色の強いホストクラブ業界の中ではかなりしっかりしたシステムだと言えた。
また、PANDORAはイベントにも力を入れていた。
ホストが自分の誕生日イベントでは店内に機材を持ち込みバンドでライブをしたり、何かしらの出し物をするホストもいた。
そして節目のイベント、例えばクリスマスや店の周年などでは、ホスト全員がチームに分かれてコントや劇など思い思いの出し物を披露していた。
もちろんホストとしての仕事はして、それ以外の時間でチーム毎にそれぞれ皆んなが集まって練習するのだ。
これにはすばるは最初は驚きを隠せなかった。
と、同時に煩わしいとも思った。
しかし何年か経つうちにそれが楽しみにもなっている自分がいた。
自分が何かを披露する事でお客さんが笑顔になり喜んでくれるからだ。
ある意味、PANDORAがすばるにエンターテインメントの楽しさを教えてくれたのかもしれない。
とある日、普通に店に来て準備をしていたら何やら幹部が勢揃いし、不穏で異様な空気を放ちながら1つの席に集まって話をしている。
こういう時は何か問題が起こった時なのは誰もが察知していた。
もちろんすばるも何かあったんたんだろうとは思っていたが、自分には関係ないだろうとあまり気にはしてなかった。
すると、幹部の1人がすばるをそこに呼んだ。
「なんだ?俺は何もやってないぞ?」
と思いながら幹部が集まっている異様な重苦しい空気の席に向かった。
「はい、何でしょう?」
すると不動のNo.1であり幹部でもある刹那が重い口を開いた。
「あのなぁ、お前の客の涼子にユウヤが爆弾をしたっていう連絡が俺の客から来たんだ。」
「え?」
すばるは寝耳に水だった。
[爆弾]とはホスト業界の用語で、ホストが同じ店の他のホストを指名している客と寝ること、もしくは店に来なくなるような行為をする事、である。
爆弾が発覚した場合は、やらかした側に対して被害を受けた方が好きな罰を与える事が出来るという鉄の掟があった。
但し暴力は除いてだ。
だが少し前までは暴力も容認されていたという。
俗に言う、ボコボコにされても文句は言えない、というのも適用されていたらしい。
爆弾の罰として多いのが、丸坊主にさせて罰金を取るという形ではあった。
ホストなのに坊主の人間はまず爆弾をした奴だと思われた。
もちろん中には好きでワイルド系の坊主にしているホストもいるにはいたが、大抵は前者だ。
すばるは幹部達にどうしたいか聞かれた。
「ユウヤには直接注意しておくので罰は特に何もなくて良いです。」
ユウヤはヘルプで良く助けてくれていたし、罰金を請求してもお金なんか無いのは判っていたので特に何も要求しなかった。
「謝罪して反省して2度としなければ良いので。」
「お前はそれで良くてもそれじゃあ店の規律が守れないんだよ。」
「なるほど、それでは皆さんで決めて頂ければそれで良いです。」
幹部達もそれを了承した。
そして次の日、タカシは坊主になって出勤してきた。
最近よくすばる指名で通っている翔子というお客がいた。
ある月の月末が近い営業の日。
今日も来ている。
この月はすばるは調子が良くNo.1を狙える位置につけていた。
それを知っていた翔子
「シャンパン入れようか?」
「え?いいの?」
「でも今日はお金ないから売掛でいいなら・・・。」
売掛とは要はツケの事である。
その月の売掛は必ず次の月初めに店に納めなければならないのだ。
売掛は全て指名のホストの責任で行われていた。
もしお客さんが払えなくてもホストが立て替えてでも店に納めなくてはならないのだ。
店に納められなかった場合はその分の売上は削除され、尚且つその金額が給料から引かれるのだ。
シビアな世界である。
すばるは少し考えた。
翔子は1ヶ月程前から通ってくれるようになったお客さんだ。
まだよく翔子の事を知らなかったし信頼関係はそんなに出来ていなかった。
しかし、今まで全て現金で支払っているし大丈夫だろうとすばるは判断した。
「じゃあ売掛でいいからお願い。」
すばるは了承した。
店内にシャンパンコールが鳴り響く。
「翔子、ありがとね。」
「うん。」
これで今月はNo.1になれそうだとすばるは少し誇らしげだった。
そして翔子のおかげもあり見事にその月すばるはNo.1に輝いた。
しかし次の月に事は起こった。
翔子は月初めの営業日にお金を持ってくると言っていたが、当日になって連絡が取れなくなったのだ。
「飛ばれたか。。」
すばるは直感的に感じた。
飛ばれるとは、その時は払うと言っていた売掛を結局は払わない事だ。
金額の大小はあるが、ホストクラブでは割と良くある事だった。
しかし翔子の売掛は百万円を超える額だった。
取り敢えず立て替えたとしても、貰える給料からするとマイナスなのは明らかだ。
過去にも何度かあったが、この時が1番人を信用できなくなる時だった。
そして高い授業料である。
言うまでもなく歌舞伎町は日本で1番のホストクラブ超激戦区だ。
お客さんが複数の店に通っている事も稀ではない。
そしてそれは同時にその日その日のお客さんの取り合いにもなる。
そうなると他の店の指名者やその店次第では揉める事もそう少なくない頻度であった。
他の店のホストがどこかの店に乗り込む、なんていう話もよくあった。
PANDORAは基本的にそう言った暴力的な事は禁止されており、する人間はあまりいなかった。
とは言え、やはりホストクラブはまだアウトローな人間が多数を占めていた時代なのでPANDORAにもそういう人間もいた事は確かだ。
たまに店内でも従業員同士の暴力的な揉め事もあったりした。
そんなある日いつも通りの営業をしていると、数人が大声をあげながら店の中に入ってきた。
歌舞伎町ホストクラブSaintの幹部だった。
どうやらPANDORAの誰かがお客さんの事でSaintの誰かと揉めたらしい。
この頃、歌舞伎町には大阪から勢力を伸ばしてきた店の進出が続いていた。
Saintはそのうちの一店だ。
大声で店内に入ってきた数人をPANDORAの幹部達が外へ連れ出し店内は少し落ち着いた。
しかし外では大騒動になっていた。
「なんやコラぁ?」
「お前がなんだコラぁ!」
いわゆる殴り合いである。
しかし殴る人間もいれば止めようとする人間もいたので、どうにか事はそれ以上エスカレートせずに収まった。
こういう事はよくある、これがこの頃の歌舞伎町である。
このような事も頻繁に起こるので、当時の歌舞伎町は今とは違いまだまだ恐いところという表現が当てはまっていた場所だった。
そう思っている人も大勢いた筈だ。
それはある意味で正解である。
一般の人が普通に街を歩いているだけで何かされるという事はないが、普通に殴り合いが起こる街なんて安全ではない。
そんな歌舞伎町に大きな変化が起こったのが、時の都知事による歌舞伎町の浄化作戦である。
賛否両論はあるが、このお陰で歌舞伎町が恐くて怪しい街から今のような普通の繁華街に変えてくれたキッカケである事は間違いない。
これは浄化の対象である歌舞伎町で商売をしている業種の人達には大きな打撃を与えた。
今までグレーだった部分が完全な黒になっていったのだ。
ホストクラブにとっての1番大きなインパクトは、今まで夜中1時から朝まで営業をしてきたのだがそれがダメになった事だ。
元々風営法では夜中1時以降から日の出までは隣に座って接客行為をする事が違反だったのだが、グレーな部分として黙殺されていたのだ。
ちなみに、バーはこれに該当しないのでバーは営業はできる。
対象はホストクラブ、キャバクラ、スナックなどはダメという事だ。
これはホストクラブに大きな地殻変動を与えた。
この夜中の時間だから来れるお客さんが来れなくなる訳だ。
例えば、キャバ嬢が営業後にアフターで自分のお客さんと来る事や普通にプライベートで来る事も簡単ではなくなる。
かくしてホストクラブは二つの選択肢しかなかった。
普通に夜の時間から夜中の1時までの営業か、日が出てからの朝から昼までの営業にするか、だ。
当然、PANDORAもどちらかの選択を迫られていた。
こうなるとどっちにしろ全てのリズムが変わってくる。
今通ってくれているお客さんも来てもらえるか分からない。
言いようのない不安が皆んなを襲ったのだ。
そしてこの頃にはすばるは店の顔になっており、毎月必ずNo.10には入り時にはNo.1になったりしていた。
報酬は月に数百万円という事も多々あった。
そして自然と店の幹部にもなっていた。
ホストとしては順調だった。
そこでこの事態が起こったのだ。
すばるは思った。
「これは人生の転換点かな?」
この時、すばるはPANDORAに入店してからちょうど5年の月日が流れていた。
元々すばるはどうしてもホストがしたいわけではなかった。
物凄くお金が欲しいわけでもなかった。
大学時代に居酒屋のバイト友達に誘われて一緒に始めたのがきっかけだった。
ただHEAVENでの出来事をきっかけに自分を試しに東京に来たからだ。
そして歌舞伎町の名実ともにトップクラスであるPANDORAの顔の1人となった事ですばるは本気で考えていた。
もういいんじゃないか?
東京に来た目的は達成したのではないか?
そんな自問自答の日々が続いていた。
そしてこの浄化作戦による状況の変化によりPANDORAは一つの決断に至った。
営業時間を夜から夜中の1時までの一部と、日の出から昼までの二部という、同じ場所だけど事実上2つの店に分ける事だ。
店は全員にどちらが良いかの希望を募った。
この先どうするか迷っていたすばるは、いい機会なのでホストを辞めて次の道に進もうかと考えていた。
そんなある時に運営元の社長との面談があった。
「PANDORA一部の代表としてやらないか?」
「え?」
すばるは悩んだ末、ホストとしての第一線は退き代表として運営を頑張ってみようと思った。
そして、とりあえずは世話になったこの店の窮地を助けようと決めた。
PANDORA一部のスタートは決して順調ではなかった。
すばるは気持ちをリフレッシュして、店の代表として一から新たなスタートを切ろうと吹っ切れていた。
しかし、現存していた売れっ子のホスト達はほぼ二部にいき、一部は少しのメンバーと新たに募集した多くの新人で運営しており探り探りであった。
二部は変わらずだが、一部の店の売上は以前のPANDORAには遠く及ばない。
それでもすばるは新しい挑戦に消えかけていた炎が燃え上がっていたのだ。
そう、平塚から新宿に来た時のように。
しかし、悪戦苦闘している日々に突然衝撃のニュースが飛び込んできた。
PANDORAは他に数店舗のホストクラブと同じ運営会社のグループの1店舗だった。
その同じグループの他の店舗が摘発されてしまったのだ。
その影響でPANDORAも営業停止になってしまったのだ。
元の1つの店舗が摘発された内容が、外で人に声を掛けて店に連れて行った、という事だった。
これも浄化作戦の一端で厳しくなった部分であった。
グループ店の摘発を理由にPANDORAも捜査され、店の名義貸しが発覚したというのだ。
名義貸しというのは簡単に言うと、営業許可を受けている人間と実質の経営者が違う事だ。
例えるなら、駐車違反して他の人に出頭させる身代わりがバレたようなものだと考えれば良いだろうか。
かくして運営元の社長は逮捕された。
これにはPANDORAの一部も二部も全員が動揺した。
もちろん全員がそんな事は知らなかった。
この先店はどうなるのか?すばるは悩んだ。
しかしどうにかグループの他の店を転々と間借りできる事になり、新たに許可を取るまでの数ヶ月は凌いだ。
暫くしてようやく新たな営業許可がおりてPANDORAは再スタートを切ることになった。
この頃からすばるは運営元の社長に少し疑問を抱くようになっていた。
そして営業を無事に再開できて暫く経ったある日、すばる指名の客である愛が1人の男性を連れてきた。
名前は田島と言った。
聞けば小さいが芸能事務所の運営などの仕事をしているという事だった。
愛は前からすばるに芸能の道を薦めていた。
その時にすばるは田島と後日改めて会うこととなった。
後日改めて会って話しを聞くとちゃんとしたスカウトである事がわかった。
なので少しお世話になることにしたのだ。
そして暫くして田島から映画を撮るから出るか?との話が来たので役付きで出演する事となった。
これがすばるの俳優としてのスタートであった。
映画のキャストや撮影スケジュールなども決まり、顔合わせや本読みなどを経て撮影に無事に入ると自分の未熟さに衝撃を受けた。
正確に言うと、他の出演者の芝居に圧倒されたのだ。
それもそのはず、すばるは演技のまともなレッスンを受けていなかったからだ。
この時点では俳優とは全く呼べるものではなかった。
しかし、これがすばるに新たな火をつけた。
そう、平塚から新宿に来た時やPANDORAの一部を1からスタートした時のように。
そしてこの時点ではまだ芸能と同時にPANDORAの代表として汗をかいていた。
しかし芸能はそんなに甘くはなかった。
その後は全く仕事の話はなかったのだ。
すばるは悩んでいた。
このままPANDORAの代表を続けるべきか、それとも新たに俳優としてチャレンジをするか。
それと同時にPANDORAグループの社長との関係もギクシャクしていた。
直に接する事は少なかったが、お世話になったのは間違いなく感謝はしている。
しかし、店の運営について納得できない部分が多々あったのも事実であった。
すばるの心は次第にPANDORAから離れていった。
そんな時にまた事件が起こった。
ある日の営業中、キャバ嬢らしい女性とスーツは着ているがどう見てもサラリーマンではない人間が店に入ってきた。
ちょうど入口にいたすばるは、これは普通の客ではないと直感的に気付いた。
「どういったご用件でしょうか?」
「浩司って奴いる?」
浩司は今日は休みだったのでスーツの男から話を聞くと、どうやら裏引きをしていたようだ。
[裏引き]とはお客さんから直接お金を引っ張る行為の事だ。
これはもちろんホストクラブでは禁止されている。
何故なら、こういうことが起こり得るからだ。
店の中での問題なら店として仲介する事は出来るが、この行為は個人間なので店として仲介する事は難しい。
浩司が裏引きしたという概要はこうだ。
この女性と付き合っていて将来の為に浩司が貯金をするからと現金でお金を受け取っていた。
その後、2人の関係が悪化して女性がお金を返して貰おうとしたら浩司が応じないとの事。
当然のことながらこれが全て事実かどうかはすばるには判らなく不明だ。
しかし、このまま店の入り口で揉めていると営業に差し障りがあるのでとりあえず別の場所で話すことになった。
後ですばるは浩司と一緒にそこに行く事でその場は収まった。
すばるは代表として店の従業員を助けない訳にはいかない。
「浩司、今すぐ店に来てくれ。」
「わかりました。」
浩司に電話して呼び出し、一緒に先ほどの男が指定したカラオケボックスへ行った。
中に入ると別にさっきの2人とは別に3人ほど男がいた。
季節は夏。
その男たちはノースリーブに短パンという格好。
そして腕から足までビッチリと刺青が入っていた。
少し話し合いをしていると、刺青が入った男の1人が瞳孔が開いているのではないかというくらいの目つきた。
「おい、てめぇふざけてんの?」
浩司に詰め寄った。
「ふざけてないですよ。」
浩司が返す。
別の男が薄ら笑いを浮かべながら近くの灰皿を持ち更に脅してくる。
「お前、拐うよ?一緒に名古屋まで行くか?」
「まぁまぁ、暴力は止めましょうよ。」
すばるはなだめた。
結局、全て現金での受け渡しだったとの事なので何一つ証拠が残っていない。
金額も女性が渡したと主張する額と浩司受け取ったと主張する額が違う。
このままでは埒があかない。
どのくらいの時間そんなやり取りが続いただろうか。
気付くと脅していた男たちが1人また1人と居なくなっていき、最初の男と女性だけになった。
そこでようやく警察に行って浩司と女性で話してもらうことになった。
外に出たらすっかり朝だった。
そして、色々ありながらも紆余曲折を経てPANDORA一部は一年また一年と成長していった。
時には在籍ホストが40人を越える時もあった。
店の売上も次第に伸びていき、すばるは代表としてホストとして第一線の頃と同じ位の報酬を得られるようになり、その面では全く不満はなかった。
しかし、すばると運営元の社長との間には経営方針などで相違が生じる事が多々あった。
この頃のすばるはそんな不満に対する我慢は限界に近づいていた。
ある日、毎月恒例の社長との面談を拒否すると喫茶店に呼び出された。
「もう辞めていいよ。」
「そうですか、わかりました。」
そしてそこで年内でのクビを告げられた。
この時は年の瀬が迫る12月の半ばだった。
社長もすばるの態度で不満がある事を薄々は気付いていたのだろう。
急ではあったがすばるもショックは受けなかった。
いつか来る日が今きた、むしろ次に進むべき良いきっかけだと感じたのだった。
そして急ではあったが、2週間後のこの年の12月いっぱいですばるは約10年間勤めたPANDORAを退職した。
そして新年から俳優として一から活動する決意をしたのだった。
この頃には田島とは少し疎遠になっていた。
なので俳優として活動するめにまずは新たに所属する事務所を探した。
何件も連絡をしたがそうは返答がない。
それはそうだ、俳優としてのまともな経験は映画一本だけ。
なかなか決まらない中で一件の事務所が面接をしてくれる事になった。
そして無事に所属が決まったのだ。
さぁ、これからバリバリやろう!と思ったが現実はそんなに甘くはなかった。
仕事が全然なかったのだ。
たまに書類審査で通ったモデルの撮影や、たまにオーディションに呼ばれるくらいだがそれもなかなか通らない。
そして更に衝撃のニュースが飛び込んできた。
すばるの所属する芸能事務所を閉鎖すると言うのだ。
所属して約2年で再び新たな事務所を探す事となった。
それでもすばるの心は折れなかった。
いつか、胸を張って俳優と言える日が来るまで精進し続けよう決意をしたのだった。
まずは新たな所属先を探すべく色々な事務所に連絡をしたがそうは返事は来ない。
そこに一件の事務所から面接をしたいと連絡が来た。
すばるはすぐに面接に行った。
話はすぐに決まった。
所属する事に決まったのだ。
そこの事務所では演技やモデルのレッスンも受けながら仕事ができた。
すばるは必死にレッスンとオーディションと向き合った。
そしてある時、すばるは舞台に出演する事になった。
すばるは燃えていた。
舞台は稽古を含めると1か月は芝居漬けである。
これだけ芝居と向き合える事はそうはない。
そして本番に向けて稽古に励んでいる時の事だった。
元妻の葵から連絡があった。
SNSで告知を見た葵は舞台を観に行っても良いか、との事だった。
しかも娘の華と一緒にだ。
すばるは葵と離婚して以来、華とは会っていない。
離婚するときにそういう啖呵を切ったからだ。
その手前、自分から会いたいとは言い出す事は出来なかった。
葵とは万が一のために連絡先はお互い知ってはいた。
しかし葵は既に再婚しており、すばるは東京で激しい日々を送っていたので特に連絡を取る事はなかった。
聞くと、華には実の父親が誰なのかは舞台を観に行く時まで伝えていなかったようだ。
この時、華は数ヶ月後に20歳になろうとしていた。
しばらくして舞台の公演が既に始まっていた。
そして今日は葵と華が観に来る日だ。
すばるは他の日とは違う緊張をしていた。
小規模の舞台はだいたい公演後にお客さんの元に行って、直に来場のお礼をい伝えたり感想を聞いたりする。
今日の公演後にすばるは約20年ぶりに、というか初対面と言っても過言ではないが、自分の娘である華に会うのだ。
芝居の本番の緊張ではなくその緊張が大きかった。
そして舞台の幕は降りた。
上演が終わり、客席へ向かわなくてはいけない時間が来た。
しかし、すばるは舞台袖からなかなか客席へ行く勇気がでなかった。
どれくらいの時間考えただろうか。
意を決して舞台袖を飛び出し客席へ向かった。
華の顔は赤ん坊の頃しか見てないから判らないので、まずは葵を探した。
何度か客席を見渡して葵をみつけた。
その横に若い女の子がいる。
きっと華だ。
すばるはゆっくりと葵に近づくがやはり少し気まずい。
「やぁ。」
「久しぶり。」
葵と会うのも離婚してから初めてなので約20年ぶりだからだ。
そしてその横に立っている若い女の子に目をやった。
すばるはまずは葵に確認をした。
「華?」
若い女の子に指を指しながら聞いた。
葵は少し微笑みながら
「うん。」
そしてすばるはようやく華の目を見た。
「初めまして。」
すばるほ何と言って良いか分からずに、とっさに握手を求めながら出た言葉がこれだった。
「うん。」
すばるに初めましてと言われた華は少し緊張した面持ちでそう一言を発した。
すばるは華の目を見ながら思わず聞いた。
「ハグして良い?」
華は少し苦笑いをしながら黙って頷いた。
すばるは華を抱きしめた。
失った20年間を謝る為と華の20年の重みを感じる為に。
すばるの目は涙で溢れそうになったが懸命に堪えた。
そして、数ヶ月後の20歳の誕生日を過ぎたら一緒にご飯に行ってお酒を飲みながらお祝いをする約束をしてその日は別れた。
そして現在、その後も地道に活動を続けること数年。
気が付けば東京に来て20年、映画デビューからは10年の月日が経っていた。
少なからず俳優やモデルとしての仕事もこなしていき、ある程度の経験は積んだ。
しかし未だ大きな仕事には辿り着いておらずまだ無名の俳優ではあるが、今でも更なる高みを目指して日々もがき、精進している。
いくつもの人生の交差点を越えて俳優という道に辿り着いたすばるは、今もその道を進み続けている。
おわり
Written by Kaz
※この物語は基本的には事実を基に描かれていますが、物語に出てくる個人名や団体名などの全ての固有名詞と一部はフィクションです。
クロスロード〜ある男の半生 Kaz @Kaz_novel
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます