第39話 影印

 持永は沈黙したまま、少年を見つめた。


「知るとは知識ではないんだよ」


 少年は吐き捨てるようにそう言うと、不敵な笑みを浮かべ、目を見つめたまま首を傾げた。


「そういうことだ、持永次官。この少年は君たちよりも遥かに優れた技術を持っている。君たちは君たちが出来ることをやりたまえ」


「沢渡さん、しかし私たちはプロです――」


「朱雀日和、齢十三歳にして、警視庁のメインサーバーのセキュルティーを破り、数万という個人情報を盗み出した天才的な悪童だ」


 すると少年はポケットから手を出す、その手を差し出し、握手を求めた。


「よろしくね、おばさん」


 持永はその手を握ることなく、睨みつけたまま動かなかった。ここで何を言っても解決はしない。ここはじっと堪えて、目にもの見せてやるしかない。持永は奥歯を噛み締めながら立ち上がる二人を下から睨みつけた。


「では失礼する。くれずれも軽率な行動は慎むように」


 そのまま二人が小会議室から出て行くまでずっと目で追っていた。様々な感情が入り混じるが、何よりも体中にどっと疲れが来た。極度の緊張状態から解け、俯いたまま大きな溜息をつくのだった。

 二人が出て行くと入れ替わりで局次長が駆け寄ってくる。


「何があったんだ……」


 局次長はうなだれる持永の肩を叩きながら言った。


「やられました」


「何をやられたんだ」


 持永は局次長の質問に答えることなく、下唇を噛み締めて、この悔しさを反芻した。沢渡はああ言ったが、まだ出来ることはある。持永は握りこんだ拳の中でそう決意するのだった。


 だが状況は思いほか厄介になっていた。

 次の日、出勤するとサイバー庁のサーバーに大幅な規制が入っていたのである。特にジェンダーに関することやAR技術に関する情報は一切途絶され、内閣府から送られてきた資料の整理などの雑務を押し付けられた。

 室長が不在となった第四管理室には公安から送られてきた管理官が付き、仕事の指揮を外部の人間にとられるという屈辱的な仕打ちを受けることとなった。さらにサイバー庁の至る場所には警察官が置かれ、常に見張られた状態での仕事を余儀なくされるのだった。

 これでは彦根の罪を晴らすことはおろか、ゴーストの正体を調べることすらも出来ない。調べなければならないことは山のようにあるのに、その全てを許されなかった。

 あの沢渡という男も食えないし、そしてあの朱雀日和という少年。あの少年はいったい何者なのだろうか。確かに優秀なクラッカーは逮捕後、その能力を買われ、ホワイトハッカーになると聞いたことがある。しかしあの少年はまだ十三歳だ。ヒューマノイドは同一の人工脳を搭載しているが、そこで学習能力の差異が生まれることは証明されている。

 平等であるからこそ、その家の環境や意欲によって左右される話はよく聞くが、沢渡の言うことが本当なら朱雀はバグだろう。一体どこでそのようなイレギュラーが生まれたのだろうか。たった一言、天才という言葉で片付けるにはあまりにも謎が多すぎた。

 持永はそんな鬱憤を内に秘めながら、雑務を進めていた。

 すると向かいのデスクに座っていた部下が口を開いたまま、手に持っていたマグカップを落とした。

 マグカップはぐしゃりと割れ、中に入っていたコーヒーがぶちまけられる。

 その部下の視線の先にあったのはオフィスに設置された共有ボードだった。そこでは常にネットニュースが流れている。


「持永さん、あれって……」


 部下は目を丸くして言った。


「……ついに」


 持永はキーボードを叩く手をやめて、口元を抑えた。

 そこには彦根桐吾が指名手配犯として報道されるニュースが流れていたのである。

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