第24話 被差別者
どれほど梯子を下っただろう。地に足を付けた時、目の前に広がった下水道の中は実に暗かった。
だが想像したよりは綺麗だった。もう何十年もの間、下水道を使われていないため、人間の排泄物もなく、真ん中を流れる大きな川は透き通っていた。想像した強烈な匂いもなく、都市部の地下に張り巡らせその水路はまるで洞窟のようだった。
「ここが秩序の外か」
「私たちはもう地上で暮らすことができないのよ。地上の平均気温は五十度を超えているわ。その上、強烈な紫外線が肌を焼く、さらに有害な化学スモックが充満しているし、酸素濃度も実に薄い。まるで生物が棲める環境ではないわ」
恵奈はそう言うと、その場にしゃがみ込み、水を手ですくった。彦根は目を細める。いくら何年も使われていないと言え、元は生活排水が流れていた川だ。精神的に触りたくない。
「昔は汚物が流れていたこの川も、今では地上の水よりも遥かに綺麗なのよ」
そんな馬鹿な……と思い川べりから顔を覗き込ませると、驚愕した。この暗い水路に魚が泳いでいるではないか。正真正銘、それは本物の魚だった。ARの映像ではない、生きた魚が飛び跳ねた。
「君たちはここで暮らしているのか」
「ええ、そうよ」
この暗い地下こそ彼女たちの世界なのだ。
長く続く、水路には僅かばかりに電灯があるが、数メートル先の顔が見えないほど薄暗い。電力回線を地上から引っ張って来てるらしく、ここにある者は何もかもが違法だ。だが法に護れた人間よりも遥かに人間らしい生活をしている。
ジェンダーの暮らしは明るみにはなっていなかったが、最低限の生活は政府から容認されているらしい。だがあくまでもそれは容認である。支援ではない。人権を剥奪された人類は自給自足の生活を余儀なくされた。そのため、自分たちだけのコミュニティを築き、そこに新たな文化と秩序を生み出すことで、たくましく生きているのだ。
彦根も恵奈の隣にしゃがみ込み、その水を手ですくった。
透き通った水だった。もはや不必要なものを海や川に垂れ流らす今の人類にはこのように整備された水路は必要ないのだ。だが、この過去の遺物に地球の輝きが残っていたのだ。
「この先では君のような人類が生活しているのか」
「そうよ、俗に言うジェンダーの集落があるわ」
「私をそこに連れて行く気か」
「大丈夫。安心して、あたしの横を歩いていれば皆歓迎すると思うわ」
「だが、君たちには俺がただのロボットにしか見えていないのだろ」
「でもあなたには心があるわ。ロボットなんかじゃない。形は違くともあなたは立派な人間だわ」
「そう思うか」
「ええ、人の定義なんてここよ」
恵奈はそう言って、彦根の胸に拳を当てた。
「強いな君たちは」
彦根がそう言うと、目線を逸らし、可愛らしくはにかんだ。
「さぁ行きましょ」
恵奈はそう言うと、振り返り、どんどん奥へ進んでいった。かなり複雑に入り組んでいて、一度や二度で道を覚えるのは困難だ。ジェンダーとして生きることは犯罪ではないが、あまりよく思っていない人々もいる。一部の過激派がジェンダーの集落など嗅ぎ付ければ、何をしでかすか分からない。
地上では住むことが出来ない要因の一つしてあげられる環境的な理由の他にも、人為的な理由も含まれているのだろう。
彦根は少し後ろめたい気持ちを持ちながらも恵奈の背中をただ見つめて、ついていのだった。
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