喫茶店カルペ・ディエム1
晴れと雨で濁ったような土曜日、僕はセイコとの約束を果たそうと、出かけた。土曜日はやっているのかな。定休日だったらどうしよう。
細江神社の隣のまあまあ急な坂道をひいひい言いながら登る。見えてくるのは公園山への白い階段、この先にカフェなんたらとかいうセイコの働いているお店があるらしい。本当かなあ。なんか全体的に古臭くて灰色の街並みが続いているけど。一応上は山だから緑もあるか。かったるい階段を登ると公園山中腹だ。この山は低いからせいぜい300メートルくらいしか標高がない。それでも一応、津波のときは全速力でここに逃げるつもりだ。
赤と白のオシャレなお店が見えた。デンマークの国旗っぽいレンガが積まれたあきらかにこの街に似合わない、北欧風の喫茶店だ。お店の前にはちいさな黒板があり、白いチョークと赤いチョークを使い、カフェカルペ・ディウム開店中、オススメ! 本格トルココーヒー! なんてかわいらしい文字で書いてある。どうやら定休日ではなかったようでホッとした。ドアからは中は見えない。繁盛しているのかいないのか、たくさん人がいたらどうしよう。僕はそっとドアを開けた。
一気に部屋の中の、コーヒーの香りが僕を出迎えてくれた。すんごいコーヒー。
「いらっしゃいませー」
セイコのゆるい声だった。中には客は一人もいなかった。バーカウンターが左手側にあり右手側には4人用の席が2つある、細長い店内。垂れ下がった3つ4つの明かりが店内を包んでいる。窓も右側にあり、街がぎりぎり見えるか見えないかといったところで、見晴らしがよく川はよく見える。
いや、なんかオシャレ。気賀関所なんかを大々的に宣伝してる街と同じとは思えない。出来立てなのか、席や床がぴかぴか過ぎる。くつ脱がなくて平気かな……。
「ようこそ、ようこそー」
セイコは笑顔で近寄ってきた。ここのお店のロゴらしきマークをつけたエプロンを着けている。髪はまとめていてポニーテールだ。より一層美人に磨きがかかっている。
「よー、きたぞー。エプロン似合ってるな」
「えへへ、いらっしゃいませー」
「ひとり?」
「うん、さあ座って座って!」
ワンオペかよー。さすがにマスターくらいは置いとけよ。僕はひとりカウンター席に座った。微妙に高いイスで足が届かない。
メニューを手に取り見ると筆記体で書かれた何語かわからないメニューの下に日本語でメニューが書いてある。コーヒーが何種類かあって、あとはフレンチトーストやサンドイッチ、軽めのパスタの写真が載っている。静まり返るとどうやらなんか音楽が流れていることに気が付いた。フランス語? かな。カフェだし。
「なににいたしますかー?」
カフェのマスター兼ウェイトレス兼厨房係のセイコがたずねてきた。
「なにかオススメありますか?」
「あるよ! トルココーヒー! 見て見て、この砂で淹れるんだよ」
オレンジ色のきめの細かい砂だ。これで淹れる? 値段は250円、いい値段、まーまーまーまー。予算は1000円くらい。
「じゃあ、それで」
「かしこまりましたー」
セイコは後ろを向いてごそごそとなにかしている。僕はごそごそするセイコのゆれるポニーテールをじっと見ている。しばらく気が遠くなっていた。セイコが振り返るとあまりの美人さにハッと目がさえた。手にはパイプのような器具をもっている。
「じゃ、見ててよー」
セイコはパイプを砂の中にうずめた。
「ちょっと待ってね」
ぼけーっと待っていた。謎の音楽がぼそぼそと流れ続けている。心地よい、まるで歯医者の待合室のようだ。その間も人は一切来なかった。鼻からすぅーっと息が漏れたころ。
「あ、ここからいいところだよ! 見ててよ!」
なんか一人で興奮している。子どもっぽいな。セイコは砂の中のパイプをぐるぐると回し始めた。砂場でよく遊んだなー、猫のうんこがいっぱいあったっけ。パイプの中からコーヒーがあふれんばかりに沸き立ってきた。ぼこぼこと泡を立てている。セイコはそれを確認するとカップへ高い地点から注いだ。意味あるんだろうか。またすぐ、パイプを砂の中に入れた。またぐるぐるしているとまたすぐコーヒーが沸き立ってきた。
「砂の中にコーヒーがある!?」
まるで手品のようだった。パイプの中にコーヒーが増えている。この砂の中に貯めこんだコーヒーがあってそれをパイプですくっているようにしか見えなかったのだ。
「ふふん」
セイコは上機嫌になった。さすがトルコ料理、なんかよくわからないけどすごい!
「はい、トルココーヒーです、飲むのはちょっと待ってね」
おしゃれなカップにコーヒーがぐつぐつ煮えたぎっている。
「熱そうだもんな」
「そうじゃないんだなー、トルココーヒーってコーヒー豆をそのまま入れてるんだ」
「?」
「普通はドリップするでしょ、えーっとドリップってのは、こうコーヒー豆でろ過するでしょ」
「するする」
「でもね、トルココーヒーはそのままひいたコーヒー豆が入ってるんだよ、だからそれが落ち着くまで、待っててほしいんだ」
「わかった。いくらでも待つよ。セイコのためなら」
「うれしい! ちょっと待ってね」
しばらくじっとカップに入ったコーヒーを見た。茶色い。さっき砂場で思い出した猫のうんこのような色だ。それにしてもよく待たされるな。僕はコーヒーを見ているしコーヒーも僕を見ていた。
「もういいかな、じゃあどうぞー」
セイコは僕の前にコーヒーを差し出してくれた。カップに口をつける。これはもしかしてまさしくコーヒーの味だ。
「どうどう? いつものコーヒーと味違う?」
セイコは爛々と目を輝かせている。
「あんまりコーヒー飲まないからわかんないや、たぶん違うと思う」
「そうだよね! そうだよね! 違うよね! 私もさー、初めて飲んだ時びっくりしたよ。こんなに変わるんだって思って、トルココーヒーには、スパイスが入ってるんだ」
「へー」
僕は香りをかぐためにカップをゆすった。ん? なんかジャリジャリしたものが入ってた。 アサリの砂みたいな。
「ぺっ、なんだこれ。虫?」
「違うよ、豆。コーヒー豆、そのまま入ってるって言ったじゃーん。トルコの人たちはこの残った豆の模様で占いもするんだよ」
「ふーん」
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