止み上がり病み上がり 番外編

書留綴

番外編1 ちょこっと期待

 その日は降水確率0%で清々しい快晴だった。朝食の洗い物を終えたところで、お嬢様からキッチン使うから入らないでと追い出された。急にどうしたのかと思いつつ、仕方ないので洗濯物を干すことにした。冬の朝は空気がすんでいて気が引き締まる。そういえば今日は優狼が午後訪ねてくるって連絡があったな。そうか、それでお嬢様は何か作っているのか。兎美の作ったものか……いいな。俺にも少し分けて貰えないかな。

「龍歩」

……っていかんいかん執事という立場を忘れるな。こんなこと考えてると知られた日には

「龍歩!」

「へ?……!?すみません」

やべぇ全然気が付かなかった。大丈夫だよな顔に出てなかったよな。

「優狼様すみません。集中していたもので」

「いや、いい。お前は昔からそうだから」

怖っ。目が笑ってねぇもん。

「随分予定より早かったですね」

「あぁ、思ったより患者が少なくてな」

「そうなんですね。お嬢様は今キッチンで何か作っているようで、立ち入らないで欲しいそうです」

「……そうか」

頼む早く部屋に入ってくれ。という願いは果たしてかなった。ふぅ……。共犯者になってから俺へのあたりが明らかにきつくなった。もう昔みたいな関係に戻れないのかと思うと寂しいが、仕方ないことだと割り切るしかない。残りの洗濯物をできる限りゆっくり干してしぶしぶ家に入ることにした。


 「優兄はいこれ!」

キッチンは甘い香りに包まれていた。

「キャラメルか、美味しそうだな」

「うん!出来たてだから余計に美味しいと思うよ!」

にこりと笑う兎美は今日も可愛い。自分のために作ってくれたと思うと愛おしくてしょうがない。わざわざ今日空けておいてよかった。毎年この日だけは訪ねるようにしている。院内でも結構な数を貰うのだが、妹から貰う1個で十分なのだ。何がいつもお世話になってますだ。誰が欲しいなんて言ったよ。学生の時は優狼と貰った数で競い合ってたし、持ち帰って兎美にあげてたが今思うととんでもないな。変なものでも入ってたらと思うとゾッとする。やはり妹から以外のお菓子は処分だな。

「うん、美味しい。また腕を上げたね」

「へへ、ありがとう。沢山作ったからお土産に持って帰って食べてね」

あぁ、なんて優しいんだろう。本当に天使のような子だ。神様この子を僕の妹にしてくれてありがとうございます。

「あとね、ホットチョコレートもあるよ。やっぱり今日はチョコの方がいいよなって思って」

「ありがとう。いただくよ」

このまま帰りたくないな、なんて乙女みたいなことを思いながら、パタパタと可愛らしく飲み物の準備をする兎美を見ていた。


 夕食後また江川を追い出して、準備しておいた生地をオーブンに入れる。優兄が来るのが思っていたより早かったから焦っちゃったな。違うものあげたなんてバレたらまた病ませちゃいそうだもん。オーブン前でじっと生地を見守る。ピロロンと鳴って生地を少し冷ましてクリームをはさむ。できた。ラッピングもしっかりして江川の部屋の前に立つ。

「江川、ちょっといい?」

少ししてパタンと扉が開く。

「どうかしましたか?」

ぱっちりとした二重、優しい石鹸の香り。見た目だけならやっぱり昔のお兄さんなのにな、と少しがっかりしながらも手の中のものを渡した。

「はい、江川ハッピーバレンタイン!」

随分驚いたような顔してるな。

「今日はバレンタインだったんですね。ここ数年縁がなくてすっかり忘れていました」

……そういうことか。まぁ江川らしいといえば江川らしいな。

「執事の私にいいのですか?」

「もちろん!いつもありがとう!」

「ありがとうございます。いただきますね」

あ、珍しく笑った。いつも笑ってくれればいいのに。おやすみなさいと部屋を後にしてキッチンへ片付けをしに戻る。優兄も江川も私があげたものの意味なんて知らないだろうな。特に江川、わざわざマカロン作ったけどそういうの知ってるタイプじゃないしな。回りくどいけど、それくらいしかできないもん。明日、それとなく伝えて龍歩からかってみようかな。……なんてね。意味なんて、私だけが知っていれば十分なんだ。でも、お返し、ちょっとだけ期待しちゃおっかな。

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