ある日、探偵の死体を見た話

一条 飛沫

誰?

 春も終わり夏が近づくある日の事、私は死体を発見した。


 もしそんな場面に遭遇したら人はどういう行動をとるのだろう。悲鳴を上げる?救急車を呼ぶ?それとも警察?希望を捨てずに胸骨圧迫を始める人もいるかもしれない。


 某ミステリー作品なら間違いなく空手女子高校生は悲鳴をあげるだろう。私も一応は女の子なので、それに歳も一緒くらいだ。だから彼女に習って悲鳴の一つでもあげてみればいいのかもしれない。


 しかし私はそんな不恰好な事はしなかった。ブレザーを脱いだブラウス姿の私はかわりにスカートのポケットからバキバキにわれたスマートフォンを取り出し、手慣れた手つきで110に電話しようとして手を止める。


「ふぅ〜。痛かった。……あれ?君は?」


 目の前の死体が起き上がったのだ。それは本当に死体だったのかと疑われてはいけないので言っておくと、それには深々とナイフが突き刺さっていた。いや絶賛今も刺さっているのだが、それでも目の前の死体だった男は悠々と立ち上がったのだ。


「大丈夫なんですか?」


 ひとまず心配している風を装って聞いてみたはいいが、それは必要なかったかもしれない。


「ん?何のこと?………ああ、これか。こんなのヘッチャラだよ。慣れたものだ。」


 そう言って彼は心臓に刺さったナイフを無理やり引き抜いた。するとどいうわけか傷口がミルミル塞がっていくではないか。場所は都会の路地裏。時刻は高校の下校時刻を少し過ぎたくらいで空が赤くなった頃。なるほど、怪異を目撃するには絶好の時間だ。逢魔時とはよく言ったものだ。


「それで君は?」

「そんなに私のことが気になりますか?」


「うん、君のように若くて綺麗な女の子にはなるべく早く唾をつけておかないといけないからね。」

「私は妖怪と結婚するつもりはありませんよ。」


「何も結婚とは言ってないだろ。付き合う程度でいい。何ならお試しとか。セフ……ゴフッ!」


 卑猥な発言をする前に顔面を手に持った鞄で叩いてやった。中には教科書やら参考書やらでそこそこ重量はあるが、この男は死ぬ様子もないし大丈夫だろう。


「全くひどいじゃないか。でも、そんなに痛くないな。でも、そんなことしていたらモテないよ。」

「余計なお世話です。」


 その男はゴキゴキと首を鳴らし、次いで手首も鳴らした。


「さて、自己紹介も終わったところだし早速犯人探しでもしようか。」

「そうですか、それでは私はこの辺で。」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。僕を置いていくのかい?全く酷いな。最近の女子高生はみんなこんななのかい?」

「いえ、おそらく私が特殊だと思いますよ。」


「まぁまぁ、そんなつれないこと言わないで。犯人探しの途中でまた僕が殺されたらどうするんだい?そんな時は君の出番だろ。ほら、空手とかやってるんじゃない?」


「私は普通の女子高生です。あんなアクロバティックな格闘技は習得してません。」


 私の返答に彼はあははと声をあげて笑った。高らかに笑うその声は都会の路地裏に響き、いささか不気味である。醜い声だ。化け物め。


「まぁそれはいいとして。すぐ終わると思うから付き合ってくれないか?」

「結構です。私、他に好きな人がいるんです。」


「いや、そういう意味じゃなくて。っていうか好きな人いるの?」

「いえ、気持ちが悪い男の対処法です。」


「で、それでも諦めない男がいたら?」

「無論、暴力行使です。」


「やっぱり空手だね?そうだと思ったよ。」

「なんであなたはそんなに私に空手をさせたいんですか。私が暴力行使するとしたら包丁で突き刺すくらいですよ。」


「あはは、そうか。……まぁ女子高生の力じゃ大の大人は殺せないしね。凶器を使うのは真っ当な判断だ。」


 そういうと男は自分に刺さっていたナイフを私に差し出してきた。血みどろだった刃は男の服で拭き取られて綺麗になっている。このまま突き刺してやろうか。


「まぁ僕が何か変な気を起こしたらこれで刺していいから、とりあえずちょっとだけ付き合ってくれない?」


「分かりました。ちょっとだけですよ。それにちょっとでも変な気を起こしたら躊躇なく殺しますから。」


「お〜、こわいね〜最近の女子高生はみんなこうなのかい?」

「いえ、おそらく私が……ってさっきもこのセリフ言いませんでしたっけ?」


「え?そうだっけ?……まぁいいさ。とりあえず僕を殺した犯人を探そう。まずコレを見てくれ。」


 そう言って男は血みどろの自分の服を指差した。胸の部分が縦にはバッサリ穴が空いている。そこにナイフが刺さっていた事は容易に理解できたが、それが何だというのか。


「これは穴だ。」

「知ってます。」


「あ……知ってた?」

「逆になんで知らないと思ったんですか。」


「いや、最近のこの国の教育レベルがどれくらいか知らないもので。」

「いくらなんでも舐めすぎです。この国じゃなくても人間なら3歳児でもそれが穴だということくらい判断できます。」


「確かにそういえばそうだ。This is a pen.くらい滑稽なことを言っていたようだ。いささか舐めすぎか。確かに確かに。」


 関係のない話ばかり。なんて鬱陶しい。なんて喧しい。なんて五月蝿い。しかしそんな与太話も終わりにしたのか男は真剣な顔を作って真剣に推理を始めた。

 こういうところは探偵らしい。


「この穴、そしてこの服から分かることがある。それは心臓を刺した際、大量の血飛沫が出たということだ。」

「つまり犯人は返り血を浴びていると?」


「そう。それも大量のね。そんな血まみれの服でこの都会を歩くのは目立ちすぎる。」

「つまり着替えたと?結局何が言いたいんですか?」


「いや、つまりは何も分からないんだよ。君のいう通り着替えて仕舞えばそれで終わりだ。ここはこんなに人気のない路地裏。誰も来ないだろう。それに今の季節、半袖でも長袖でも目立ちはしないから血のついた上着を脱いでしまえばいいんだけどね。」


 そう言って、男はケラケラと笑って見せる。何も進展しない状況に腹を立てるでも地団駄を踏むでもなく男は笑う。

 早く帰りたい気持ちを抑えて私は男に質問した。


「でも、もし犯人が上着だけを脱いだ場合はそこだけにしか血が飛ばないようにしないとだからかなり難しいですよね。」


「確かにそうだ。ズボンに飛ばないようにしないといけないからね。だから犯人は相当手慣れていると見ていい。」


「じゃあ、ズボンも履き替えたとしたら?」

「それはない。だって僕は数分も気を失っていたつもりはない。おおよそ1分前後だろう。その間にズボンを履き替えて逃走とは考えにくい。もちろん逃走して履き替えたのなら別だけど。」


 一向に推理が進まない。結局は何が言いたいのか分からない。私は無性にイライラし出す感情をなんとか抑えて男につづきを促した。私の手の中には男を刺したナイフがある。


「そんな怖い顔しないでくれよ。美人が台無しだ。」


 そう言っておちゃらける男を見て、私はこの男に対して感情を抱くことが無駄だと判断した。ため息を吐いていつの間にか入っていた肩の力を抜く。


「それで、犯人は分かるんですか?」

「そうだね。予想はしている。AさんかBさん。この二人のどちらかだ。」


「Aさんとは?」

「この人は僕の知人でね。少しばかり彼女は僕を恨んでいる。それに僕の特殊な体質も知っているから躊躇なく僕を殺すだろう。」


「なるほど、それでBさんは?」

「彼女はあれだ。……ちょっとばかし気性が荒い。いつ誰を殺してもおかしくないんだ。それに同様に僕の体質を知っている。ムシャクシャしたから気晴らしに僕を殺すなんて普通にやって退けそうだ。」


「では犯人はそのどちらかなのですか?」

「うん…まぁCさんと言う候補もいるのだけれど彼女は普段は温厚だ。どちらかというとAさんとBさんの二人をいつも抑えてくれている。」


「候補の人たちはみんなあなたの知り合いなのですね。」

「うん。僕は知っている。それに彼女も僕のことを知っているが彼女は僕が知っていることを知っているかは知らないね。……ちょっとややこしかったね。」


「はい、鬱陶しいです。とてもウザい。」

「全く酷いな。」


「早くしてください。衝動で殺してしまいそうです。」

「おっと、そうだった。君は今、凶器を持っているんだ。怒らせると怖いな。」


 そう言うと男はごほんとわざとらしく咳払いをした。そして推理を続けようとするがそこで私は一つだけ確認したいことを思いつく。


「犯人の顔は見てないのですか?」


「ああ、それか。いやね。実は見たっちゃ見たんだけど……誰か分からないんだよね。AさんかBさんか。はたまたCさんかもしれない。」


「ではどうやって犯人を特定するのですか?他に何か方法があるのですか?」

「いや、実はもう僕には分からなくてね。だから本人に聞いてみようと思うんだ。」


 男は自信たっぷりの表情で言った。そもそも彼はその人たちがどこにいるのか分かっているのか。


「では、最初の謎解きだ。一つ、犯人は大量の返り血を浴びている。解決策は上着を脱ぐこと。それでは問おうか。」


 男は私を指差した。いや、私ではない。私の服装か。


「君は上着を脱いでブラウス姿。そして鞄には血まみれのジャケットが入っているね。」

「根拠は?」


 私は取り乱さずに平常心を保って聞き返した。取り乱したら負けだろう。


「根拠は殴られた時だよ。重いはずの鞄が上着のクッションで全然痛くなかった。それにスカートを折り曲げて短くすれば返り血も付かない。脚についたくらいならすぐに拭き取れるからね。」


 なるほど、筋は通っている。


「第二に君はなんで一人でここにいる?こんな人気のない場所で女子高生がひとり。それは不自然極まりないことだろう。」


「なるほど、でもその推理は意味がないのでは?探偵さんは犯人の顔を見たのでしょう。」


「そう。見た。確かにみた。あれは君だった。」

「それで、私はAさん、Bさんどちらなのですか?」


 その質問に男はさぁと首を傾げて見せる。


「だからきくんだよ。解離性同一症。僕を殺した犯人の君は一体誰だったんだい?」


 その瞬間、私は彼の喉笛をナイフで掻っ切った。真っ白なブラウスが返り血で赤く染まる。

 ああ、これでは誤魔化せない。今度は逃げるしかないか。


 私はそそくさと歩き出した。路地裏をうまく歩いて一目に付かないように帰るしかない。なかなか骨が折れる道のりだ。


 そこで、ふと私は立ち止まった。この探偵の解けなかった最後の謎を死体である今の彼に教えてあげるためだ。


「犯人はもちろん私。Cである私です。だって他の二人はもっとおバカなんですよ。私じゃないとこんな偽装はできませんから。」

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