恋人よ我に帰れ

阿紋

 地下につづく階段を恐る恐る降りていく一人の男。くたびれたスーツを着て、グレーの地味なハンチングをかぶっている。その雰囲気から多少後退している髪の毛がうかがえた。

「かなりいってるね」

 その様子を階段の上からうかがっている男が小声で言う。

「そうかなあ」

 ダークなパンツスーツを着た女がやはり小声で答える。

「ちゃんと見えてるの」

「今日はメガネじゃないよね」

「コンタクト」

 女は眉間に少ししわを寄せて答える。

「いいじゃん、そんなこと」

 男は女にあまり大きい声を出さないようにと目配せをした。ハンチングの男は階段を降りたところにあるラーメン屋には入らずその先のほうに歩いていく。

「バーントアンバーか」

 階段の上の男がひとりごとのようにつぶやく。

「ボスはまだ開いてないし」

「でも、戻ってきた」

 ハンチングの男が戻ってきて、ラーメン屋の向かい側のドアのところに立ち止まったままあたりの様子をうかがっている。

「来たのかな」

「そうみたいだね」

 階段の上の男と女はゆっくりと階段を下りていく。それに気がついたハンチングの男は少しあとずさりをして降りてくる二人を見ていた。そして二人が通りやすいようにと体を壁のほうによけた。階段を下りてきた男はそんな男の前で止まり、ドアの鍵穴に鍵をさした。

 そして「ようこそ」と言って笑う。

 女は男の後ろに立って眉間にしわをよせたままハンチングの男を見ていた。

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