9.「これって”ループ物”なんじゃない?」




「……というわけで、三年間手取り足取りゆ~っくり引継ぎして、聖女引退します」


 ラボに戻り、聖女専用の研究室で仕事を抜け出してきたハルに事情を説明する。聞いている途中からフラストレーションが溜まったハルは本日二本目の煙草を取り出した。


「ここは禁煙ですよ、ハル博士」


「うっさいワンコ、咥えるだけよ」


「妊活してるんじゃなかったっけ?身体壊すからやめた方がいいよ、ニコチン」


「あたしのことはいいの。それよりもミーシャ、三年もかけて何を引き継ぎするの?」


「さぁ~?でもノアちゃん自体はすっごくいい子よ。私みたいに『銀髪じゃない』っていじめられないか心配だわ」


 城から帰る途中で買ったアップルパイを研究室に常備している包丁で三等分にする。刃を入れた圧で割れたパイ生地が周りにふわっと広がった。こんな穏やかな時間もシャルルが護衛騎士に赴任するつい最近まで一切なかったことが懐かしい。


「彼女よりも自分の心配をしたらどうなんだ?あいつら、貴女が出涸らしになるまで都合よく使い込む気だぞ」


「そんなの今さらじゃない。あっ、退役金貰えるのか聞くの忘れた!」


「……」


 シャルルがまるで汚物を見るような目をミーシャに向ける。この冷たい視線、久々だ。出会った当初を思い出す。本当に生意気な小僧だった。そんなシャルルが自分のような出来損ないの聖女に心を開き、こうして懐いてくれたことだけで十分だ。


 抽出が終わったサイフォン式コーヒーをコップに注ぎ、皿に乗せたアップルパイと一緒にポーション用の空瓶をどけた試験台に並べる。最高な午後の休息だ。三人で食事の御祈りを済ませて、卵液が照り返すパイ生地にフォークを入れた。


「あたし、思ったんだけどさ」


「ん~?」


「これって”ループ物”なんじゃない?」


「ループぅ?」


 アップルパイを頬張りながら突飛なことを言うハルに、ミーシャはあまり興味がなさそうに返事をする。シャルルも大人しくコーヒーに口をつけて彼女の続きを待った。


「生前に徹底的に不遇な目に合った令嬢が何らかの原因で命を落とすんだけど、目が覚めたら事件が起こる前に時間が戻ってるの」


「それって時間退行ってジャンルなんじゃないの?」


「時間退行は前世の記憶を頼りに死亡ルートを回避しながらざまぁをしていくんだけど、ループの死亡フラグは樹齢三百年の幹よりも太く逞しく、全く折れないのよ」


「え゛……」


 不吉なことを言う親友にミーシャのフォークが止まる。シャルルは女子二人の会話が全く理解できず、異文化の話に盛り上がる声を聞き流しながら甘く煮詰めたリンゴのコンポートを咀嚼して明後日の方向を見つめた。


「どれだけ品行方正でいようと、目立たないようにモブに徹しようと、メインキャラを懐柔して生き残ろうとしても、必ず死亡ルートに辿り着く。それを五、六回くらい繰り返して色々吹っ切れた主人公が『悪女』にキャラ変して無双していくのが、ループ物」


「輪廻転生を許されず同じ人生で何回も苦しんで死にまくるって、それ考えた人ってどんな業を背負ってたのよ」


「これがね、わりと人気ジャンルだったの」


「ギルティ……」


 ミーシャは罪深すぎる設定に頭を抱える。正常な人間が考えることじゃない、ニホン人怖い、どれだけ病んでたんだ。


「でも、私の人生がループすると決まったわけじゃ……」


「現実ではまずありえない転生も時間退行も婚約破棄も追放も存在するんだから、ループだってあってもおかしくないでしょ。パラティンってこの世界の物語を楽しんでる節があるじゃない」


「まぁ、たしかに……」


「しかもミーシャは聖女だし、モブとは考えにくい。今までの徹底的な冷遇っぷりと当てつけのように現れた転生美少女聖女を見るに、時間退行かループ物で間違いないわ。女神の暇潰しで親友が非業の死を遂げるなんて、あたし嫌よ」


「ハル……」


 沈痛な面持ちででコーヒーカップを握るハルの青い横顔を見つめて、ミーシャは胸が張り裂けそうになった。ハルは実際に死後に別世界から転生するという未知の経験をしている。そして土着民以上にこの世界のことわりについて博識だ。だからこそこの物語の行く末が見えてしまっている。


 ミーシャだって、苦しむだけ苦しんでそのまま時間退行もループもせずに虚しく終わることも、この報われない人生を再び繰り返すこともしたくない。つまり、今すべきはフラグ回避。悲痛な死ではなく平凡で一般的な幸せを噛みしめて天寿を全うし、この世に悔いを残さないようにすることが最優先だ。


「……私、本格的に婚活する」


「ブッッッ」


「ちょっとワンコ、汚いじゃない」


「ゲホッ、ゲホッ!な、なんでそういう話になるんだ!」


 突然コーヒを噴出したシャルルにハルが怪訝な視線を向ける。そして試験台に飛び散った飛沫を布巾で掃除するミーシャと彼を見比べて、ふと思い出した。『年下ワンコ系騎士による溺愛物』路線があったじゃないか。


「あんたたち二人が結婚すればいいんじゃない?」


「んなっ」


「それはないでしょ」


「え……」


 瞬時に顔を赤らめたシャルルとは対照的に、ミーシャは涼しい顔で即否定する。まるで最初から眼中にないようだ。ミーシャの中でシャルルは既に聖女ノアの旦那枠なのだから当然なのだが。


「結婚に必死になってるおばさんよりも若くて可愛い子はたくさんいるんだから、シャルルを巻き込むのは申し訳ないよ」


「貴女だって言うほど年上でもないだろう」


「うーん、さすがに九つ下は犯罪臭がするというか……」


「ね、年齢は関係ないと思うが!?二回りも違う幼な妻を娶っている初老貴族だってたくさんいるじゃないか!」


「あれは男性貴族だから許されるの。女が年下の男を侍らせてたら周りの心象が悪いじゃない」


 無意識だろうが必死に食らいつく騎士の様子に、ハルは悟った。脈アリ寄りのアリアリだ。だが肝心のミーシャにはまったくその気がない。そして自分のフラグが立っていることにすら気づいていないようだ。苦労性な上に鈍いなんて、親友の恋愛ステータスどうなってんだ。


「とにかく!『年増聖女は田舎に帰って芋でも食ってろ!』って石投げられる前に私は幸せな円満寿退位をしてループを回避するの!」


「ものすごい被害妄想だな」


「よっし、こうなったら善は急げよ!今日の納品分をちゃっちゃと片付けて結婚相談所に登録しにいかなくちゃ!」


 残ったアップルパイを一口で飲み込み、意気揚々とポーション作りを始めたミーシャはやる気に満ち溢れていた。前向きなのか後ろ向きなのかよくわからない主人に頭を抱えるシャルルの背を、ハルが力強く叩く。


「頼んだわよ、ワンちゃん」


「……善処する」


 こうしてミーシャのあずかり知らぬところで、親友と護衛騎士の結束は強まっていったのだった。



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