5.「うぎゃああ!すっぴんんん!!」




 目覚めたミーシャが見たものは、馴染みのある花模様が描かれた離宮の天井だった。


 ベッドサイドに飾られた花の香りに、首までしっかりかけられた布団の重みを感じて徐々に意識が覚醒していく。それでも寒空の下を全裸で踊っているみたいに全身が冷え切っていて、ふるりと睫毛を揺らした。


 きっと水に落ちたから風邪でも引いたんだろう。妙に人恋しいのもそのせいだ。だがミーシャに寄り添ってくれる者は離宮にはいなかった。帰りを待つ恋人も、心配してくれる家族もここにはいない。使用人たちは全員帰っただろうし、ないものねだりは虚しいだけだ。


 明日もまたポーションを作らないといけないのだから、早く良くならないと。もう少し寝て魔力が回復してきたら自分で治癒魔法をかけよう。そう思って身動ぎをした瞬間、




「目が覚めたのか、ミーシャ」




 心臓が飛び出るかと思った。


 誰もいないと思っていた部屋から他人の声が聞こえたのだから当たり前だろう。


 飛び起きて明かりのついた部屋を見渡すと、普段からツンとつり上がった目尻を崩して心配そうにこちらをみやるシャルルがいた。


「なっ、何でここに……」


「気絶した貴女を送り届けたら、使用人たちは身なりだけ整えさせて帰ってしまったから、俺が見張りを」


「ここは宮内なんだから見張りなんて……」


「不審者じゃなくて貴女の見張りだ」


「はぁ……?」


「目が覚めた時に誰もいなかったら不便じゃないかと思って」


 さらっと気遣う姿を見せて「水でも飲むか?」と問いかけてくるシャルルに、ミーシャは返す言葉を失う。一度は押し殺した人恋しさが爆発したのだ。顔中が火照って視界が潤む。


 赤くなった頬を隠すように両手で覆うと、左頬に大きめのガーゼが貼られていることに気が付いた。よく見ると腕や足も同じように手当てされている。


「……使用人たちは起きたら自分で治癒魔法をかけるはずだと言っていたが、火傷を放っておくわけにもいかないだろう」


「シャルルが手当してくれたの?」


「まぁ、貴女の無茶を止められなかった責任もあるし……」


「ふ、ふーん…………ってか、うぎゃああ!すっぴんんん!!」


 急に我に返ったミーシャが、寝具を勢いよく頭から被ってベッドに籠城する。突然の奇行にシャルルは「え……」と無防備な声を上げた。


「うぅぅ……最悪……年下にどすっぴん見られた……」


「別にそんなに変わらないが……」


「変わるのぉ!メイクの濃さは意志の強さ!騎士で言うなら鎧!私はいま全裸で敵陣に放り出されてるのと同じ状態!わかる!?」


「全裸って」


 呆れた様子のシャルルの声に、ミーシャはますます羞恥で死にたくなってくる。


 二十代になったばかりの小僧は知らないだろう、毎日一時間以上かけてやっと主張を緩めてくれるそばかすの頑固さも、塗り重ねるたびに窒息していく毛穴の醜さも。何が「そんなに変わらない」だ。やっぱり目玉くり抜いて洗浄しろ!お前の周りにうようよいる同年代のご令嬢が見せびらかす艶肌の光を浴びて浄化されてしまえ!


 そんな呪いにも似た言葉を心の中で吐き出すミーシャの布団饅頭と化した姿に、シャルルはどうしていいのかわからず言葉を探しあぐねる。堅物でまともな女性関係を持ったことがないのも重なり、こういう時に気の利いた言葉の一つや二つが全く浮かばない。


 しばらく考えた結果、あの火事で感じたことを素直に伝えてみることにした。


「……だが、鎧を脱ぎ捨ててでもあの子を助けに行った貴女は、美しかった」


「……!」


 難攻不落の大要塞と化していた布団がもぞりと反応を示す。反論の言葉が返ってこないことに安心して、シャルルは手近な場所にあった椅子を引き寄せてさらに続ける。


「正直、俺は貴女のことをあまり好ましく思っていなかった。素直に言えば、嫌っていた。たまたま女神に選ばれただけで全てを与えられた恵まれた存在が、努力もせずに立場に胡坐を掻いていると思ってたんだ。前評判もあまりよくなかったし、その年まで独り身ってことは相当な人格破綻者だと勝手に決めつけていた」


 持ち上げたかと思えば急にディスって下げてくる護衛騎士っていったい何なの。今の若い子ってよくわかんない、恐ろしい。ミーシャは発熱していたこともあり布団の中で半泣きになった。


「俺の家門は侯爵家だが、父が使用人と不貞を働いて生まれた異母子ってこともあって、何をするにも風当たりが強くて……そのせいにするのも恥ずべきことなのだが、貴女を誤解していたことを謝りたい。本当にすまなかった。貴女は、立派な聖女だ。あの住民たちの心ない言葉をその場で正してやることができない情けない護衛騎士で、悪かった」




――立派な聖女。




 十五年間パラティンの使徒として国と民に尽くしてきたが、誰かにそんな風に言われたのは初めてだった。


 何かを成し得ても「聖女だから当たり前」と称賛されることもなく、逆に何かをしくじれば「聖女なのに使えない」と罵られる。その繰り返しの日々の中でフラストレーションが溜まると項の聖痕スティグマを掻きむしってしまうようになってから、男性の前に素肌を晒すのも何となく億劫になった。


 全てが悪循環となって食い尽くされたミーシャの自己肯定力に、彼のたった一言が染み渡っていく。頬が緩んで唇が波を打ち、黄土色の瞳からぼろっと涙が溢れた。



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