4.「俺はお前の護衛だぞ!?」




 向かった先は火元の近くの船着き場で、来ていたローブを脱いで迷いなく水面につけてびしょ濡れにすると、水が滴ったままそれを頭から被って轟々と炎が上がる建物へ単身乗り込む。


「おい!ふざけるなよバカ聖女!死ぬ気か!!」


 焦るシャルルの声もミーシャには届かない。人ひとりが通れるくらいの幅で立っている建物が両隣に延焼しないように魔法の防御壁を張りながら、自分には絶えず回復魔法をかけて炎の中を突き進む。階段を駆け上がり、窓辺で泣き叫ぶ少女を見つけて駆け寄った。


「大丈夫だから、泣かないで」


「びぇ……おばちゃん、誰……?」


「お姉ちゃんね。よっこいしょ」


 窓から身を乗り出し、外の様子を確認する。心配そうにこちらを見上げる住民たちの中に、火消しの水魔法士隊の姿は見えない。救助を待っている余裕はないらしい。ならばと少女を抱き上げたミーシャは、迫りくる炎を背に窓枠を踏み込んで外へ飛び出した。


 建物から運河までは距離がある。女性と少女が硬い石畳に叩きつけられる凄惨なシーンを予期して、野次馬の住民たちからは悲鳴が上がった。シャルルは無茶をしたミーシャを受け止めようと身を乗り出したが、到底間に合いそうにない。


 誰もが顔を覆った瞬間、ミーシャは空中に防御壁を展開させた。範囲は狭く、魔力を集中させ厚みを持たせて、通常であれば触れることのできない不可視の壁を踏みつけて力の限り飛ぶ。そのまま二人は派手な水しぶきを上げながら運河へ着水した。


「っぷはぁ!ッ、シャルル!」


「無事か、バカ聖女!?」


「誰がバカよ!それよりこの子をお願い!」


 急に二階の窓から飛び出したミーシャの行動に気が動転して気絶してしまった少女を水面からシャルルに差し出す。ミーシャは自力で船着き場から這い上がり、大きく咳き込んで水を吐き出した。


「ゲホッゲホッ!うぷ……し、死ぬかと思った……」


「でかしたぞ聖女サマ!さぁ、早く魔法で火を消してくれ!」


「へ……?」


 興奮した様子の男性住民にそう投げかけられ、ミーシャは一瞬目の前が真っ暗になった。


 彼女は防衛と回復に優れた聖属性魔法に特化していたが、この規模の火事を消せるほどの水魔法は持ち得ていない。そもそも火が消せるなら単身炎の中に突っこんだりしていないのに、住民たちは当然のようにこの事態を解決しろと詰め寄ってくる。


「……ごめんなさい、それは、できません……。でも、きっともうすぐ水魔法士の部隊が到着します、だからっ」


「チッ……やっぱりはあてにならん……!おい、全員で水かけて時間稼ぐぞぉ!」


 苛ついた男性の掛け声に、住民たちが一斉に運河の水をバケツに汲んで火に水をかけていく。立ち上がることができずにいる濡れ鼠状態のミーシャを恰幅のいい女性が「邪魔だよ!」と押し退けた。


 建物の周りに展開した防御壁の効果もあり火が余所に燃え移ることはなかったが、誰もそれがミーシャのおかげだとは思っていない。しばらくして水魔法士部隊が到着したのを確認して、ミーシャはふらりと立ち上がった。住民たちと協力して水をかけていたシャルルが遠ざかる彼女に気づいて、慌てて追いかけてくる。


「待て!この状況で立ち去る気か!?」


「専門の火消しが来たんだから、私にできることはもうない。シャルル卿はこのまま彼らを手伝ってあげて」


「そんなわけにいくか、俺はお前の護衛だぞ!?」


 ぐいっと手を引きミーシャを引き留める。水に濡れた重たいローブを脱ぎ捨てた彼女は、女性らしい薄手のワンピースを肌に貼りつかせて気だるげな様子で振り向いた。シャルルはそこでようやく彼女の無防備な格好に気づき、慌てて自分の外套で隠すように包み込む。


 掴んだ手も冷たいし、顔色も最悪だ。そう言えばついさっきまで破竹の勢いでポーション作りをしていて、魔力も底を尽きているのだった。虚ろな目で足元をふらつかせるミーシャの肩を掴んで呼びかけるが、徐々に意識が薄れていく。


「おい聖女!ミーシャ、おい!」


「もう……メイク、も全部、落ちちゃった、のに……こっち見ないでよ、ばか……」


「そんなこと言ってる場合か!しっかりしろ!ミーシャ!!」


 治しきれなかった火傷痕が残る冷たい頬を両手で挟んで呼びかける。ファンデーションが浮いた青白い顔にうっすらとそばかすが透けていたが、そんなことはシャルルにとってどうでもよかった。しかし呼びかけも虚しく事切れたように意識を失ったミーシャは、その後のことをあまりよく覚えていない。




 護衛騎士の胸にぐったりと倒れ込んだミーシャの濡れた項に刻まれた聖女の証である十字模様の聖痕スティグマが、水分を吸って癖を増した赤茶色の髪の隙間から覗く。


 神秘的な十字を掻き消すように何度も爪を立てたような古傷を見つけて、シャルルはようやく自分が色眼鏡をかけていたことに気づいたのだった。



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