第4章 2年南組~地獄と空白の25分~

※本文に出てくる人物の名前は(犯人を除いて)仮名です。


 この日、附属池田小学校の2年南組の運命を後戻りできないくらいに定めてしまった単一の判断や出来事といったものはおそらく存在しないのだろう。悪意などない様々なさりげない判断ややり取りが重なり合ったことが最悪の結果に結びついてしまった。


 もしも2年南組は担任のO教諭(男性・20代)が授業を10分も早めに切り上げることなく、定刻まで教壇に立っていたならば2年南組の子どもたちは誰一人として命を奪われることはなかった可能性が高い。しかし、早めに授業を切り上げる行為がその後の惨劇に結びつくという想像など果たして誰ができたというのだろう。

 O教諭は、(プロローグ②にもあるように)早めに授業を終わらせたあと、児童数名とともに花壇へ向かっていたがその途上で犯人・宅間守とすれちがうも保護者と誤認して会釈しただけで素通りを許してしまった。しかしこの事件が起きるまでは、これが全国の学校における概ね普通の対応だったのだ。


 2年南組の女子児童・中本美里の判断もまた、2年南組の運命の歯車を大いに左右する結果となった。

 授業が早く終わったあと、子供たちが我先にと校庭へ駆け出すなか、美里は友達の5名の女子児童たちに「お手洗いに行ってくるから待っていて」と言ってトイレに向かった。2年南組で刺殺された5名は、まさにこの5名の女児だったのだ。

 中本美里がトイレに行っていなければ、あるいは彼女の言葉が「待っていて」ではなく「先に外へ行っていて」だったならば、この5名が殺害されることはなかっただろう。美里は責められなければならないだろうか。とんでもない。そんなことなどあり得ない。自分がトイレに行く数分間、友達を教室で待たせることで友達の命が左右されるなど、果たしてどのようにすれば想像できるというのか。

 あるいはこの時、別の女児がトイレに行って中本美里が待っている側だったならどうなっただろう。美里の方が逆に命を奪われていた可能性が高い。運命の歯車の重さは彼女の手で左右できるような代物ではなかった。

 事件のあと、PTSDに苦しむこととなったこの中本美里もまた歴然たる被害者の一人だったのだ。


 事件の後の犯人・宅間守の取り調べや児童や学校関係者らへの聞き取り調査、そして現場に残された生々しい痕跡などからこの日、2年南組で繰り広げられた酸鼻極まる惨劇が浮かび上がることとなった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 事件の再現 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 宅間守が附属池田小学校の構内に侵入したのは6月8日の午前10時10分ごろ。給食の搬入のために通用口の門が開いており、その脇に車を停めて学校の敷地に侵入した。

 丁度そのころ、校舎1階の2年南組は担任のO教諭(男性・20代)が午前10時20分の定刻を10分ほど早く切り上げて休み時間に入った。

 宅間は校舎に向かって体育館の横を歩いて行ったが、そこでO教諭とすれ違った。教諭は児童数名にせがまれて一緒に花壇に向かっているところだった。しかしO教諭は宅間を児童の保護者などと思ってか会釈しただけで注意を向けることはなかった。

 そして推定時刻午前10時12分ごろ、宅間は教諭が不在となっていたのを見て取って2年南組に侵入し、惨劇が幕を開けた・・・。


 2時間目の授業が10分も早く切り上げられた2年南組では大半の児童が我さきにと教室外に遊びに出かけるなか、女子児童の中本美里はいつも一緒に過ごしている5名の女児たちに「トイレに行ってくるからちょっと待っていて」と言い残してお手洗いへと向かった。

 美里を待つ5名のうち、4名の女児たちは前の方の席に集まって折り紙遊びを始めた。下川玲子、小林琴乃、赤石里香、駒田裕希の4名である。

 大塚香菜は教室後方のテラス側の扉の前に立ち、美里を待っていた。

そこに宅間が入ってきた。


 身長120cmから130cm程度の子どもたちしかいない教室にあって頑健な181cmの長身の男はあまりにも場違いだった。そんな宅間を大塚香菜はぽかんとした表情で見上げるなか、宅間はビニール袋の中から出刃包丁を取り出した。つい先刻、附属池田小への途上の刃物店で購入したばかりの新品だった。既に箱から出しており、抜き身だった。袋の中には文化包丁も入っていたが構わず袋ごと床に投げ捨てた。右手に出刃包丁を持ち、左手を柄尻に添えた。そして大塚香菜の右脇腹を思い切り突き刺した。

 香菜は逃げようとして身体を反転させた。が、振り向いた彼女の髪を宅間は掴んで拘束し、右後頚部を切りつけた。首から鮮血が噴き上がる。制服のブラウスの白い襟がどんどん真っ赤になっていく。それでも香菜はなお倒れず廊下まで逃げ、そこで倒れ込んでしまった。


 教室前方で折り紙遊びをしていた女児たちをはじめ、2年南組の教室内にいた数名の児童たち全員が状況を受け入れられずにただ見つめるばかりだった。そして宅間は教室前方の4名の女子へ歩み寄った。


 左手に逆手に持ち直した包丁を下川玲子の体幹めがけて振り下ろす。とっさに玲子が出した右腕に阻まれた。ブラウスの右側の半袖が真っ赤になった。しかし宅間は続けざまに刃を振り下ろす。悲鳴を上げる玲子になんのためらいもなく右胸の上部、肩付近を突き刺した。刃を引き抜いた際に噴き上がった血を浴びた宅間の顔は真っ赤になった。


 うつ伏せに倒れこんでもがき苦しむ下川玲子を一瞥もせず、宅間はすぐそばにいた小林琴乃を突き刺した。逃げようとして宅間に背を向けていた琴乃だったが、その背中の真ん中に力いっぱい刃を突き立てた。そして包丁を引き抜こうとした宅間だったが、深く刺さりすぎたせいか、なかなか刃が抜けない。苛立ちとともに力任せに包丁を引き抜いた瞬間、琴乃の身体が一瞬浮き上がった。そしてそのまま床に崩れ落ちてうつ伏せに倒れ込んだ。

 教室後方で呆然となりゆきを見つめていた児童はこの光景を見てようやく教室外に逃げ出した。残る2名の女児、赤石里香と駒田裕希も逃げようとしたが足がすくんでしまい、ただ立ち尽くすだけだった。


 宅間は赤石里香の左胸を狙って包丁を突き出した。里香はとっさに左腕を盾にして身体を庇った。しかし、里香はその衝撃の反動によって尻餅をつくようにして座り込んでしまった。その小さな里香の身体を宅間は押し倒した。

 仰向けになった里香に馬乗りになった宅間は、包丁を両手で握り直した。包丁の刃が横向きになるようにしっかりと確認して柄を握った。

 凶獣と化した宅間が、既に友達の血で赤く濡れた刃を振りかざす様を見上げる里香の恐怖はいかばかりだったことだろう。彼女の心臓は7年間の人生の中で最も速く激しく脈打っていたかもしれない。宅間はその左胸めがけて刃を振り下ろした。

 

 小林琴乃が背中を刺されたとき、駒田裕希は浮き上がる琴乃の身体を見て逃げなければならないと悟った。次に宅間が迫ったのは自分ではなく赤石里香だった。駒田裕希には時間的には逃げる余裕が十分にあった。しかし眼前で繰り広げられた凄惨な光景が、裕希から逃げるための心理的余裕を奪い取ってしまった。


 裕希は背中を刺された。その回数3回。傷の1つは心臓に達した。裕希は最後の力を振り絞って廊下に出て玄関の方へ逃げた。激痛と出血で意識は朦朧となり、何度も壁に身体をこすりつけながら歩いた。その歩数68歩。しかしついに玄関ホール近くで力尽きてしまった。


 トイレから戻る廊下を歩く中本美里の視界に入ってきたのは外に遊びに行く約束をしていた大塚香菜だった。理解から程遠い状態だった。血まみれで動いていない。

 教室後方の扉から室内に足を踏み入れると、そこはどこに視線を向けても鮮血が目に飛び込む光景だった。床に3名、血の海の中にうつ伏せで倒れていた。

 呻く声が聞こえた。下川玲子だった。頭から上靴まで全身が血まみれ。床にはのたうち回った跡と思われる、こすりつけたような血の跡が生々しかった。玲子の名前を呼び掛けるが、聞こえないのか話せないのか、呻き続けるだけで応答はなかった。

 小林琴乃の血だまりは他の2名よりも小さかった。しかしブラウスの背中が一面真っ赤だった。まだ息があった。しかし意識はないようだった。


 赤石里香は文字通り血の海の中に大の字になって倒れていた。上は頭部から下は腰のあたりまで、横幅はそれぞれ左右の肘あたりまで。驚くほど真っ赤で大きな血だまりの中に大の字で横たわっていた。対照的に制服の背中には血の飛沫ひとつさえ見当たらなかった。

美里は里香の顔を覗き込んだ。顔の右側を下にして横たわる里香の顔は、瞼も口も閉ざされていた。そしていくら里香の名を呼んでも、まつ毛も唇も動くことはなかった。里香の胸から流れ出ているらしい真っ赤な血は、僅かではあるがまだ床に広がり続けていた。そして里香が着ている制服は、背中とはあまりにも対照的だった。


 そこからどうやってグラウンドまで逃げていったのか美里は覚えていない。あまりの惨状に彼女は一言も口が開けず、彼女の口から2年南組の惨状が伝わることはなかった。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 このように最初に襲われた教室となった2年南組だが、前の章の最後にもあるように、救助の手が入ったのは最後だった。応援要請を受けた救急隊・川西19号が駆け付けた時刻は10時37分を回っていた。2年南組で襲われた児童は女児ばかり5名。うち2名は教室外まで逃れて比較的早期に処置を受けたが、残る3名は教室内で刺されて倒れ25分間も放置されたのだった。結果的に2年南組で襲われた5名は全員が死亡している。


 この日、複数の教室やテラスで児童が襲われたが、他の場所は難を逃れた大勢の児童が惨劇を目撃していた。ゆえに助けを求める声も多かった。一方で2年南組では事件発生当時は早めに休み時間に入っていたことで在室していた児童の数はまばら。そのほぼ全員が襲われて死亡した。それゆえに、混乱を極めて組織的な救助体制がとれない中で助けを求める声が届かなかった。

 加えて、2年南組の担任・O教諭は1年南組で犯人・宅間守を取り押さえた際に頭部を負傷し、そのうえこの教室で襲われて重篤な状態になっていた児童の介抱にも関わったことで自分の受け持ちクラスにまで目も足も向くことがなかった。

このような要因が重なって2年南組では空白の25分が生まれた。


※2023年6月8日 大幅改定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る