第1章 1年南組
※本文に出てくる人物の名前は仮名です。
~1年南組の男子児童の証言~
この日の2時間目は音楽の時間でした。予鈴とともに授業が終わり、友達がぞろぞろと音楽室から1年南組の教室に戻るなか、僕は少しでも早く校庭に遊びに出たかったので駆け足で戻りました。後から思い返せば、普段よりも校舎1階が騒がしかったような気はします。しかし、もとより休み時間なので毎日この時間帯は大勢の声が響いていましたし、僕たちは入学式から2ヵ月しか経っていない新入生でしたから必ずしも普段の学校と比較できなかったかもしれません。
1年南組に入ると僕よりも早く、すでに幾名かの友達が戻っていました。そのなかに平塚健太くんもいました。平塚くんは普段から一緒に遊ぶグループの一人でした。先に平塚くんと遊びに行こうか、それとも教室で少し後からくる友達を待とうか、そのようなことを平塚くんに話しかけようとしたときに、その男の人が外のテラスから入ってきました。
見上げるような大柄な男の人で荒々しく呼吸をしていました。ただ事ではないと悟りました。男の人の顔から視線を下げると手に何か握られていました。包丁でした。刃に赤いものがついているみたいでした。
男の人が踏み入ってきたのは、ちょうど平塚くんの目の前でした。平塚くんも包丁を確認して咄嗟に危ないと判断したのが表情で分かりました。平塚くんは後ずさりして逃げようとしたのですが、机に阻まれて動きが止まってしまいました。そこに男の人が包丁を振り下ろしたのです。
「ドン」という表現は正確ではないかもしれませんが鈍い音が聞こえました。平塚くんの右脇の下あたりに包丁が突き刺さりました。平塚くんの顔が一瞬にして白くなりました。そこから先はまるでスローモーションでも見るかのように僕の脳裏に刻まれています。
男の人が刃を引き抜くのと相前後して、平塚くんは机と椅子をなぎ倒しながら後ろに倒れ込んでいきました。胸からはものすごい勢いで血が噴き上がり、周囲の机に、椅子に、床に飛び散りました。僕の制服の半袖シャツにも真っ赤な飛沫が届きました。もちろん平塚くんの制服の赤さは僕の比ではありません。
倒れ込むように後ずさりした平塚くんは、とうとう壁ぎわまで達していました。そして本棚にもたれかかって座り込むように床に崩れ落ちていきました。血を吐いているらしく、口の周りが血だらけでした。痛そうな表情には見えませんでした。ただ無表情で目を見開き、そのままの状態で動かなくなりました。倒れた身体の下に血が広がっていきました。
一方の男の人は大暴れです。近くにいたクラスメイトのLくんとMくんが立て続けに刺されました。そしてN子さんにも襲い掛かったときに2年南組のO先生と教頭のP先生が男の人を取り押さえました。それを見て僕はその場にへなへなと座り込んでしまいました。先生たちに抑え込まれた男の人は「しんどい、しんどい」と繰り返し呟いていました。
男の人が取り押さえられている傍らで、続いてやってきた別の先生たちが平塚くんを仰向けにして大声で呼びかけましたが反応はない様子でした。首筋に手をあてたあと、慌ただしい手つきで血に染まったシャツの前を開けて平塚くんに心臓マッサージをし始めました。
僕が覚えているのはここまでです。気がつけば他の無事だった友達や上級生たちとグラウンドに体育座りをして集まっていました。そのあと僕は警察の人のところに連れていかれて話を聞かれたので、いま話したようなことを伝えました。
しばらくしてお母さんが迎えに来ました。お母さんは僕を抱きしめてくれました。平塚くんが亡くなったことを知ったのは家に帰ってからでした。お母さんは泣いていましたが僕は何故だか泣くことができませんでした。僕が見た光景は到底、涙で洗い流せるようなものではありませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます