恋ごころより特別な
水城しほ
恋ごころより特別な ①
夏服に衣替えが済んだばかりの六月、まだ梅雨入りしていないこの街では、今日も窓の外に胸のすくような青空が見えている。だけど目の前にいる担任の
「
ここは職員室で、そして隣には同じクラスの男子が立っていて、私たちは揃ってお説教をされている。原因は今日の掃除時間、トイレの壁越しにホースで水を掛け合ったこと。おかげで二人とも体操着姿だ。
私たちは揃って背が低く、小学生の頃から身長を張り合ってきた仲で、今は暇さえあればケンカするような関係に発展してしまっている。
無言の私たちを見て、先生は苛立たしげにコツコツと、机を指先で叩いた。
「四月からたったの二ヶ月で、雑巾の投げ合いにホウキでチャンバラ、粉まみれの黒板消しで叩き合い、終いにはホースで水の掛け合いときた。お前らは中学二年生だよな? そろそろ大人になってもいいんじゃないのか? 特にトム!」
先生は私から視線を外し、隣に立ってるお調子者の男の子をじっと見つめた。彼はみんなから名字をもじって「トム」と呼ばれている。
「何でお前はいつも宮路へちょっかいかけるの?」
「わざとじゃないです」
「嘘つけ。そして宮路は、今日もやられたからやり返しただけだ、と?」
「そうです。富石くんが何もしてこなければ、私だって何もしません」
「気持ちはわかるが、水の掛け合いは二度とやるな。宮地は女の子なんだから、ブラウスが濡れたら困るだろうが」
確かに、先生の言うことも一理ある。今日は体育の授業があったから着替えられたけど、昨日だったら体操着は持っていなかったので、あやうく下着が透けて見える状態で下校しなければいけないところだった。
だけど「女の子だからやり返しちゃいけない」というのなら、その女の子に水をかけてくるトムくんは何だというのだ。この人のせいで水を被ってるんだから、どのみち私は濡れネズミになってしまう。だったら別に、やられっぱなしでいる意味なんてないじゃないか。
素直に言うことを聞く気になれない私を見透かしているのか、先生は再び盛大な溜息をついた。
「あー、二人とも親御さんに来て貰うからな?」
「えっ? 富石くんだけじゃなくて、うちもですか?」
「当然」
「待って下さい、俺ホントに困ります! 親は関係ないじゃないですか!」
「保護者が関係ないわけないだろうが!」
うっ、とトムくんが言葉に詰まった。私だって冗談じゃない。うちは父ひとり子ひとりの家庭で、そして父親は仕事のために生きてるような人で、真夜中にしか帰ってこないのだ。呼び出しなんかされてしまったら、きっと本気で困らせてしまう。
「二度とケンカしないと約束するなら、今回までは黙っててやる」
「わかりました、もうしません」
「俺ももうしません、すみませんでした」
「よし、約束だからな。はい握手して」
しぶしぶ握手をする私たちを見て、先生は満足したらしい。ようやくお説教から解放された私たちは、どうにか無事に職員室を出た。あとは先生の気が変わる前に、さっさとここから逃げるだけ――それなのにトムくんは足を止め、こちらをじいっと見つめていた。
「何か言いたいことがおありですか、トムくん?」
「子ネズミがやり返してくるから、また怒られたじゃねーかよ」
「誰が子ネズミよっ、トムくんがいっつも意地悪ばっかりするからでしょ?」
「別に意地悪なんかしてねえっつーの! ちゃんと謝ったし!」
「はぁ? はいそうですかって許せるわけないでしょ!」
「だからって倍返しはないだろ!?」
「嫌なら意地悪しなきゃいいでしょ!?」
次第にヒートアップしてしまって、ぎゃあぎゃあとわめく私たちの背後で、再び職員室のドアが開いた。振り返ると紅林先生が立っていて、その表情は笑顔だけれど、どこからどう見ても怒っている。
「お前ら、そんなに親を呼ばれたいのか?」
「げっ、すんません勘弁してください!」
「すみませんでした! 先生さようなら!」
慌てて先生に頭を下げた私たちは、そのまま一緒に逃げ出した。
足の速いトムくんが、なぜか私のペースに合わせて走っている。この人はいつだってこうなんだ。ひとりでさっさと逃げればいいのに、私を置き去りになんてできないお人好し。
そんなトムくんのことを、私はどうにも憎めないでいる。
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