愛を、ください

野坏三夜

幸せを祈る女の一生

「〜〜♪ 」

「まぁ、素敵な歌! 」


 女主人は聞き終えるなり、ドタドタと奥に行き、なにか小さい袋を手に持って来る。中から銅貨5枚を取り出し、リファに手渡す。


「ありがとうね、素敵な歌だったわ」

「いえ、こちらこそ。聞いてくれてありがとうございました」


 リファはニッコリして女主人に頭を下げた。




「ちぇ、銅貨5枚か。……少ないなぁ」


 リファは貰った銅貨を眺めながら街を歩く。この街は小さく、街のコミュニティが出来つつあった。そのためか、異邦人のリファが入り込むことは容易ではなく、二三曲歌ってあげても、貰えるコインは大体銅貨で、2から5枚。訝しげられているからか、実に手取りが悪い。もうそろそろこの街を出るべきか、リファはそう思った。

 とりあえずなにか食べようと、キョロキョロと辺りを見回すと、不審な人物が一人、家の前で立っていた。後ろ姿だけだったが、みなりは平民で、ひたすらに家を眺めていた。思い当たった節があったのか、リファはその男に声をかけた。


「その家は空き家ですよ」


 声に驚いて、男は振り返る。短い黒髪に珍しい金色の目をしていて、なかなかに整っている顔だった。綺麗だなと思ったが、顔にはすすがついていた。やっぱり、とリファは思う。


「それにその家をのはお勧めしません。そこの家の主人はけちでしたから、何も残って無いと思いますよ」

「ま、待て待て。なんで狙うなんだ」

「え? だって他人の家を見てたから」

「なんで人の家を見ているだけでそうなるんだ? 」

「他人の家を長く眺める人は、乞食や盗賊、娼婦かミヤレイですから。私の経験上」


 買った鳥の串焼きをぱくりと口に含む。油が口の中いっぱいに広がり、美味しい一品だった。


「……お前、俺を盗賊だと思ったのか? 」

「顔にすすがついていますし、そうじゃないんですか? 」

「いやいや待て待て、俺はな」

「バレたくないんですよね、いいですよ黙っててあげます」


 残り一欠片になった鳥を口にほおりこみ、リファは串をゴミ箱に捨てる。

 男ははぁと溜息をつく。もういい、と吐き捨てるように言った後に、


「そういえばお前、さっきミヤレイって言ってたが、なんでそう思うんだ? 俺が思うにミヤレイはそこまで酷い生活をしているとは思わないんだが」


 はっ、とリファは鼻で笑う。


「それ本当に言ってます? ミヤレイは辛い仕事です。生きるのに精一杯で、歌も更新しなくてはならないし、楽器のメンテナンスだってあるんです。宿があるわけじゃないし、なにより個人でやるんです。全部自己負担です。 ほら、辛いでしょ? 」


 リファは串を捨てた。男は呆然として、リファの言葉を聞き、「確かにな」と頷いた。


「……というかお前はミヤレイなのか? 」


 男はこんなに詳しく語るのだから、とでも思ったんだろう。


「……そうですよ」


 リファは他人の幸せを願って旅する歌うたい、ミヤレイだった。




「要らないって言ったのに」

「こんなに雨降ってる中、野宿する方がおかしいだろ! 」


 あの後土砂降りの雨が降ってきて、リファは野宿する予定だったが、男が野宿はだめだと、口論し、結局男の負担で宿に泊まることになった。リファは心底嫌がっていたが。


「で、お前の名前はなんて言うんだ? 」

「そういうのは自分から名乗るもんです。あなたが先に言ってください」


 リファは他人を信用しないように生きていた。だから疑い深く、たとえ宿代を払ってくれていても、信用はしていなかった。

 男は顔を顰めたが、諦めて口を開く。


「俺はクロ。盗賊じゃない、ただ街の視察に来ていた者だ」

「ふぅん、はたして本当だか」

「本当だぞ! 」

「まぁ、約束なので。私はリファ。ミヤレイのリファです」

「リファ? 」

「そうです」

「どこかの国の言葉で、幸せって意味なんですって」

 リファはそう言って、「おやすみなさい」と布団に入って、部屋の光を消した。あっ、とクロが声を発したが、リファは気にとめなかった。




 そしてリファのゆく所全てにクロはついて行くようになった。そして分かったのは、ミヤレイは歌っても貰えるのは銅貨で、食事なんてものはなかなか無く、食料を恵んでもらってそれを食べる生活だった。やはりリファは野宿しようとするので、クロは毎回宿代を出す、という短い間の二人旅をしていた。




「まだついてくるんですか? 」


 リファは夜の酒場に歌の依頼を受けたので、そこに向かって歩いていた。クロも同様リファについて行っていた。


「宿代を出してるんだ。このくらい良いだろう? 」


 リファは眉間に皺を寄せ、嫌そうな顔をしたが、「勝手にしてください」と前を向いてひたすらに歩き始めた。

 酒場は宿から少し遠い所にあったので、早めに出て向かっていると、リファはクロに質問した。


「ところで、クロの仕事ってなんです? 」

「え? 俺の仕事? 」

「そうです。盗賊じゃないなら、一体なんなんですか? 」

「それは、言えないなぁ」


 興ざめして、リファは何も聞かなかった。


「……もっと何かないのか? 質問」

「いいです。人には誰しも知られたくないことありますから」


 クロはそうかと思い、目の前の彼女に目をやる。

 リファの深い緑色のローブがひらひら揺れているのと、オレンジ色に輝く夕日の対比のせいか、彼女の凛々しい表情のせいか、とても綺麗だと思った。




 ポロンポロン、リファは弦を鳴らしながらいつも通りに歌っていた。いつもの酒場のバカ騒ぎとは大違いで、クロも歌に耳を傾けていた。

 しかし、突然大きな音をたてて、太った男がどしどしと酒場に入って来た。今までリファの歌だけが響く心地よい空気感が壊れてしまう。

 男はリファの目の前まで来ると、突然べちん! と頬を叩いた。巨漢から発せられる平手打ちは相当なもので、テーブルに足掛けをしていたリファはバランスを崩して、テーブルから落ちてしまった。


「お前が俺の銀貨の袋を盗んだんだろう! 」


 男は相当怒っていて、周りに目もくれず、リファを罵倒し始めた。


「そうに決まっている! ミヤレイな! どこにやった! 俺の、大事な金! 」


 男はうずくまり、呻き声をあげるリファに思い切りの殴る蹴るの暴行をし始める。女のリファはそれに対抗することも出来ず、ただただうずくまっていた。

 クロはそれを見て巨漢にも酒場の人達にも激昂した。近づき、物凄い形相で一瞬にして男を背負って床にうちつける。男は訳が分からず、目が点になるが、クロは最後にぽそりと何かを呟く。すると、巨漢の顔は青ざめバタバタと去っていく。そして、クロはオーナーの言いかけた言葉を無視して、リファを抱え、酒場を後にした。




 クロがリファをおんぶし、傷に響かないスピードで歩いてゆく。周りは暗くて、少しの街灯とクロの土地勘だけが頼りだった。


「なあリファ。これがお前の幸せなのか? 」


 リファは答えない。


「美しい歌声、使い古している楽器、何枚かの銅貨、野宿、少ない食料、そして暴力」


 ぽそりとリファは小さく言う。


「そんなわけない」


 その声は痛みのせいか、惨めさのせいか、震えていた。


「お前は他人の為の幸せを願うのが仕事なんだろう? 」


 一連の騒動で、世の中におけるミヤレイの立ち位置がクロにはわかった気がした。


「お前の幸せは誰が祈るんだ? 」

「……そんなの、知らない……」

「……そうか」


 それからリファから寝息が聞こえ始めた。クロはリファが安心できているようで、ほっとしたと同時に、ミヤレイとしての辛い生活を学んだクロは、とある決意をして、暗い夜道を歩いていった。




 目が覚めると、リファは病院の中にいた。


「ここ、病院? 」

「あ、目が覚めましたね。体調はいかがです? 」


 目の前に白髪の老人がやってきた。しかし、リファの脳内は如何に早くここを出るかだった。なぜなら病院というのは高額だからだ。


「あの、もうここ出ていって大丈夫ですよね。目覚めましたし」

「ダメですよ! 二三日は動かないでください。お金なら心配ありませんから」


 え?


「もう付き添いの方がお支払いになりましたから」

「もしかして、それって」


 リファはそこまで言いかけて、口を噤んだ。他人に肩入れしてしまっていることに気づいたからだった。たった数日で、信用してしまっていたことにリファは驚いていた。


「とにかく目が覚めてよかった。助手に後で果物を持ってこさせるから食べてね」


 医者はそう言って出て行ってしまった。パタンと閉じたドアを眺め、ふと、リファはクロのことを考えていた。




 すっかり怪我が完治したリファは医者と助手に一礼をして、病院を後にした。連れてこられた病院はあの町ではなくて、そこよりも発展し、豊かな所だった。道行く人々は、眩い笑顔を見せていた。それを見て、リファは無性に悲しくなった。

 もし、もしもここに彼がいたなら、私もあんな風に笑えていたのだろうか? 一人で、生きていけると思った。愛なんか要らないと思った。だけど、もう学んでしまった。一人でなんか、生きられないと知ってしまった。どうしようもなく、虚しくて、体に穴が空いたみたいだった。

 誰か、私に、愛をちょうだい。


「やっと見つけた」


 聞きなれた声が頭上からした。


「怪我は治ったみたいで安心したよ」


 うん、元気そう、良かった良かった。

 見上げれば、そこに黒と金があった。


「……クロ」

「遅くなってごめんよリファ」


 顔を見ればボロボロと大粒の涙が溢れ出てくる。


「わた、わたし、私ね。一人で生きてけると思ってたの。ミヤレイでも、生きてけるって。でも、でもね。ダメだった。クロと会ってしまったから。……もう一人には戻れなかったの」


 頷きながらクロは話を聞く、時には背中を摩って。


「俺が、誰がお前の幸せを祈るの? って聞いたの覚えてる? 」

「うん」

「俺が祈ってあげる。リファの幸せを俺が作ってあげる」

「クロが? 」

「うん。クロムロード・ヴェルスがね」

「くろむろーど? 」

「俺の本当の名前さ。さ、馬車に乗って。屋敷に行こう? 」


 リファは戸惑いながらも、クロムロードの手を取り、馬車に乗り込んだ。




 そしてリファは、ある黒髪に金の瞳の領主の妻となり、惨めな、辛い生活とはおさらばしたようだった。そして、他のミヤレイの生活支援事業を始め、ミヤレイの生活向上に一役買ったそうだ。

 おや、屋敷からリファが出てきましたよ。ふふ、幸せそうな笑顔です。眩しい、輝く笑顔ですね。

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