〖5分で読書〗明日までの一目惚れ

YURitoIKA

明日までの一目惚れ

 人が死を理解することは不可能だ。


 例えば、今、この場で命をポイ捨てしたとして、僕はそのことを叙情的に語れるかといえば不可能だろう。

 死んだ瞬間に、思考というものはぷつりと途切れてしまうだろうから。死の先に道は無い。走馬灯はエンドロールで、死への衝動や衝撃は暗転した画面スクリーンと同じだから。


 人が死を予見することは不可能だ。


 僕達に渡された人生という名の台本は、常に一ページ先が見えなくなっている。これも黒。


 しかし。

 人が死を受け入れることは、どうだろう。人は必ず死ぬ。僕が僕の人生の主人公である限り、エンドマークが打たれるのも当然の帰結だ。……ただ、それが誰かの人生の脇役であるという存在において、ドラマチックであったというのなら、それ以上のものはない。


 けれど。

 その願いは叶わない。

 なにせ。

 彼女は既に死んでいるから。

 もっと言うなら。

 彼女は死して神であるから。

 かっこよく言うなら。

 彼女は死の神であるから。

 めんどくさいので。

 彼女は死神であるから。

 それはそれとして。


「めちゃくちゃ可愛いな」


 少女。ビスクドールのような、奇怪さと繊細さと美しさを重ね合わせた風貌。黒と白を基調にしたドレス。病的なまでに白い肌。小柄な体型。手には鎌。あまねく奇跡はありのまま、といった感じ。悪魔の様で、天使の様。神様と言われれば、神様。


 一目惚れだった。

 そして。一目惚れの相手が最初に僕にくれた言葉は、


「私は死神です。今日の二十三時五十九分、貴方は死にます。交通事故です。車であの世へGOです。大した善も徳も持ってないので地獄へホームランです。ま、うん。どんまい」


 少女は死神。彼女に今日何てものはない。生きていないのだから。

 僕は人間。しかし明日は無い。今日、確実に、死ぬのだから。


 つまるところ、僕のドラマ人生の最終回は今日ということらしい。

 打ち切りにもほどがある。


「なんで死神たる私が貴方の前に来たのか、教えてあげましょうか」

「是非」

「お腹が減ったからです。いい店を紹介しやがれください」

「なるほど」


 人の命日に扱き使うとはいい性格をしている。


「じゃあ、メック(某ハンバーガー店)でどうでしょう」

「は?」


 お気に召さなかったか。


「なにそれ気になる。連れけけ」


 死神も口を噛むらしい。


 時刻は丁度二十時を過ぎたところ。

 僕の死まで、約時間。


       ◇


「なるほど。破滅的に美味うまいね!」


 ……ハンバーガーを食べてからの彼女のテンションの上がり様は凄まじかった。先程までは空腹によって本調子ではなかったようで、こちらが素ということらしい。


「そんなバクバク食べてると、ドレス、汚れちゃうんじゃないですか」

「だいじょうび。これ、オーダー冥土メイドだから」


 全くもって理由になってない。

 されど、

 冥土ファッションに興味は湧いた。


 死神少女───改め、その名をルレアという彼女は、ハンバーガーを食べ終えると、僕の顔を覗き込んだ。上目遣いというやつだった。


「んでんで、これからどうすんの、人間ちゃん」


 ……自己紹介はあえてしなかった。それにしても、初めての〝ちゃん〟呼びだった。ちょっぴりドキッとする。


「特に予定は無いですね」

「へぇ。意外ね。普通死神に死を宣告された人間ってのは、家族とか、友人とか、はたまた彼女さんとかに連絡するでしょ。いや、そもそもの話、私から逃げる」

「まぁ、そうでしょうね」

「この世に未練が無いとか」

「言われてみれば……無いですね。ただ、つまらなかったわけでもないです。嫌いでもなければ好きでもない、そんな、自分自身が一番つまらないような人間なんです」


 僕の、僕自身に対する評価だった。


「ふーん?なるほどなるほど。そかそか、君はつまるところ、ウルトラスーパーつまらない人間ということなんだね」


 救いの一手どころか破滅の王手だった。


「てかさ。君、さっきからこっちのことずっとちらちら見てるけど、もしかして私のこと好きなの?ならどこが好きなの?足?太もも?ドレス?顔?髪?」

「強いて言うなら、全部です」


 余命数時間くらいは心に正直で在りたいと思った故の、渾身の一言。


「……ふーん。あ、そうそう。ひとつ忠告だけれど」


 嫌な予感がした。


「死神に告白すると、君、死ぬから」

「へ」

「この鎌で、こうだから」


 立て掛けてある鎌を指差して、振り下ろすようなジェスチャー。


「その鎌って恋愛断絶の為にあったんですか」

「そういう決まりだから。ルールはルール。それ以上もそれ以下もないよん」

「なかなか横暴じゃないですか」

「それ、死神に言っちゃう?」


 言い返せなかった。


「あの、僕、どうにも自分の死を簡単に受け止めてしまいすぎてるような気がするんですけど、壊れてるんですかね」

「んんん。君ちゃんは壊れてなんかないよ。ただ虚構ばかりの現実と非現実的な現状に酔ってるだけのポンコツ中学生だ」


 ヒドイ言われ様だった。

 ただ、確かに。僕は酔っているのかもしれない。主に恋に。


「私はポンコツな君を気に入った。うむ。だからその余命、私に尽くしたまえ。どうせこの後の予定がないのなら、私とデートしましょう。神様とデートだなんて、神に願っても叶わないんだから」


 随分と遠回しな言い方だが、確かにその通りだった。

 僕は、黙って頷いた。


 ───彼女ルレアは、僕の恋に気づいている。気づいた上で、転がしている。


 限りなく僕の為にならない捕捉だが、僕の顔は真っ赤ッかだ。彼女への対応が落ち着いているように見えるのは、単にドキドキしすぎて声が出せないからだ。常に肘をつねっていないと顔が歪んでにやけてしまうだろうし、視界も彼女しか捉えなくなってしまう。

 それらを全て承知の上で、彼女は、僕で遊んでいる。


 恐ろしい。

 その感情は、決して、彼女に対するものではなく〝この状況が楽しくて仕方がないと感じている自分〟に対してのものだ。


 ───この世の誰よりも、余命を楽しんでいる自信があった。


       ◇


 ルレアは無邪気な子供のように走り回るので、追いかけるこちらの体力はみるみる減っていくばかりである。一応はバドミントン部であった僕だけれど、幽霊部員に体力や速度を問うのはそれこそ残酷ってもんだ。


「次はありゃがいい」

「また食べ物ですか」


 余談。

 彼女は周りの人間には見えていない。しかし、食べ物は食べられるという。一体全体、彼女の食事は端からどう見えているのか、非常に気になるところである。


 閑話休題。

 彼女が駆け出した先はクレープ屋のキッチンカーだった。僕は財布をポケットから取り出しつつ、彼女の後についていく。みるみる消えていくお札達も、命日となると惜しみ無く別れを告げられる。


「練乳&メープルたっぷり角砂糖爆乗せイチゴマシマシチョコバナナクレープぅ!冥界カタログで見た時から食べてみたかったんだよさぁ」


 聞いてるだけで胃もたれしそうな名前だった。〝冥界カタログ〟とやらも名前負けしていないのが凄い。情報の嵐だ。


 ルレアは鼻唄を唄いながらクレープの生地を開いた。……開いた?

 中身を出して、どこからか取り出したフォークとナイフで食べ始める。


「え、なにしてるんですか」

「ばっかだなぁ君は。クレープを、食べてるんだよ」

「それは分かってます。僕が待ったをかけてるのは食べ方のほうです」

「え、どこか間違ってるか?」

「どこがというか、スタートの時点で間違ってます。クレープはそのまま食べるんですよ」

「……しょうなんだ」


 首を傾げ、珍しく顔を赤らめた。元より白い肌なので、よく目立つ。


「……神は負けず嫌いなのだ」


 ぶつぶつと何か言っている。拗ねているらしい。可愛い。


「ほれ、教えてくれたお返しだ。神は借りを作らない」

「…………」


 ルレアは、自分のかぶりついた部分を僕に向けてきた。それでは───


「間接キスだな。神様と間接キスなんて、銀河に願ってもできないぞぃ」


 ……確かに。

 有り難く、頂いた。

 が。動悸のあまり、味覚はうまく働いてくれなかった。


       ◇


 ジェットコースターは透明な為に乗れないということでパス。

 お化け屋敷は死神からすると滑稽すぎて楽しめないのでパス。


 閉園ギリギリの遊園地まで来たというのに、二大巨頭を潰されてしまった。

 都内の施設ということもあって、大して広いわけでもない。残るアトラクションは、観覧車のみだった。


 ゴンドラの窓から、彼女は夜景を眺めている。

 髪から爪先までのどれを取っても端麗な彼女が、風景に見惚れながら月光のスポットライトに当てられている様は、額縁で飾ってもなお粗末に見えるのだろうと思った。


 やっぱり、綺麗だ───。


 ゴンドラの中では、僕も彼女も、口を開くことはなかった。


       ◇


 遊園地は閉園になってしまうとのことで、僕とルレアは入園ゲートのすぐ側のベンチに座っていた。


 彼女は疲れてしまったようで、僕の膝に頭を預けて、寝てしまっている。神様にしては随分な態度だし、人生最後の日に美少女に膝枕をしている状況もどうかしている。もちろん。これっぽっちも悪い気はしないのだが。


「…………」


 寝顔は、綺麗というより子供じみた可愛さがある。すーすーと寝息をしながら、時に「血の池卵ぉ……」という寝言を吐いている。

 僕は、無言で携帯をポケットから取り出すと、親に電話を掛けた。


「しもしも」

『あんた、歳バレるわよ』


 産みの親の台詞ではなかった。


「ごめん、今日遅くなってる」

『現在進行形なのね。いい度胸してるわ、あんた。ちなみに理由は?』

「彼女とデートしてる」


 彼女というのはガールフレンド的な意味ではなく、二人称的な意味だ。

 もちろん。相手からすればソッチを想像するのが当然の末路なのだが。


『へぇ……あんたが、女、ねぇ。もしかしてあんた今日死ぬんじゃない?』


 図星なんてレベルではなかった。


「どうだろうね」

『ま、いいさ。警察には世話になるなよ、この時間』

「分かってるよ。ありがとうね」

『ありがとう……ねぇ。あんたが、親に、感謝……。あんたもう死んでんじゃない?』


 それはただの失礼だった。


 友人達にも、一応他愛のない会話をした。彼女のことは言わなかった。


 最後にみんなの声を聞いても、どうしても未練とやらは生まれなかった。親に愛されなかったわけでもなく、友人関係に悩まされたわけでもない。


 人は、いずれ死ぬ。

 誰もが一度は想像し、恐怖し、目を逸らす精神障壁。その想像が、人一倍強くできてしまったのが僕の人格だったのだろう。いずれは死ぬという脱力感。脱力したまま、僕は日々を生きていた。だから彼女死神を受け入れられたし、死を恐れることもなかった。死の想像をするようになってから、幸福なんて微塵も感じられなくなっていた僕だが、彼女との出会いは、幸福と断言できる。……やはり僕は酔っている。


 僕は、彼女の頬をつついた。

 流石神様。

 この世のなによりも触り心地が良かった。生きていて良かった。


       ◇


 昼寝(十二分に夜だが)から目覚めた彼女は、散歩をしようと言い出した。


 歩き出してから数十分ほど。無言の旅は、唐突に終わった。


「一目惚れ、か……」


 心が『ぎくり』と台詞を吐いたような気がした。


「恋愛、ラブコメ……人間ってのはどうも回りくどいな」

「嫌いなんですか?」

「いいや。好きだよ。あの世でもよく読む。ひとつ質問だ。君はなぜ、人は人のことを好きになると思う?」


 彼女の顔つきは、至って真面目だった。


「なぜ、なんて理由は無いと思います。好きだから、好きなんです。そこにプラスもマイナスもありません。人が相手を好きになった時、心の壺は『好き』という文字で一杯なんだと思います。だからなにも考えられなくなるし、莫迦バカにもなるんです」


 遺言にしては、実に正直な台詞だった。やっぱり未練はない。


「神様は、恋しないんですか」

「してるよ、君に」

「え」


 心が『ばぐん』という台詞を吐いた。


 と。

 彼女は声を上げて笑いだした。


「いやいやいやいや。その顔だよその顔。そのふて腐れたようなしかめっ面エブリデイみたいな顔を一度でいいからぶち壊してみたかったんだよ。あの世で君を見つけたときから、ね。いいかい?人の死に死神がわざわざ出向くなんてあるわけないだろ?あんなのまやかしだよ。一日に人間が何人死んでると思ってんだ。過重労働にもほどがある」

「……満足ですか、これで」


 僕は、たぶん、信じられないほど顔を真っ赤にしてる。


「うんうん満足大満足。……あ。そういや、そろそろ時間ね」


 二十三時五十八分。


「僕の死因は、交通事故ですか」

「うん。君に車が突っ込んでくる。変えられない未来。絶対的な運命さ」

「そうですか。神様、最後にひとつ、聞いていいですか」

「あぁ、いいよ」

「神は負けず嫌いなんですよね?」

「……そんなこと言ったかな」


 二十三時五十八分。


「質問ですよ」

「…………そう、だけど」

「そうですか。これは、あの世への土産話にでもしといてください。実はですね、人間も、わりかし負けず嫌いなんですよ」


 言って、僕は、彼女の口に唇を重ねた。


「大好きです。一目惚れでした」


 告げて、走り出す。

 頭が痛い。視界がぐらつく。恋の酔いは、とうとう視界にも回ってきたようだ。平衡感覚が無い。自分がどっち向きに走ってるのかも分からない。


 そして、時はやって来た。


 響く警笛クラクション

 僕の体を突き刺すヘッドライト。

 走馬灯と共に、ゆっくりと死を運ぶ白き猛獣の姿。


 ドンッ、という鈍い音がして、僕の視界は真っ暗になった。


       ◇


 神が恋を理解することは不可能だ。


 私は、結局、人間の真似事しかできないのだから。私の心は偽物で、平等な価値観の元でしか揺れ動かない。誰かのことを想って心を一杯にするだなんて、神様には出来ない芸当だ。


 そう、思っていた。

 彼を此処地獄で見つけたときまでは。


 一目惚れ、でした。

 惚れちった。

 惚れちゃいましたよええもう。

 でも、地獄のみんなに、神様が恋をしたなんて言えるわけがない。

 誰にも言えない恋ってか。あぁなんて甘酸っぱい。


 をでっち上げて告白を禁じちゃう私も充分恋の甘酸っぱさに取り憑かれているのだろうけど。


 でも、その感情が本当のものとは断言できない。私は死を理解できても、愛は理解できない。……だから、今度試してみる。


『───貴方は死にます。交通事故です。車であの世へGOです。大した善も徳も持ってないので───』


 

 さて。次のはじめましてはなんて声をかけようか。『今日から地獄の遣いデース』とか。

 あぁ、やっぱりこれは恋だ。神様だってドキドキするのだ。ちょっぴり緊張だってするのだ。

 よし、この際気持ちを入れ換えよう。私と彼は、明日初めて出会うって設定だ。そこでまた、彼を好きだと思ったのであれば、やっぱりこの恋は本物なのだろう。

 あーやばい。何千年と生きてきて、こんなに明日を楽しみと思ったことはない。元々、にも此処にも明日なんて概念は無いのに。

 でもいいでしょう。明日って言葉は、とってもロマンチックだし。


「明日からの、一目惚れ」


 名残惜しそうに唇に指を当てて、死神は、笑った。


           /おしまい

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