時雨と遅めの朝食(三人称視点)

「……ご主人様、起きて。もうお昼だよ…………――おい起きろ、起きろっ」

 ぽすぽす、と布団が音を立てる。

 マッサージとでも思っているのか、心地良さそうに眠るご主人様――もとい、薫は起きる気配がない。

 時雨は小さくため息をつき、布団に手をかける。

 ――そして、勢い良く引っ剥がした。

「ん゛ー……」

「……おはよう」

「うん、おはよう……"ちゅー"か"ぎゅー"」

「しない」

 氷河期の到来を思わせるような冷たい視線――それを向けたところで、薫には効かないのだが。


 薫を無視して台所に向かった時雨。

 冷蔵庫を開ける。食材を確認し、遅れてやってきた薫を振り返る。

「……オムライス作ってあげる」

「やったあ! ……ところで時雨、着替えないの?」

「やだ。燕尾服を着るのはあの格好するのめんどいし」

 そんなやり取りをしながらも、時雨は着々と準備を進める。

 冷ご飯をレンジで加熱。その間にカット済のウインナーとミックスベジタブルを炒めて、そこにケチャップを混ぜ合わせて――。

「ご主人様、お皿出しといて」

「はーい」

 戸棚を開けつつ薫は思う。

 ――自分が中学生の頃は、どれだけ料理ができたっけ。調理実習では砂糖と塩を間違えかけて、家では卵を爆発させて……。

「やめよう、やめやめ……」

 過去に構ってる暇はないぜ――なんて海外ドラマの主人公みたいなことを言いつつ、テキパキとした動きで調理を進める時雨に尊敬の念を抱く薫だった。

「……時雨、何か手伝うことある?」

「んー、じゃあ……葉っぱ洗っといて。洗ったらお皿の端に盛って」

「おっけー」

 薫が野菜室を漁り始める――それを横目に、時雨がフライパンにバターを落とす。卵液を流し込めば、じゅわりといい音が響いた。

「……ねぇ、時雨」

「なに? 今忙しいんだけど」

「今度、オレもなんか作ってみようと思うんだけど――」

 薫の言葉に時雨は思わず目を丸くする。

「……なんで?」

「だってさ、オレだけ何もしないのは悪いじゃん? 『ご主人様』とはいえ、いつもみんなに任せっきりだし」

「んー……じゃあお寿司おごって。ご主人様、料理できないんでしょ? だったら――」

「――あ、手巻き寿司! 手巻き寿司ならご飯炊いて酢飯にして海苔出して……具もお刺身切るだけだし! よくない?」

「…………カルビ巻きも食べたい」

「いいね。サンチュがいるかな。お刺身は何食べたい? オレは……エビ、イカ、イクラ、ホタテ…………ふふ、北海道フェアみたい」

「マグロは?」

「もちろん。あ、ネギトロも買おっか!」

「あとサーモン」

「入れよう入れよう! イクラと親子巻きもしたいなあ」


 ――しばらくして、食卓にはオムライスとサラダ、コーンスープ、フルーツヨーグルトが並んだ。

 薫はオムライスの上にケチャップで絵を描いている。時雨にスマートフォンで録画されているからか、いつにもまして気合が入っているようだ。

「できたー! ……時雨、ドラえもんとのび太くんどっち食べる?」

「その言い方やば、敵みたいじゃん」

 くすくす笑う時雨の姿に、薫は少しだけほっとする。

 昨日から、彼の姉である雪音と妹のひなたが、久々に泊まりの外出をしている。表に出さないだけで、時雨も寂しさを感じる部分がある――それを、薫はしっかり理解していた。

「……いただきます」

「いただきまーす」

 兄にはなってやれないけれど、せめて『ご主人様』として、可愛い使用人に何かをしてやりたいと思う――薫はそう思っていた。

 ――薫がオムライスを口に入れる。

 卵の優しい味とウインナーの旨み、そしてケチャップの酸味……幸せだ、と薫は満面の笑みをたたえる。

「おいしい! いやあ、この一口のために生きてるって感じだなあ」

「……ご主人様、おじさんっぽい」

 スプーンでオムライスを一掬いしながら時雨が軽口を叩く。しかしその表情は嫌悪を浮かべるどころか、なんだか機嫌が良さそうだ。

「いやー、オレも余裕でアラサーだしね。これからおじさん一直線だよ、ふふ……やだねー」

 薫は冗談めかして笑いつつも、手を止めずに食べ進める。自分との食事を、時雨が楽しいと思ってくれているなら嬉しい――そんなことを考えながら。


「天気いいな……」

 食器を片付けた時雨が、そう言ってソファーにもたれかかった。リビングにまで日差しが差し込む、ぽかぽかとした心地よい陽気――このまま少し昼寝してしまおうか、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 ――そして一度部屋に戻った薫が、時雨の隣に腰かける。

 タブレット端末のスリープを解除して、鼻歌混じりにペイントソフトを起動して……時雨と同じように、彼もまた天気の良さに気付いたらしい。

 テレビはついていないし、会話も特に始まらない。

 けれど、穏やかな時間が続いていた。

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