小さなお客さま

結城芙由奈

小さなお客さま

 東京下町にある、小さな古いレンタルショップ。


ここは私(神崎早苗 28歳)の祖父から受け継いだ店であり、私はオーナーとしてこの店で働いていた―。



午後2時―


カチコチカチコチ…


薄暗く、縦長の小さなお店に時計の音だけが響いている。


「フワァァア…今日も暇ね…」


私は欠伸を噛み殺しながら、お客が1人もいない店内で持ち込んだノートPCのキーをパシパシと叩いていた。


 入口からまっすぐ伸びた通路の真正面にカウンター。そしてその通路を挟むように、天井まで続く棚。この棚には古いレコードやら、今では誰一人として借りる人がいないVHSの古いビデオ映画等が並べられている。そして真っすぐ伸びた通路の突き当りにあるカウンター。


 私はそこのカウンターに陣取って、もはや本業になりつつあるウェブデザインの仕事をしていたのだが、眠気の方が勝って来てどうにも仕事が捗らない。


「よし、こんな時は濃いブラックコーヒーね」


ガタンと席を立つと、カウンター裏側についている引き出しから財布を抜き取り、奥の勝手口から扉を開けて店の外へ出た。



外に出ると5月の多い空と、眩しい太陽が照り付けている。


「外は随分いい天気なのね~」


店の正面に回るとそこは商店街の立ち並ぶ大通りで、大勢の人々が行き交っていた。


「ふ~ん…外はこんなに沢山人が歩いているのに…誰もうちの店の前では足を止めて中に入ってくれないのね…」


ブツブツ言いながら、店の直ぐそばに置かれた自販機の前に立つと小銭を入れた。


「やっぱりブラックのアイスコーヒーかな?」


ピッ


ブラックアイスコーヒーのボタンを押した。


ガコンッ!!


大きな音と共に缶コーヒーが落下して来る音が聞こえた。早速身をかがめて取り出し口から缶コーヒーを取り出して…。


「うん、つめた~い。これなら眠気が覚めるかもね」


私は缶コーヒーを手に、店へと戻った―。




****


「え…?」


裏口から店に戻ると、小さな男の子が1人でカウンターの前に立ち、物珍しそうに首を動かし、辺りをキョロキョロと見渡している。私が戻って来た事にも気付いていないようだった。


「え?どうしたの?迷子かな?ママはいないの?」


声を掛けると、男の子はやっとこちらを振り向いた。


「うん。ママはいないよ」


ひょっとして父親と買い物にでも来たのだろうか?


「それじゃ、パパは?」


「パパもいない。おばあちゃんなら家にいるけど」


男の子は無邪気に答えるけれども、その言葉で分ってしまった。

きっと、この子も私と同じ…。両親を亡くして、祖母に育てられているのだろう。

尤も私は祖父にそだてられたのだけれども…。


「1人でこの店に来たの?おばあちゃんが心配してるから家に帰った方がいいよ?お姉さんが送ってあげるから」


「本当?ありがとう。僕ね…お金持ってきたの。お客様だよ?」


そう言うと、男の子はポケットに手を突っ込むとカウンターの上にお金を置いた。

そこには500円玉が1枚乗っていた。


「僕ね~…頑張って一杯お手伝いしてレンタルする為にお小遣い貯めたんだよ」


男の子は自慢げに言う。フフ…何て可愛らしいんだろう。


「本当?偉いね~確かにこの店はレンタルショップだけど…何を借りに来たの?」


子供の可愛いお遊びに少しだけ付き合ってあげる事にした。


そして、次の瞬間私は驚くことになる―。


「うん、パパとママを借りに来たの」




****


私の店から歩く事、約5分。商店街の裏手に男の子の家はあった。


「ここだよ、僕のおうちは」


「ここがまーくんのおうちなの?」


男の子の名前は『まこと』君。そこで私はまーくんと呼ぶことにしたのだ。


平屋建ての…築50年以上は経過していると思われる古い木造住宅。玄関は今時珍しい引き戸になっている。


「ここに僕とおばあちゃんが住んでるの」


家は垣根でぐるりと覆われ、その向こうには小さな庭と物干し台も見える。

本当にレトロな印象の家だった。


「じゃあ、お姉ちゃんはもう帰るね?」


ここまで送れば大丈夫だろう。背を向けて帰りかけた時、男の子に手を引かれた。


「ねぇ~帰らないで。レンタルの事おばあちゃんにも話してよ~」


「え…ええっ?!」


そ、そんな…!



****



「まぁ…それは、わざわざ申し訳ありませんでした…」


ちゃぶ台の向かい側に座った60代頃かと思われるおばあさんが私に頭を下げて来た。


「い、いえ。どうか顔を上げて下さい」


そして私は隣の部屋で寝そべってクレヨンでスケッチブックに絵を描いているまー君を見た。


「でも、驚きました。まさかお店に現れたあの男の子が、パパとママを借りに来たと言って来店してきたのですから。確かに私の店はレンタルショップですけど扱っている商品はレコードとビデオだけなので」


私は苦笑しながら言った。


「そうですか…まー君がそんな事を…」


おばあさんは寂し気に笑うと続けた。


「あの子の母親は私の娘だったのです。あの子が3歳の時に…たまたま私が預かったのですけど、娘が夫を駅まで車で迎えに行った帰りに交通事故に遭ってそのまま…」


「そうだったのですか…」


可愛そうなまー君…。


「実は今度の土曜日、幼稚園の運動会があるのです。毎年、私が参加していたのですけど心臓が悪くて、お医者様から運動会には出てはいけないと言われて…」


「それで、まー君はパパとママの代わりになってくれる人をレンタルしに来たのですね?」


「はい。本当に…ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。あの子には私から良く言って聞かせますので…」


「…いいですよ。そんな事されなくても」


「え?」


「私がまー君にレンタルされます!あ、お代なんかけっこうですからね?それにパパ役の人もお任せください!心当たりのある人物がおりますので!」


私は自分の胸を叩いた。

そうだ、両親のいない寂しさは私が一番良く知っているはず。

だから助けてあげなくては―。




****


「ええええっ?!な、何で俺がっ?!」


午後9時―


居酒屋で交際10年目の恋人の進一が大きな声を上げた。


「シー、静かに!ちょっと、落ち着いてよ。ここはお店の中なんだから」


「あ、ああ…悪い。でも…かなり驚いて…」


「いいじゃない。これも人助けと思って、パパ役で運動会参加してよ。たったの3時間でいいんだから。ね?お願い!」


私はテーブルに頭を擦り付けた。


「わ、分ったよ…。仕方ない、引き受けてやるよ」


私の頼みを断れない、進一はしぶしぶ引き受けてくれた。



こうして、私と進一はまー君のレンタルパパとレンタルママになることが決定した。




****

 

 

 そして運動会当日の午前8時―


私と進一はまー君の家に彼を迎えに来ていた。おばあさんは何度も恐縮しながら、私達に手作りのお弁当を持たせてくれた。


まー君と進一は初対面だったけれども、すっかりまー君は進一に懐き、まるでその姿は本当の親子の様に見えた。



「よし、それじゃ幼稚園に向けて出発!」


こうして私達はまー君を真ん中に、手を繋ぎ合って幼稚園へと向かった―。



****



 この日私と進一は、まー君のパパとママとして一生懸命競技に参加した。玉入れや、パン喰い競争、親子ダンスや保護者による徒競走…。


そして3人で食べるお弁当…。


運動会は午後2時で終わり、私達はとても楽しい1日を過ごす事が出来た―。



「フフフ…まー君。疲れちゃったんだね。すっかり眠ってる」


「うん、そうだな」


幼稚園の帰り道。

まー君は余程疲れてしまったのか、進一の背中の上で眠っている。


「なぁ、早苗…」


進一が神妙な顔で私を見た。


「何?」


「子供って…いいよな。小さくて…温かくて…」


「うん、そうだね」


「それじゃ、結婚するか?」


「は?いきなりっ?!」


「え?駄目だったか?」


進一は目を見開いて私を見た。


「いやいや…駄目って事は無いけど…一応、プロポーズに夢を持っていたから…」


そう、例えば夜景が綺麗に見えるお洒落なバーでとか…。


「そっか…ムード無かったか…」


しゅんとした様子で進一が言う。


「ううん、そんな事無いよ。これはこれでいいと思う」


私は笑みを浮かべた。


「そっか…なら良かった。それで返事は…?」


「当然イエスだよ。あ、ついでに私も進一に話したい事あるんだ」


「何だい?」


「あのレンタルショップだけどね…店仕舞いしようとしていたけど…やっぱりもう少し続ける事に決めた。だってあの店を必要としてくれるお客さまがいるんだもの」


「そうだな…。早苗の好きにするといいよ」


「うん、そうする」


その後私達は結婚の具体的な話をしながら、まー君を家まで送り届けてあげた―。




****



それから数年後―



まー君のおばあさんは心臓の病気で亡くなり、夫婦になった私と進一はまー君を養子に迎えた。


こうして私達は本当の家族となった―。



<完>




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