転がる少女は不機嫌

里岡依蕗

第1話


 失態を犯す毎日で、これはそろそろ寿命かな、と懸念していた矢先の出来事である。


 賑やかなゲームセンターのマシーンが並ぶ通路を辺りの目を気にしながら歩いていると、目の前で見た事のない少女が大の字になって床に寝転んでいた。


 「あぁもうやだぁー、もうやばい、まじやばいー! これどうすりゃいいわけ? ……あぁもう! 」

 まるで自分の家のリビングにでもいるかのように、腹から声を出して叫びながら、万歳のポーズをしたまま右に左にと転がり始めた。マシーンの音と同じくらいのボリュームで叫んでいる。


 「まじやばいー、無理ー! 」

 俺からすれば数多の人物が通り過ぎた年季の入った赤いカーペットをゴロゴロ転がるあんたこそやばいぞ。しかし、彼女にそんな事をさせる何かがあったんだろう。そう思うようにしないと、一体何があったのか聞きたくなるほど、彼女の装いと行動がかけ離れている。

 目の前で転がっているのは、ぴっちりと黒いスーツを着て、黒髪を一つ結びした少女———おそらく就活中の学生のようだ。


 本日は平日、しかも正午にもうすぐなる辺りだからか、客は今見る限りではこの通路は俺と、この転がる少女しかいない。店員はおそらく反対側の通路にいるんだろう。少女が何かに対して苦言を放ちながら転がる異常事態でも、全く駆けつける気配がない。


 「もう、何でー? ありえないんですけどー? 」

 少女はひたすら何かに対して文句を言いながら転がっている。俺の気配に感付いているのかは分からないが、転がるスピードはゆっくりになり、声は少しずつ小さくなっている。


 「……はぁ」

 とうとう疲れ果ててしまったのか、ついに転がるのを止めた少女は、虚な目で身体中に付いた埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。そして通路の脇にある柱に寄りかかるように、力尽きたかのように座り込んだ。


 「どうしたらいいんだっての……」

 もし就活中ではあれば、希望の会社から内定をもらえなかったのかもしれない。新入社員であれば、何か上司から嫌味やら言われて噛みつかれたのかもしれないな。

 まぁ、そこまでは分からなくもない。そんな経験は誰にでもある。ただ、だからといって床を転がる事はまずないと思う。普通なら自分のベットや自分の部屋の床、百歩譲って家の廊下ならまだ分かるさ。一体何があれば突発的にスーツのまま、ましてやこんな繁華街にあるゲーセンの床を転がろうとするんだ? 


 「……どうしたんです、か? 」

 気がつけば俺は、体育座りをして動かなくなった少女に声をかけてしまっていた。


 「うぅ……ひっく……あぁもう……」

 少女はうずくまったままで、声を押し殺しながら泣きじゃくっている。

 「……あ、え、あの……」

 まずい、たった今俺を見た人物からすれば、完全に不審者扱いだ。何の取り柄もない平凡なサラリーマンがしゃがみ込んだ埃まみれの少女に声をかけるなんて、ナンパというより連れ去り、もしかしたらパワハラしたと思われるかもしれない。


 「あ、えっと、お怪我はないですか? 大丈夫、ではないですよね、すみません。えっと」

 「……貴方も私を貶すんですか? 私をただの使い捨てだと罵るんですか? 」

 しゃがみ込んだ少女は怒りを押し殺したような声で顔を上げずに呟いた。相変わらずこちら側のフロアには人が見当たらない。店員は何処に行ったんだ? 

 「そ、そんなんじゃなくて! ただ、転がりまくってたから何かあったんじゃないかって心配になっただけです! 」


 しまった、思わず大声をだして反論してしまった。少女は一瞬身震いをして、ゆっくりと頭を上げて俺の顔を疑わしそうに睨んできた。そんな顔で人を見つめるんじゃない、怒鳴ったのは悪かったけどさ。


 「……本当ですか? 都合の良い捨て駒を見つけた、とかじゃなくてですか? 」

 「初見の女性にそんな思考を持つ奴がいるわけないじゃないですか、どんな奴ですかそれは。とにかく、こんな所で転がったら、埃まみれになっちゃってスーツが台無しですよ。何があったか知らないですけど、折角ここに来たんなら何か遊んでいけばいいじゃないですか」


 面倒な奴が絡んできたとでも言うように、少女はゆっくり腕の埃を払いながら、ギロッと俺を見上げながら睨みつけて、すぐに下を向きながら話し始めた。

 「……そうするつもりでしたよ、だけどうまく取れなくて、もうむしゃくしゃして……あぁやって転がってただけです。ほっといて下さい、落ち着いたらまたやり始めますから」

 会社で捨て駒のように働かされているイライラと、何か欲しかった景品が取れなかったイライラが混ざり合って頂点に達してしまったって訳か。分からなくもないけど床を転がりはしないな、普通。



 「あぁ、まぁた来てたんですか……。 対応が遅くなり大変申し訳ございません。お呼び出しはこちらのお客様でしょうか? 」

 声がした方に目を向けると、短髪好青年といった感じの背の高い制服を着た店員が、ザ・営業スマイルを貼り付けてこちらに歩いて来ていた。また……と言う事は、少女はここの常連客なのか? 


 「またってなんですか、随分来てなかったでしょ? いいカモなんだから優しくしてくださいよ」

 「ここでは一人のお客様だけに特別優遇はしないですよ、皆様平等ですから」

 なんだ、随分親しい感じじゃないか。俺はお邪魔だな。しれっと帰るか……


 「あ、お客様! 先程はこちらのお客様がご迷惑をおかけ致しました。私の方からお客様にもお話しさせて頂きます」

 出入口に向かって歩を進めていると、店員に呼びかけられた。何だ、この店員は彼女と何かあったのか? 


 「あ、いえ。俺は別に迷惑じゃないですけど……彼女、知り合いですか? 」

 「左様でございますね……知り合いと言いますか、何度か対応させて頂いた事があるお客様で……声に気づきはしたのですが、駆けつけるのが遅くなり申し訳ございませんでした」

 手を前に揃えて深々と頭を下げられても困る、俺は別に迷惑はしていない。ただ転がる少女を生で観たのは初めてで、ちょっとびっくりしただけだ。

 「あ、もう結構ですから。謝らないで下さい、ほら、あの、彼女を手助けしてやって下さい。なかなか取れないって転がってたらしいんで、じゃあ、失礼します! 」


 丁寧な対応にむず痒くなって、適当に言葉を並べて足早にその場を離れた。しかし、何となく続きが気になってしまい、適当に選んだ出入口近くの小さいクレーンゲームに百円を投じて、何事もなかったかのように装って聞き耳を立ててみた。



 「……はぁ、何で今日出勤なんですか。いないと思ったのに」

 「それは違いますよね、俺が出勤の時を選んで来てるの、分かってますから。さて、今日はどちらが取れなかったんですか? 」

 不貞腐れたように話す彼女に、店員は慣れたようにさらっと言葉を返した。にこやかな話し声が染み付いているようで、もしかしたらベテランなのかもしれない。

 「……そこの柴犬です、十回はやりました。私が下手なだけかもしれないですけど、あと何回やれば取れるんですか? 」

 鍵を開ける音がした、マシーンの扉を開けてぬいぐるみを移動させてくれたのかもしれないな。

 「そこはお客様次第です、頑張って下さい! それでは」

 「ね、ねぇ! 」

 立ち去ろうとする店員を少女は少し悲観げに呼び止めた。

 「これ……別に追っかけにはならないですよね? 昼だし、ゲーセンだし、大丈夫です、よね? 」

 しばらく騒がしい店内音だけが響き渡り、丁度俺の操作していたマシーンもようやく小さいタコをがっちり捕まえて出口に向かって進み始めた。


 「……俺はもうここの店員ですから、関係ないですよ。またお待ちしてます。ただ、呼びたい時は普通に呼んで下さい。他のお客様に迷惑かけないで下さいね」

 「……ふふっ、優しいのはあの時から変わらないんですね、ありがとうございます」


 なんだか、知らなくていい関係を知ってしまって気がする。がっちり捕まえたはずのタコは、入り口手前で落ちてしまった。


 「……よっしゃあ! 取れたぁ! 」

 『おめでとうございまぁす! 』

 店内に景品ゲットの知らせとして甲高いベルの音が鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転がる少女は不機嫌 里岡依蕗 @hydm62

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説