不揃いな足

押田桧凪

第1話

 二足歩行をやめた。人間にとっては、それが一番最適な歩き方だったそうだ。わたしには向いてなかったみたいだし、もう当分必要ないだろうと思う。



 はじまりはバスケットボールの授業だった。球技が嫌いだった。駒の動かし方もよく分からないまま将棋やチェスをさせられているような感覚だった。大局観が無かった。わたしは、捨て駒のようなものだった。トラベリングはおろか、コート、フィールド──バスケをするこの空間を何と呼ぶのかも知らなかった。ボールを取られないようにするというルールだけは分かった。

 じゃあ、カエルとかバッタみたいになればいいじゃん。姿勢を低くするほど、相手がボールを取りにくくなるし、別に、反則にはならないでしょ? わたしはそう考えて、実行した。


 「転ばない方法より上手く転ぶ方法を」。何度転んでも、ハイハイで立ち上がる。短い人生の中でわたしが学んだ教訓のひとつだった。ハイハイは完成された一つの様式で、人間になる上で重要な過程だ。今まで使っていなかった体の一部を呼び覚ますようにして、わたしはハイハイでそこらじゅうを動き回る。勝てなくていい。何時間も何十時間も習い事で練習した人や元から備わった運動能力を持った人には勝てない。それがこの世界の不公平さの根幹を成してるから。でも、ほんのちょっとだけ魔が差した。何かに抗いたかった。向き不向きで決まらないものって何だろう。神は二物を与えず。そうでも思わないとやってられなかった。


 ホイッスルが、鳴る。わたしはハイハイの状態のまま制止を余儀なくされた。煩わしさのこもった目つきで先生は静かに言った。

「ちょっと、来い」

 ざわっと波打つように一斉にわたしのほうにみんなの視線が注がれる。その場にいた一同が揃って息を呑むのが分かった。

「体育が嫌いなのは分かるが、この先どうする。高校でもそうやって逃げるのか」

 その言葉は的確だった。だから、わたしは反発したかった。情けなさよりも怒りが勝っていた。

「先生。わたし、歩くのやめたいです」

 頭を冷やしてこいと先生に言われたが、わたしはハイハイのまま冷たい廊下を歩いた。ずっと、歩いた。他のクラスは授業中だったが、低姿勢のまま通ったからなのか、あまりにも動きが遅かったからか、誰にも気づかれることがなかった。咎められなかった。校門を出て、わたしはまっすぐ家を目指した。

 体育の先生はわたしにやさしかった。けれど、正解から外れた人間に世界はやさしくなかった。



 擦り切れたスカートの端。アスファルトに食い込む膝小僧から溢れ出る赤い血を見て、小学校の時に運動会で派手にこけたことを思い出した。ああ、這いつくばって生きるのにもエネルギーがいるもんだ。ただ生きるだけでも痛いんだと思い、痛いのは生きているからだと納得した。二足歩行をやめてから──もしくは、生まれてからこんなにも生を実感できたのは初めてのことだった。これが原始だ。わたしの体が正常に機能しているのだと思った。

「さあちゃん? 今日は帰りが遅かったねぇ」

 何にも知らないお母さんはハイハイで玄関までたどり着き、足を犬のようにバタバタさせながら地面に靴底を擦りつけるようにして、勢いだけで靴を脱ごうとするわたしの姿を見ても何も言わなかった。くもり空を見たことがない遊牧民のように穏やかで能天気だった。笑顔を崩さず、何も察しない。

 お母さんはみっともないとも、汚いとも、消えろとも言わなかった。普通の感覚がみんなとずれたのはお母さんのせいだと言うには十分だった。優しさは全ての感情を紛らわしてしまうのに、どうしてわたしは苦しめられているんだろうと、なぜか涙がこぼれた。心が動かなくても、目から水を垂れ流し続けるだけの肉体になった。


 疲れていた。着衣に付いた泥を払うことはしなかった。お母さんが手際よく用意した桶に入った、お湯に浸したタオルで、顔を拭いた。足を洗った。そのまま、階段につっかえながらも、肌に残ったお湯のぬくもりだけを頼りに、何とか登りきった。

 二階の自室につくと、すぐに横になって天井を見上げた。幸福だった。携帯を開く。画面の鈍い光がわたしを照らす。エリマキ先生の動画が更新されていないことを確認して、眠りについた。


 自分に合った生き方や居場所を見つけてそこに安住するのが正解なら、なんでわたしは普通じゃないんだろう。枠にはまらないわたしはいつだって枠にはまることを恐れていたけど、おかしくなろうと思っておかしくなったわけじゃなかった。


 家族に不満はなかった。

 『念願の一人娘に対して父親は冷たい態度を取る』という記事を以前ネットで見たような気もするが、お父さんはそれには程遠かった。愛情の裏返しなんて言葉は嘘だった。望まれない子とまではいかなくても、少なくともお父さんはわたしに不寛容で、酒が入っているというのもあるだろうが、お父さんはいつも怒ると手がつけられなくなって壁に穴を開けて殴るくらいだったから、わたしはお父さんの言いつけをしっかり守った。お母さんは逆に、物事全般にうとくて、お父さんの機嫌を取るのもわたし以上に下手だったけれど、わたしが外に出かけるときどんな格好をしようとも気にしないし、わたしが学校のことで問題を起こしたとしても嫌な顔一つせずのほほんと対応してくれるという意味では、お母さんはわたしの味方だった。お母さんの鈍感さは母親譲りで、おばあちゃんから「さあちゃんの好きなものを買っておいで」と言われ、はじめてのおつかいで一万円札をわたしに持たせた時も、お父さんだけが、子どもに一万円札持たせるとは何事だ、と怒った。

 凸凹の埋め合わせのような二人だった。だから、両親はわたしの教育方針で揉めるような事はなかったし、わたしが多少変でもお母さんがお父さんの怒りを緩衝材のように受け止めてくれるから、ある程度の平穏はこれまで保たれていたのだと思う。



 中学三年生になって、刻々とわたしを取り囲む環境に変化があった。

「えー、大きくなれるよ? 飲みなよ」

 胸の大きさのことを言っているのだとしたら、それはわたしに適合するアドバイスではなかった。

 第一、わたしは大きさを誇る主義が理解できなかった。将来のため? 赤ちゃんのため? どうして、大きいことが素晴らしいとされるの?

 わたしには分からなかった。

 女として美しくありたいと願ったのは、体ではなく精神だった。

 小学校では牛乳を飲まないと身長が伸びないよと常に言われ続け、中学に上がったと思ったら、ダイエットしないとねと焦り始める。一方で、二次性徴に差し掛かると、体重を増やさないと生理がこないよと言われる。


 性的なものへの見方の急速な変化がわたしにはわずらわしく感じた。生き物としての性とその欲求の解消。保健の授業で習うそれらの役目を果たすことが、女としての義務のように感じられて憂鬱だった。二足歩行が妊娠には向かないと知ったのもこの時だ。


 友達との理想の彼氏トークでも話題に上ったが、ドラマで見るような、結婚して女性がアクセサリーとして誰かに扱われるのは癪だという意見にはわたしは大いに頷けたし、自覚がないまま身体が発達し、わたしの中の何かが侵食されていくように感じて怖かった。現実と自己認識の乖離。そんな症状で済ませられるほど、わたしは単純ではなかった。


 「成長」と言うと聞こえはいいが、知らないうちに身に付けた能力を含めて、そう呼ぶのはやめて欲しかった。身体的発達、スキャモンの発育曲線。保健の授業ではそういった人体の「正常」な機能について教わってきた。

 だけど、わたしは細菌のように無性生殖で勝手に増えていくような効率が欲しかった。消費されたかった。これまでも、人間よりも楽で生きやすい植物──おしべとめしべだけで完結するような生き方を望んでいたこともあったし、無脊椎動物のように感情を持たないと見なされていることを理由に法的責任が問われない何かになりたかった。


 そう考えると、わたしは犬みたいだと思ったし、実際ペットの犬と同じだった。わたしは明らかに同じ見え方をしていた。そういう風に映っていた。外を出歩くときはコンクリートの地面用に、陸上選手がつけていそうなプロテクターを膝につけ、怪我をしないよう、軍手をするようにお母さんに言われた。食事は自室の前に置かれるようになった。


 学校にはたまに行く程度になった。ハイハイで登校して、ハイハイで下校する。許容される限度まで、校内でもその姿勢を貫き通し、当然、給食当番の役目は自動的に降板となった。

 登下校中に家の近くで顔を合わせる犬だけが、わたしを構ってくれた。わたしを見ると、同族だと思ったのか、キャンキャン吠える。その間、飼い主さんは一切わたしと目を合わせないまま、リードを強く握り締めている。

 みんなわたしの姿が視界に入ったらすぐに目を逸らす。それは向こうが関わらないほうが吉だと判断したからだ。リスクを背負ってまで口出しする事は無い。深追いしない。それが閉じた社会だ。あくまで空気として扱い、対処する。そこに倫理は介在していない。最初はわたしを奇異の目で見て、あからさまに避けるような態度をとっていた人たちも、次第に無関心になっていく。


 大人は客観的正しさを曖昧なものにしかできない。たとえそれがどんなに強固に形作られた法律だったとしても、公共の便益性だとか衛生の観点に基づいて、精査する。下される判決はいずれもわたしには不適合で、それが無駄だと気づいたのか、状況を黙認する。照らし合わせて初めて、それが間違いだと気づく。わたしは異物のまま、この世界に取り込まれていく。正しいとか、正しくないとかはそこにはない。でも、みんな本当は誰かにジャッジされることは嫌いで、これが正しいんだという、矯正された歩き方をしたい訳じゃない。他人に合わせることが、最も推奨されるやり方だったから。ただ、それだけのことだった。



 最近では駅前のペットショップに通うように言われた。これは、お母さんがわたしの髪が伸びてきたことを指摘して、新しいトリマーを探さないとねと冗談交じりに呟いたからだ。それを聞いたお父さんは、新聞のクロスワードを解いて動かしていたシャーペンの芯を折った。静かにまなじりを吊り上げ、大袈裟に顔をしかめた。沈黙が流れた。そんな呑気なお母さんが好きだった。


 ほどなくして、お父さんが怒鳴った。理解が追いついたのか、苛立ったように眉宇を寄せ、声を荒らげた。単語として一音一音がかろうじて聞き取れるような、引き裂けるような声で言う。生、き、恥、を、晒、す、な。「スキップをしようとしたら足がもつれたときのような速さで」という意味の音楽記号がもしあるならばまさにそれだった。抑揚が整っていなかった。緩急の付け方がおかしかった。その言葉はわたしには不適合だった。



 いとこの家に行った時、わたしが間違って、犬用のトイレスペースに足を突っ込んでしまった時のことを思い出す。びっしょりと濡れた靴下。においは、特にない。ただ、濡れたという不快感に加え、それが犬から排出されたものであることに嫌悪感が募った。気持ち悪い。惨めだ。人間と同じ、動物としての排泄行為であるのにどうにもその感覚がわたしの中で受け入れられなかった。それに似ているのかもしれない。きっと、お父さんは許せないのだ。内心では見下している存在が、頭角を現し始めたことに気づいた時のように。わたしと犬が「同じ」だという分類を許せない。切り離したいと願っている。けれど、わたしはわたしだった。

 二足歩行をやめれば、自由になると思った。誰かに気づいてもらいたいわけでも、心配されたいわけでもなかった。そんなのは傲慢だ。

 分かってもらえないと嘆くのが甘えだとすれば、体で示すしかないと思ったから。エリマキ先生の生きている動画の世界とは違って何かを見せるような役ではない。ただ、体で示す。生を受けた肉体をもって、わたしがわたしであることを証明するためには、こうするしかなかった。


 お父さんが椅子から立ち上がる。その拍子に、折り込まれたチラシが食卓からバラバラとこぼれた。視界の端に入った文字を拾い読むように、お母さんが声を上げる。嬉しそうにぱっと顔を輝かせ、頓着せずに淡々と会話を進める。

「ねぇこれ面白そうよ」

 促されるままにチラシを見やる。『赤ちゃんハイハイレース』。家の近くのショッピングモール内で開催されるイベントについて書かれていた。国民の祝日やらが並んでいる週にあるそうだ。不定期でしか学校に通わなくなったことで、休日の感覚が分からなくなっていた。

「やってみましょうよ、ねぇ?」

 柔らかく、透き通るようなその声に反して、頑迷なまでお母さんは言い張った。その決定に従うしかないように思えた。お父さんは軽蔑に近い諦念の色を顔に浮かべながら、もう何も言わなかった。寒気がした。わたしはお母さんにとって「何」だと思われているのだろう。わたしには拒否権はなかった。それがもし、犬だとすれば。



 空想のお母さんをいつも作っていた。空想のお母さん。小さい頃の習慣で、夜ぬいぐるみを抱かないと寝れないみたいなそういう存在だ。勿論やさしくて、ほめてくれて。そこは同じだけど、今と違うのは、わたしを叱ってくれること。それから、わたしのために泣いてくれること。

 今のお母さんの前じゃ、学校やめたい、とかはまだ楽に言えるんだろうけど、自殺したいとか死にたいとか、本当に思っていても言えないだろうから。分かり合えないだろうから。

 じんじんと高まる体温と急速に体の芯が冷めていく感覚の隔たりを知らないから言えるんだ。辛かったね、痛かったよねと傷だけを見て慰める。足りないその実感を言葉で埋めることはできない。

 お母さん、怪我したら消毒して絆創膏を貼れば治るのと違うんだよ。代わってもらいたいっていうのとは違うんだから。痛いんだよ。お母さん、ありがとう。ありがとう。でも、嬉しくない。泣いて、わたしを認めてほしい。あなたがそこに居てほしいって泣いてほしい。

 後頭部のくせ毛だけが母からの遺伝である証明だった。


 昔から、わたしは表情筋の使い方が下手だった。気まずい空気になったり、友達に気を遣わせた時に、うまく笑えてるか心配になった。

 これまでも、ダメなところがあったら言ってね、とわたしが言うと困惑する友達を見るたびに、ああ、わたしって全部ダメなんだ、手を付けられないぐらいに直すところがたくさんあって何て言おうか迷ってるんだなと気づくたび、惨めな気分になった。空腹を通り過ぎた時のえずくような気持ち悪さ。好きな人が同性愛者だと知ったときに「気にしてないよ」と理解を示したように振る舞いながら、内心ではすべての意味を拒絶していたときのような居心地の悪さ。全部、馬鹿らしかった。忘れてしまいたかった。


 動物の生態を紹介するユーチューバーのエリマキ先生がわたしは好きだった。アイコンはエリマキトカゲ。顔出しはしておらず、ほぼ声とフリーイラスト、動物の解説動画がメインだったが、わたしは面白いと思った。

 ナメクジにオスとメスの区別はない。ピラニアは狂暴なイメージがあるが、本当は臆病者で、ピラニアのいる水槽に足を入れても食べられない可能性が高い。ヤモリのしっぽは切れて再生できる所とできない所がある。キツツキという名前の鳥はいない。動物に関しての知識は全てエリマキ先生の受け売りだった。

 先週の動画で、エリマキ先生は言っていた。ネズミは人間には聞こえない超音波で笑うんだって。くすぐったいと笑って、機嫌が悪い時には笑わなくなる。不公平感を覚えると、嫉妬する。わたしの知らないところで、人間と同じ感情を抱いて、ネズミは鳴いている。

 わたしは赤ちゃんのように、泣くも怒るも全部おんなじ表情で吐き出せたら、どんなに楽だろうと思った。



 当日になった。北海道物産展、ご当地マルシェ、地元のアーティストの展示……。様々な催しが行われている中で、ハイハイレースを目的に訪れる人は少ないように思えた。

 3階FUN-FUN LAND内にある、ふれあいパークに到着すると、予想に反して多くの子連れ──当然だが、年端もいかない子どもたち、大勢の赤ちゃんが騒いでいる。丸くて柔らかい素材のクッションやソファーが並び、フリースペースでも、電車やつみき、ぬいぐるみにレゴブロック。おもちゃが無秩序に床に散らばっている。

「すみません、レースに参加したいのですが……」

「はい、どちらのお子様でしょうか」詰問に近い口調の声が聞こえる。

「うちの娘なのですが」

「娘」と認識されていることに、わたしは身震いした。嬉しさよりも気持ち悪さが勝った。気づけば喉はひりつくようにカラカラになっていた。

「すいませんが、一歳児未満の赤ちゃんを対象としておりますが」

 お母さんもうやめようよとわたしは言おうとしたが、それを遮るように、お母さんは続ける。

「どうして、ですか。どうして認められないんですか」

 あぁわたしって他の人から見ればこうなんだな、と思った。きっとお母さんに似ている。この姿勢ではよく顔が見えないけれど、怒っているような声がする。受付係の人の顔が硬くなっているのも容易に目に浮かんだ。


 その意志を貫こうとするために、たちまち信念は錆びていく。朽ちたまま、そこに留まろうとする。でも、よくよく考えてみると、わたしが悪いんじゃなくて、わたしに適合しない世界が悪いような気がしてきた。

 例えば、今ここに認知症のおばあちゃんがいたとして、その人が自分の歳を言い間違えたとしても許されるのに、どうしてわたしはだめなんだろう。言い間違えたのではなく、そのおばあちゃんの中では、当時の年齢のままなのだ。外見で判断するのは良くないとあれだけ散々大人は言っておきながら、わたしはこの場に拒絶される。不適切だと。

 「最近の若者」と括られることを嫌がっていたくせに、何か都合の悪いことが起こると、「若い人はみんなやってるよ」という言葉で逃げる。そういう矛盾に近いものを感じた。


 穏便に済ませたい係員は上のものと掛け合ってみますので、と言い残して従業員用の扉へ入っていった。その数分後、ひとの良さそうなおじさんがカウンターの奥から出てきて、にっこりと笑った。一位になっても景品は無いですがそれでもいいなら、ということだった。ためらいの滲んだ笑顔だった。


 レースが行われる場所に案内される。そこはマットの上にテープで仕切られた簡易レーンがあった。お行儀が悪い子たちは、この時点でテープからはみ出している。

 いちについてえーー、用意っ。はじめ!!


 一歳未満、三メートルのレース。制限時間は二分。わたしには、身長というリーチがあった。この場にいる令和生まれの誰よりも、わたしはかしこくて、そしてわたしだけが自我を持っていた。ある意味、今この瞬間、わたしだけが世界のしがらみから解放されて生きているただ一人の人間だった。

 存在が大事だった。ここにいる、と知らしめることが社会的訴求力につながるのだと、エリマキ先生は動画内で言っていた。みんながいう退化は、わたしにとっての進化だった。無為な毎日をやり過ごす手段だった。

 どこまでも遠くに行ける気がした。同時に、もうどこにも行けない気がした。

 結果、一位が獲れた。当たり前のようだが、こうして何かで一位を獲ることができるのは夢のような感じでもあった。ギャラリーからは終始ざわめきが漏れていた。



 家に帰りつくと、すぐに自室に籠った。寝転がった。生きているからお腹が空くのか、お腹が空くから生きているのかが分からなくなって、寝ることにした。昼夜のリズムもとうに崩れていた。時間を忘れて眠ることができるのは久しぶりだった。

 隣の家の誰かが窓を開けて歌っていた。うるさいな、と思った。数年前に流行った歌詞を思い出す。閉塞感のある世の中、生きづらさを、行き場のない気持ちを曲が代弁してくれていたことがヒットの原因だと、どこかのコメンテーターが言っていた。たしか、うるせぇなだった気がする。分からない。なにが違うのか。赤ちゃんが泣けば迷惑がられ、狼が吠えれば恐れられる。人前で泣くことも、なくなった。弱みを人に見せることもできなくなった。泣いたら、怒られた。

 うるさいと叫んでも、ところ構わず泣いても、赦される何かになりたかった。



 携帯を取り出す。インカメを鏡代わりに起動して、顔がやつれていないか確かめる。ツイッターを開く。健全に病みたいとつぶやいて、すぐに消す。ただ指の上を通り過ぎていく情報に心を落ち着かせる。わたしはひどく不器用だった。


 変わりたいと、変われないの気持ちがせめぎ合って、わたしを一生楽にしてくれなかった。何なら、もういっそ死のっか、とつぶやいて、誰からもいいねが来るはずもなく、数分後にはそれを削除した。

 生きることを本当に欲していたのなら、もっと前向きになれるはずだし、誰かと手を取り合って共生することを強く望んだはずなのにそうする気が起きないのは、きっとわたしが人間未満だからだろう。世の中の大抵のことは金と暴力で解決できると信じて疑わないような人だったら、わたしは、清々しく諦められたかな。全てを。



 わたしは一時期、整骨院に通っていた。わたしは右足と左足の長さが違うと言われた。これは猫背が原因だそうだ。もっと言うと、わたしの体は腰から歪んでいるらしい。ハイハイは骨盤の歪みを直すのに効くことをわたしはその時に習った。

 足は整形できない。

 右足と左足が同じならよかった。両利きならよかった。釣り合いが取れて初めてきれいだと言われるのに、どうしてわたしには不揃いな足があるのだろう。

 右か左のどちらかを利き手、利き足、利き腕……等のように生活・運動の属性に固定されることが憎らしかった。片方しか使えないってなんだか不便だなあと思った。けれど、わたしはその欠点を愛していた。ミロのヴィーナスのような、欠落を愛していた。



 共通の話題があったりお気に入りの映画が同じだったり、そういったことを介して、ひとと通じ合えることが羨ましかった。わたしには、そういう友達が周りにいなかった。だから、わたしはSNSにのめりこんだ。記号化された情報を必死に追って、解釈する。どういう意図で発せられた言葉なのかをひとつ残らず汲み取って、自分のものにする。わたしの体に埋め込まれたSNSは耳となり、口となり、目となる。エリマキ先生を追う。

 もう生きるのやめよかな、とつぶやく。すぐに、変なアカウントから返信があった。〈サアヤさんの呟きは負の承認欲求によるものではないでしょうか? 誰かから肯定されることを望んでいるだけで、実際はそれほど深刻ではない。ただ、……〉読むのも、返信するのも面倒くさくなって、投稿を削除した。携帯の画面も閉じた。



 気づけば、夜になっていた。昼寝のつもりで横になっていたら、いつの間にかカーテンの光が機能しなくなっていた。話があるから来い、と言われわたしは階段を下り、食卓へと向かった。お父さんが出てきて、わたしに目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

 お父さんの出した選択肢は二つあった。一つは、今まで通りの人間に戻ること(「戻る」という意味が分からなかった。わたしは、これが野生だと思っていた。わんと鳴くことはなかったし、人語を忘れることもなかった)。二つ目は、病院に通うこと。縁を切る・家を出るという選択肢もあったそうだが、お母さんの説得があり、この結論に至ったとお父さんは言った。

 弛緩した空気が流れる中で、わたしは混乱した。意味が分からなった。怖かった。素直に頷けなかった。無我夢中で、膝を滑らせるようにして猛烈な速さで、家を出た。呼吸が浅くなっていく。


 夜の散歩で横断歩道を渡るときに、危なくないようにとランドセルにつける防犯ブザーを一緒にどうかと言われたが、それはさすがにねと言って断っていた。その代わりに、小さい子供がキュッキュッと音の鳴る特殊な底になっている靴を履くように、わたしが外出時にいつも肩にかけるサコッシュに鈴がつけられた。チリンチリン、チリーン。どこに行くにも鈴が鳴った。鈴があることで、まだこの世界にわたしがつなぎ止められていることを実感できた。いまは、それが無かった。街灯のない夜道を進んでいたら、突然まぶしい光が射してきた。自転車が、来た。わたしは無力だった。運転している人に、わたしは見えていなかった。


 今まで何事もなくわたしを透過させてきた光は、急に質量を持って景色を飲み込んで消える。わたしは、知らない名前のバス停に下ろされてあてどない旅に出る時のような浮遊感に包まれた。


 どこまでも遠くに行ける気がした。同時に、不揃いな足──欠けた後ろ足ではもうどこにも行けない気がした。

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