エッセイ:接点は繋がる
気づかずご縁があった方と接触しているかもしれない。
一例を示せば初対面同士でも共通する事柄があることに気づき合い、話が盛り上がったり、目の前の人物に見覚えはないが相手は自分を覚えていて話かけられることもあった。このような奇遇話の一つを記しておく。
その日、恰幅の好い三人連れの紳士を横浜まで送ることになった。途中、車内で交わす客同士の会話が自然に耳に入ってくる。
連れの二名を送り最終目的地へと向かいながら、もしやこの方はと気になっていた。その気になることを尋ねると、やはり察した通り自衛隊に所属していると返答があった。
わたし 自衛隊の方々にお礼がしたかった。と前置きし事の次第を話した。
1966年2月、千歳空港を離陸した全日航機が羽田空港へ着陸する直前に東京湾沖へ墜落した悲惨な航空機事故を忘れることが出来ません。その乗客の大半は札幌で開催されていた雪まつりの観光客であり、私の恩師も搭乗していたのです。乗員乗客の全員が死亡した全日空羽田沖墜落事故の救助活動は主に自衛隊隊員が担当し御遺体や遺品等を引き上げていただいた、それが有りがたかった。そのお礼を自衛隊の方々にしたかった。と伝えると意外な言葉が返ってきた。
自衛隊員として救助活動を指揮した者は私でした。と・・意外にも意外、偶然にも災害派遣され救助活動の指揮された方が目の前にいる、しかもお礼を伝ることができたのです。事故から25年もの歳月を経ていたのですから驚きでした。
続けて話されました。
現場で隊員らは恐怖を覚え作業が進まなかったといいます。それは海中で浮遊するご遺体の手足、髪の毛、衣服が波間に揺られて動く光景がまるでゾンビのようだ、手招いている気味が悪いと隊員らは訴えてきたという、その有様が恐怖となって怯えていたといいます。そこで、私は隊長として部下に命令を下しました。事故死した方々のご家族の方々が一刻も早くご遺体と対面し引き取りたい、と願っておられる。この今、勇気を奮ってご家族のもとにお届けするのが我らの使命であると叱咤激励しました。と答えてくれました。
この稀有な出会い話をご住職にお話しすると・・
わたしが婚約中の相手がその飛行機に搭乗する予定でした。旅先での連結が合わずにキャンセルし別便にしたのです。もし彼女の旅路が予定通りに進んでいたならば事故に遭っていたと言いました。驚きました。
この後、白杖を使うご婦人と知り合ったとき、このような不思議なご縁があり事実を知りました、とお話をしました。すると・・かのご婦人は その話の続きがあると言うのです。どのように繋がる話だろうと興味が沸きました。
わたしの友達のお兄さんがスキューバ・ダイビングの会員で要請を受け救助活動を手伝ったと仰るのですからこれまた驚きました。
事故後二十数年を経て航空機事故に関与した幾人かとの稀有な出会いに私は改めて話してみなければ分からなかった、聴いてみて話してみなければご縁があった方々との不思議なつながりを知りえなかったと想いに浸るのです。
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