君の頭の中にも宇宙が入っているんだ

リュウ

第1話 コンコースで(白羽真琴)

 第1章 コンコースで(白羽真琴)


 今日も白羽真琴は、札幌市営地下鉄麻生駅のコンコースの隅にあるベンチに腰を掛けた。

 このベンチの位置から、構内を見渡せるからだ。

 彼は、ここでモデルを探していた。

 白羽真琴は、絵が好きな高二男子。美術部には入部していない。

 人からとやかく自分の描いた絵に意見を言われることが嫌だったし、いちいち説明するのが面倒だったからだ。

 絵が好きになったのは、小さい時に周りの人が「絵がうまいね」って褒めてくれたからかもしれない。

 その時から、ずーっと絵を描いている。

 電車に乗ったときは、前に座っている人を描いたり、教室では先生なんか恰好のモデルにしていた。

 特に人間を描くのは、色々な人が居て面白いので続いていた。

 帰宅途中に行き交う人のクロッキーをするのが日課になっていた。 


 その時、真琴の耳は駅構内の雑音の中からピアノの音を拾っていた。

 それは、やさしい音色。

 ピアノは不思議な楽器だ。

 鍵盤を叩くことで音が出るのだが、力加減で音に表情が出る。

 どんな人が、弾いているのだろう?

 真琴は、ベンチに乗って背伸びをして音源を探した。

 改札前のコンコースに人だかりが見えた。

 そうだ、あそこにストリートピアノが設置されたんだ。

 ピアノを囲むように人が集まっていた。

 スマホを取り出し撮影を始めた人もいる。演奏者は、なかなかの人気者らしい。

 ピアノが弾けたらカッコイイと思うけど真琴には、2Bの鉛筆の方かしっくりくる。

 絵を描く時には集中することでノイズキャンセラを起動できるので、雑踏は気にならない。

 でも、楽器の音はそうはいかない。

 気になってしまう。

 その音が、真琴の鉛筆の筆圧やスピード、画面配置にきっと影響を与えるだろう。


 真琴は、ベンチに座り直し、黒のリュックからクロッキー帳を取り出した。

 コンコースを行き交う人を目で追い、クロッキーの題材を捜していた。

 この時間が楽しい時間だ。

 様々な人が通り過ぎる。

 スーツ姿で忙しく歩く人。

 カツカツとヒールの音を響かせて歩く人。

 ベビーカーを押す母親。

 クネクネとじゃれあって通行の邪魔になっても何とも思わない学生たち。

 イチャイチャと身体を触りまくっているカップル。

 それを見て、バカじゃねと顔に出ている女学生。

 皆、スマホを盾に通りすぎる。

 そう、スマホは盾だ。

 スマホが自分の周りに壁を造り、テリトリーを確保している。

 いや、保っていると思い込んでいる。

 そのテリトリーの中に居る人の安心した表情も色々あって面白い。


 それと、たまに見る浮浪者。

 偉い誰かが作ったルールを守ることを辞めてしまった人たち。

 全く違った世界を持つ人たち。

 ルールを破ることがカッコイイと思っている、やんちゃな人や自己中心的なフリーライダーとは違う。

 そんな気がする。こちらの時間軸が違うというか別の世界で生きている人たちなのだろう。

 ちょっとしたキッカケで、そちらの世界に行ってしまった人。

 その人に取って見れば、ちょっとではなかったようだ。

 お前たちの世界の方が間違ってるよって、思っているかもしれない。

 そんな間違っている世界との繋がりを断ち切るのが、彼らの世界の条件かもしれない。

 それが、本来の人間の生き方かもしれない。

 間違った生き方を刷り込まれてしまったのは、僕らなのか。

 真琴は、頭の隅で考えていた。


 その時、肩を叩かれ真琴は驚いて振り向いた。

 幼馴染の”一色絢音”だった。

 少しカールのかかったショートヘア。

 運動部の刈り上げたヤツではなく、綺麗に首筋に流れるようなカットが少年的な活発さと女らしさを感じさせる。

 彼女は、見た目のとおり、いつでも前向きだ。落ち込むところを見たことがない。

 その笑顔に何度も助けられたような気がしていた。

 そして、彼女は作家志望だ。

 めちゃくちゃ本を読んでるし、自分でも書いている。

 絢音は棒付きのキャンディを舐めながら、ベンチを跨ぐと真琴の前に立った。

「よっ、何してんの?」

「クロッキーだよ」

 絢音は、黙ってクロッキー帳を取り上げて、パラパラとめくった。

 その間、真琴は、絢音の足に見とれていた。長くて綺麗な足だ。

 それに気づいたのか真琴の顔に向けて膝を軽く曲げた。

 真琴は、反射的にのけぞる。

 絢音は、たずらっぽく笑って、真琴を見下ろしていた。

「うまいじゃん、画家になれるよ」

「画家って……、ただのクロッキーだし……」

「応援してっからさ」と、クロッキー帳を真琴に渡した。

「なれればいいよね」

 絢音は、ピアノに気付いてヒョコっとベンチに上がった。

 絢音の太ももが真琴の目の前にあった。

 絢音は背伸びをしてピアノの方を見ると急に落ち着きがなくなった。

「ねぇ、アレ、彼が来てるの?ほら、ピアノ聞こえるでしょ」

 絢音は、真琴を見ずに呟くように言った。

 真琴は、顔を上げられない。

「彼?」

「黙ってて、うるさい。月の光?」

 うるさいって、彼が来てるのって訊いたのにかよと、真琴は心に中で叫ぶ。

「ああっ、来てる!」絢音の声で光彩が広がるのが分かる。

「誰が来てるの?」

「香月響介、幼稚園で一緒だった響介。忘れちゃった?別の中学校にいっちゃった」

「キョウスケ。えっ、あの響介」

「そう、その響介よ。ピアノが得意だった彼。なぜか今はバスケ部のレギュラーなのよ」

 絢音の瞳は、ピアノの方に弾きつけられてる。


 真琴は、絢音に遭うのが楽しみで幼稚園に通っていた。

 ある時、真琴は告白したんだ。

 そうしたら、真琴のことは二番目に好きなんだって。

 じゃぁ、一番は誰?って訊いたんだ。

 一番は、キョウスケくん。

 そう、その響介こそ”香月響介”だ。

 

「絢音の一番好きだった子」

「そう、幼稚園の時ね、あなたは二番目に好きよ。じゃあ、ガンバレ。これあげる」

 と言って、絢音は、舐めていた棒付きキャンディを真琴に握らせた。

「えっー。舐めたヤツじゃん」

「貴重よ。レアってヤツ、幸せ者じやん。これもあげる」と、絢音は、丸めた紙屑を無理やり真琴に握らせた。

 真琴は、何か書いているかと紙屑を広げたが、それは、棒付キャンディの包み紙だった。

 かわいくて綺麗なデザイン。

「天才画家のお守りよ」

「ああ、ダリか……」真琴が呟き、包み紙に見入っていると、五、六歩進んでいた絢音が急に振り返った。

 何?と真琴は絢音の顔を伺う。

「ああ、私の足、見てたでしょう」と言うと軽く手を振って行ってしまった。

 気づいてたのかと、真琴は恥ずかしくて下を向いた。

 絢音は、人混みの中に消えていった。


 真琴は、棒付きキャンディを頬張るとモデルを捜した。

 真琴の向かいのベンチに、若い女性が座った。

 バックから単行本を取り出し読み始めてた。

 細身のナチュラル系の服装、丸メガネの彼女。

 待ち合わせだろうか?

 真琴はをモデルとして選んだ。

 白いクロッキー帳に軽く当たりを付けて描き始めた。


 構内の奥から何か感じた。

 真琴は、その方向を見つめていた。

 何か、こちらに向かってくる。

 音なのか、匂いなのか、わからない。

 何者かの体から発せられる波動なのか?

 真琴の目が本能的にその方向に向けられる。

 何だ。

 安全なモノか、それとも危険なモノか、真琴の身体中のセンサーがそこに集中する。

 浮浪者だ。

 そこに現れたのは、大柄な浮浪者だった。

 季節感の無い膝まである汚れたコートをまとい、穴だらけのジーンズ。

 手袋替わりだろうか、手には白い布がバンテージに用に巻かれている。

 白いぼそぼその髪は、肩まで伸びている。

 髭も生え放題で、全く表情がわからない。

 だが、目だけがギラギラとしていて、周りの者を威嚇していた。

 野獣のように。

 人々は、そんな浮浪者に道を開ける。

 誰の目にもこの人物は「ヤバイ」と思わせる雰囲気がある。

 通行人は通路の端により、道を開けた。

 だが、道を開けないヤツもいた。

 グレーの大きめのパーカー、ダブダブのスエット、一流メーカのスニーカー。

 そして、黒のラッパーキャップに大き目の金のピアスの男が、浮浪者の前に立ちはだかった。

 体格は、浮浪者よりも一回り小さかった。

 このヤンチャ坊主は、浮浪者と一戦やるつもりらしい。

 面白いとニヤついている。

 ヤンチャ坊主が、浮浪者と顔を突き合わせている。ポケットに手を突っ込んで余裕をかましていた。

「くっせぇー、おっちゃん。くせいぜー」

 浮浪者は、進むのを止めない。

「ガン無視かよ。待てよこらぁー」と、浮浪者の胸くらを掴んだが、止まらない。

「てめ―」

 ヤンチャ坊主が、浮浪者を殴ったが、痛がっているのはヤンチャ坊主の方だった。

 続けて前蹴りを見舞うが、浮浪者はビクともしない。

 その時、浮浪者の右手がヤンチャ坊主のこめかみを鷲掴みにした。

 まさに鷲が獲物を掴む時の早さだった。

 そして、ヤンチャ坊主を天井高く持ち上げた。


 グシャ。


 右手はヤンチャ坊主の顔に食い込んだ。

 血が飛び散り、悲鳴が響き渡る。

 浮浪者は、右から左へと弧を描くようにヤンチャ坊主を壁に向かって投げ捨てた。


 周りの人たちはパニックになり、逃げ惑う。

 浮浪者は、ゆっくりとした足取りでこちらの方に歩いてくる。

<どうしょう>

 真琴は、身構えた。浮浪者は、何かブツブツとしゃべっている。

 よく聞き取れない。

 真琴は、ただ、何事もなく通りすぎるのを祈るだけだ。

 祈る?誰に祈る?誰でもいい、叶えてくれるなら。

 浮浪者を近くで見ると、身体の大きさに圧倒される。

 そうだ、アメコミの『ハルク』のようだ。

 真琴の頭の中で『ハルク』が暴れまわる。向かう所敵なしだ。

 こんなのを相手にできるはずがない。

 待てよ。

 『ハルク』は、いい人じゃないか?

 真琴は、『ハルク』から、目を離さずにいた。

 離せる訳がない。

 丁度、真琴の前に来たときに、ポケットのスマホが鳴った。

<こんな時に何の用だ>

 電話をかけてくる人はこちらの状態なんかわかるはずもないのは、知っている。

 知っているが、よりによってこんな時にかけてくるなんて。

 急いでスマホを切って頭を上げた。

 すると、浮浪者の動きが止まっていた。

 真琴の前でだ。

<簡便してほしい。トラブルなんかまっぴらだ>

 真琴は、刺激しないようにとゆっくりと浮浪者に目を移した。

 真琴の体を恐怖が駆け巡る。

 身体中から危険だと言うオーラが発せられるのを感じる。

 浮浪者の動きが止まり、眼だけが真琴を見ている。

 蛇に睨まれたカエルは、こんな気持ちなのだろうか?

 その二人も間に一人の青年が割って入ってきた。

 浮浪者よりも体は小さいが、筋肉質の青年だった。

 麻琴は、丁度その青年の影になっていた。

 浮浪者は、ブツブツ独り言をいうとホーム方へ歩き始めた。

 青年は、振り向きざまに真琴に微笑むと浮浪者の後に付いていった。

 何も起こらなかった。

 肩の力を抜く。

 あの浮浪者は、何だったのだろう。

 そして、あの青年も。

 真琴は、見えなくなった浮浪者の方を見つめていた。

<ヤバイ。そっちには、絢音が居る>

 真琴は、その後を追った。

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