照れるの待ってる

@copo-de-leite

第1話  照れるの待ってる

 

 ザーザー。ザーザー。機械音のような雨音が校庭には続いていた。確か其れは梅雨の時期であったのだ。教室の窓ガラスには雨滴が張付いていた。小学生の私たちは子供っぽく四角張った席に座って時々外の風景を透かして見ていた。教壇に立つ先生は、私たちの視線がキョロキョロ見上げる先の窓ガラスをチラリと見て、急にこんな話を始めたんだ。

 

「ある処に、一人の少年が居ました。其の少年の主人は、或る日少年に”井戸から家まで水を汲んで戻って来い”と命じました。そして少年に手渡されたのはバケツ一つきりでした。しかしそのバケツは底が抜けているのです。意地悪な主人ですね。

 さあ、どうやって少年は井戸から水を汲んで家に持ち帰ったでしょうか?」

 

 問題を出された私たちは考え込んだ。しかし一人の生徒はすぐさま答えた。

 

 「穴の開いていない別のバケツを持って汲みに行った!」

 

 「いいえ。少年は貧乏なので代りのバケツは持っていませんし、もちろん欲張りな主人も少年には貸してはくれません。」

 

 すると又別の生徒が答えた。

 

 「穴の開いた部分を手で押さえながら水を汲んで戻ったんじゃないの?」

 

 「いいえ。其れも違います。バケツの底は完全に抜けていて、手で押さえて塞げるような大きさではないのです。」


  またまた別の生徒が答えた。

 

 「それならバケツは使わず両手で水を掬って、持って帰って来たんじゃない?」

 

 「それだと帰る途中で指の間から水が零れてくると思いますが、どうしましょうか。」

 

 生徒は返答した。

 

 「家が井戸のすぐ近くにあれば零さず持っていけると思うけど。」

 

 「う~~ん。ですが井戸から家まではまあまあ離れているのです。掌に汲んだ水が全て零れてしまうくらいには遠い位置にあります。」


 こんな調子で 賢い先生は私たちが考えた答えを一つ一つ否定してしまう。其れは難癖を付ける理不尽なやり方に私にはみえた。だから私たちは困ってしまった。時間が経過するにつれて、だんだんと教室をほの暗いムードが覆い始めた。そして遂には私たちのアイデアも出尽くして、その問題に答える生徒は誰もいなくなった。私たち一人一人は椅子の上に縮こまって座って、如何に退屈な時間を耐え忍ぶかということだけを考えていた。ただ顔つきは必死に問題を考えている振りをして。私は視線だけを動かして、窓の端に括られた白いカーテンの裾やガラスを伝う雨粒を所在無さげ気に見ていた。外の雨は連日降り続いている。晴れを期待する人間の願掛けや祈りなんて効果が無いんだ、ということを知って子供ながらに私は勝手にがっかりしていた。

 

 シーンと教室が静まり返ったことを見届けると、先生は問題の答えを教えてくれた。私たちは受動的に聴いていた。

 

 「では答えを言います。………此の少年はね、底の抜けたバケツを持って井戸まで行って、底の抜けたバケツで水を汲んだんです。そして底の抜けたバケツを持って家まで帰ったのです。此れが答えです。

 ええ。もちろん水は汲んでもすぐにバケツの底から地面に零れます。ですが水を汲んだバケツには一滴や二滴水滴が残るでしょう。少年はバケツの表面に付いた水滴を丁寧に家まで運んでから、又井戸に水を汲みに戻ったのです。この過程を無限に地道に繰り返すことで合わせてバケツ一杯分の水量を家まで運ぶことができたのです。」

 

 なんて恐ろしい答えなんだろうと私はびっくりした。正解なんてまるでないじゃないか。多分クラス皆がそう思ったと思う。驚いている私たちの表情をよそに先生の話はまだ続いていく。


 「いいですか。此の一滴一滴水を運び続けた少年の行動を何と呼ぶか、みんなは知っているでしょうか。此れが”努力”というものなのです。少しずつ少しずつ一歩一歩諦めずに続けて行くこと。みんなには、此の努力を大切にしてほしいと思います。一つずつ一つずつ、学校の授業でも友達関係でも真剣に取り組んでほしいと思っています。分かりましたか?」

 

 そう言うと、先生は私たちの顔を一通り見渡して話を締め括った。私たちは神妙な面持ちで先生の話を聴き終わった。その時、私は一方で努力の大切さを実感しながら、また一方では唐突な話の展開に戸惑いを隠せなかった。




 

 


 




 

 

 …………っていう思い出話があるんだけど。私はどうも此の”問題”の答えがモヤモヤしてね~。

 

 喫茶店で、私とA氏は子供の頃の思い出話をしていた。A氏はバニラアイスクリームののったホットココアを飲みながら私の話を聴いていてくれた。ココアの心地よい香りと湯気がカップから立ち上っている。最初カップの中にあった筈のアイスクリームは半分が溶け,残りの半分はA氏がスプーンで食べてしまった。喫茶店の固いソファーは座り心地が悪かったが、少なくとも居心地は良かった。

 

 「でね。此の”問題”には訓話的でないきちんとした正解があると私には思えて。若しも私が其の少年だったらどうやってバケツの問題を解決するかをそれから考えてみたんだ。それで私なりの解決方法を一つだけ思い付くことができた。其れはね、…


 ”頬っぺたを膨らませて口の中に水を含んで井戸から家まで運べばいい”と思う。此れは先生が言っていた一滴一滴バケツに滴らせて運ぶ方法よりも大分現実的だと思うんだ。私としては此れが、この問題の一つの解釈だと思う。どうかな?」

 

 A氏は優しく頷いて、私に言葉を返す。


 「う~~ん。なるほど。確かに最初の”問題”自体が穴だらけで不合理だから、そもそも問題として成立しているのかしていないかが危ういラインだよね。君のモヤモヤする気持ち、私も分かるわ。或いは正解は無数にあるのかもしれないしね。だから口に含むという方法も答えの一つとして全然アリだと思うな~。

 でも今話を聴いていて、私も一つ別の解決方法を思いついたんだけどちょっと話してもいいかな。其の問題の少年はもちろん何かしらの衣類は身に着けているよね。だったらこうすればいいんじゃないか。………

 其の衣類をまず井戸で水に浸して、其の儘家まで持って帰って、家でギュッと絞って水分を取り出せばいい。こうすればかなり効率よく水を運べると思うけどな~。

 まあでも多分君も私も二人ともこの問題の正解なんだよね。考えた人の数だけ答えもあるっていうタイプの広い問題なんだろうから。」

 

 A氏はにっこり笑いながら話す。左手で持っていたスプーンの金属面に自分の顔を映して遊んでいる。私は、A氏の言った考えの数だけ答えがあるという柔軟性が気に入った。”問題”にはきっと正解ではなく多様性のみが存在するのだ。だから強いて此の”問題”に正解を出すとしたら、其れは回答者それぞれの思考としか言いようがないのだろう。私は無数の回答を想像してそう結論付けた。





 



  


 

 


 「若しかしたら発想を逆転してみる必要があるかもね。」


 A氏はスプーンを弄びながらさらに言葉を続ける。


  「少し無理やりな答えだけどもう一つあるよ。結局此の”問題”の核心は水が必要だってことなんだろう?つまりバケツとか井戸とか関係なしに水さえ手に入ればいいんだよね。

 それならば、……其の梅雨の時期に君たちが教室の窓辺にぶら下げていたっていう”てるてる坊主”を作ってみるのはどうだろう?作るための材料はそこら辺にあるものでできるし。其れをひっくり返して吊るしておけば、雨乞いという意味に変わるから。案外、古い言い伝えや伝承を守る清き心を忘れずにいたいという裏のメッセージ性が此の問題には隠れているのかもしれないしね。非科学的と括って片付けずに、其れを信じる心は、現代を生きる私たちにとっても大切なものなのだからね……。」


 「なかなか可愛げのあるオチをつけるんだね。」

 

 私がそう言うと、A氏は恥ずかしがってポッと頬を赤らめた。それから手で触っていたスプーンをそっとカップのソーサーの上に戻した。その時、微かに金属と陶器の触れあうカチッとした音がした。

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