美しき狂気の深淵で愛を知る

佐武ろく

鮮紅が煌々と1

 ――ドサッ。



 それは突然の出来事だった。

 カラっと暑い土曜日の休日。


『未だ連続……』


 遠くの方から聞こえるニュースの声。別に何てことないただの日常。

 だけどそれは私がお昼の入った紙袋を片手に、歩道端で壁へ凭れながら返信し終えた時。丁度、横に伸びていた路地裏から何かが倒れる音が聞こえた。何か物が倒れたにしてはやけに柔らかだが、音的にはずっしり重い。私以外の通行人は聞こえてないのか、はたまた気になってすらいないのか誰も足は止めず行き交い続ける。

 でも私はちょっとした好奇心で仄暗い路地裏を覗き込んだ。


「え?」


 正直に言って少し覗き込んだことを後悔した。

 だってそこには人が倒れていたから。フードを被った小柄な、性別の分からない人がうつ伏せで倒れていた。ピクリとも動かず生きているのかさえ分からない。

 このまま見なかった事にしよう。そう思いもした。だけど流石にそれではこれから先、気になって仕方ないと思う。あの人は大丈夫だったのか? もしかしたら私が無視したから死んでしまったのではないか? ただでさえ悪いのに寝起きが更に悪くなってしまいそうだ。

 だから私は燦々と降り注ぐ陽光を嫌うようにいつまで経っても暗く、少し湿ったような空気の流れるその裏路地へ足を踏み入れた。

 そして恐々としながらもその体に手を伸ばした。


「あの? ……大丈夫ですか?」


 小さく声を掛けてみても全く反応しない。もしかしたら救急車を呼ばないといけないのかもしれない。でもそういうのは苦手だ。呼ぶだけ呼んで到着する前に消えてもいいんだろうか。

 そんな事を考えていると突然、私の伸ばしていた手首が掴まれた。

 私はビクっと体を跳ねさせ、視線を落とした。確かに倒れたままだが手だけが私の手首へと伸びている。あまり強いとは言えないがしっかりと握り締めている。少し怖い。

 両腕に鳥肌を立たせながら一驚を喫し固まってしまっていた私だったが、その音を耳にすると石化が溶けるように我に返った。


 ――グー。ギュルルル。グゥウ。


 その人が助けを乞うなり脅すなりする前に、お腹の虫が泣き叫んだのだ。


「あのー。もしかしてお腹空いてるんですか? 良かったら、これ要ります?」


 私は自分のお昼ご飯だったハンバーガーの紙袋を差し出した。

 すると、手首を掴んでいた手が徐に離れ求めるように辺りを彷徨い始める。その手へ紙袋を近づけてみると獲物を捕まえる猛禽類のように一瞬にして鷲掴んだ。もう決して逃がさない、そう言うように。


「あっ、どーぞ」


 食べられるという事で力が湧いて来たのか颯爽と起き上がったその人は顔を俯かせたまま私のお昼ご飯を貪り食った。バーガーからポテトから飲み物。黙々と休むことなく口へ押し込んでいく。

 ひとつ意外だったのがこんな状況でも食べる前に(一瞬だが)両手を合わせ「頂きます」と言った事だった(あまりも小さくしっかりと聞き取る事は出来なかったが恐らくそう)。少し感心したと言うか、どこかこの人の人柄を表しているような気がした。

 そして早食い選手権にでも挑戦してるのかと問いたくなる程あっという間に、私のお昼ご飯はただの紙屑と化した。


「――いやぁー! ほんとに助かったよ! ありがとう」


 最後に両手を合わせ「ご馳走様でした」と呟いた後に、フードを脱ぎながらやっと顔を晒したその人は満足げにお礼を言った。

 声もさることながらその容姿はまるで小動物のようだった。愛らしく絵に描いたような理想の弟、とでも言うのだろうか(あくまでも私の理想だけど)。


「いえ、どういたしまして」

「ここ何日も食べてなかったから。でも久しぶりのご飯って最高だね! 我慢してた分、余計に美味しく感じたよ。やっぱり我慢っていうのも大事だね」


 言ってる事は分かるが共感は出来ない事を口にした彼は、あははと笑った。


「それじゃあ。改めてご馳走さまでした。このお礼はいつかするから」


 彼は立ち上がるとそんな事を言い残し路地裏の奥へと去って行った(途中まで喜色を浮かべ手を振りながら)。


「お礼って……する気ないでしょ」


 一人残された私はつい呟いてしまった。連絡先も名前すらも知らないのにどうやってするんだと言うんだろうか? いや、する気が無い。

 でも私も別にそれを求めてる訳じゃない。

 だから色々と疑問は尽きないが、それらと共に紙屑を拾い上げ立ち上がると自分の分のお昼ご飯を食べに向かった。

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