三時の名探偵

久里 琳

第1話 探偵のポートレイト


 都会には似つかわしくない古い洋館。

 人が住んでいるのかも疑わしいほどのさびれた洋館に、毎日客の訪れがあるのだった。ただし客は一日にひと組。


 呼び鈴を鳴らすと、チリンとレトロな音がする。なつかしいような、ずっと忘れていたような音。うっとり幼年のあまい気分にひたっているうち扉がそおっとひらいて、細いすき間からお嬢さんが顔をのぞかせる。化粧もしないひっつめ髪に、あずき色の地味な服。

 来客が名を告げると、

「どうぞ、おはいりください」と、やっと人ひとりが通れるぐらいの幅だけ入口をひろげて、客を入れるのだ。


 女中さんだろうか。

 おもわずそう思ってしまうほどに自己主張を抑えきった佇まいは、廊下に影さえ映さない。足音もさせず客のさきに立って廊下を端まで案内すると、こげ茶の扉をノックする――返事はない。


 ひと呼吸おいて、お嬢さんは扉をあけた。くらい廊下に慣れた客の目には、扉のむこうにひらけた世界はあかるすぎ、いっしゅん何も見えなくなる。


 やがて光に目が馴染むと――そこは大きな応接間。窓際に椅子がひとつ。椅子は背をこちらへ向けて、ゆったり揺れているからだれか座っているのだろう。窓のそと、都会にはもったいないほど広い中庭には幾種類もの樹々と草花。丈の高い草がビル風に揺れると、草のうえの紫の花もつられて揺れて、椅子も調子をあわせて左右に揺れた。


「お客さまですよ」


 お嬢さんのかける声が、さあっと部屋のすみずみまでいきわたり、おもむろに椅子が半回転した。あらわれたのは、見るからに上等なシャツを着こんだ青年だ。

 年のころは二十か三十。それではあんまり巾が広すぎると思われるだろうがそこはどうぞ、目をつむって頂きたい。きちんとした着こなしと、若々しい頬のかがやきと、やわらかな髪が半ばをかくした昏い眸が、いかにもアンバランスで年齢が読みづらいのだ。


 事情を知らない者がこの顔を見たなら、ちょっと不安になるだろう。

 こちらをきょとんと見つめる眼差しには邪気がなく、それどころか意志も知性も感じさせない。顔が整っているだけにかえって無機質な印象が増して、人形かと錯覚してしまうほど。

 客はこの青年の頭脳に多大な期待を抱いてやってきたのだが、その期待はいまにも崩れおちそうだ。

 と、柱にかかった年代物の時計が三時をうった。

 いっしゅん時計に目をやった客は、視線を椅子へ戻したときに知る。

 昏い眸はかりそめの姿で、その裏にはたぐいまれなる明智が隠されていることを。



「おかえりなさい、未央みおさん」

「……ああ。世話をかけるな、有為ういくん」

 またたきするほどの間、お嬢さんと青年のあいだに流れるのは一種いいようのないなつかしさであり切なさだ。だがすぐに、青年は並ならぬ明眸を客へ向け、氷のような声で言う。


「さあ、はじめよう。説明は手短に願いたい。ぼくたちに与えられた時間はわずかに10分なのだから」



 そして10分後。

 客は満足し、あるいは興奮して礼をのべる暇さえもどかしそうに、足早に帰路につく。難事件の真犯人か、失踪人の居場所か、失せ物の在り処か――およそだれもが解決を諦めていた難題が、青年の啓示でいともするりと筋道が見えて、勇躍と街へ駆け戻っていくのだ。


 応接間には、青年とお嬢さんとが残される。

 青年の眸にいちどは宿った明りは、いまは消えていた。さっきあれほどまぶしかった窓の光も、陽が翳るにはまだ早いというのにどこかわびしい。またビル風が吹きぬけて、梢から吹き散らされた葉が、あいた窓からひとつ舞いこんだ。

 幼児にかえったような邪気も覇気もない青年の肩に降った葉を、お嬢さんが拾いあげるついでに乱れた髪をなでつけた。

 青年は見上げて言う。

「おはよう、ういちゃん。もうおやつの時間かな」

 先ほどとはうってかわってあどけない声だ。お嬢さんはいつくしむように、さびしげな微笑みをかえす。

「おはようじゃありませんよ、みおくん。でもおやつの時間は正解。今日はホットケーキを焼いてあげようかしら」


 それがいつもの午後三時。



 その日も、おなじ午後になるはずだった。お嬢さん――有為はいつものように来客を迎え、だが扉をあけた瞬間ぞくりとつめたいものが背中をはしって、おもわず眉をひそめた。


 客は、うつくしかった。おそろしいほどの美貌をたたえたその客は、扉を支える有為にかるく会釈すると、洋館へ一歩足を踏み入れた。かつん、と鳴った靴音が、玄関から廊下へ通りぬけた。


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