犠牲者の呪術 第1章

 「これから、前回の期末テストを返します。良い点数の順に名前を呼びます。名前を呼ばれたら、前に取りくるように。栗林くりばやし。」


 「はい。」


 「やっぱり今回も、シゲノリか~。」

 クラスの誰かが言った。


 数学教師に、一番に名を呼ばれた栗林重徳くりばやししげのりは、テストの答案を前に取りに行った。



 「栗林、今回も百点だ。よく頑張ったな。」


 数学教師は、答案を重徳に渡すと同時に、笑顔で、重徳しげのりの上腕をポンッと叩いた。



 「また百点かよ‼すげ~な~、シゲノリ、相変わらず数学で一位か。」


 「シゲノリはいいよな~。頭いいし、女子にはモテるし。」


 「シゲノリには、勝てねーよな。」



 この三年三組は、口々に言いたい放題、大きな声を教室中に響かせ、自分が『ようキャ』である、とアピールする生徒が多かった。


 にぎやかで明るい雰囲気のクラスではあった。



 栗林重徳は、『陽キャ』ではなかったが、クラスの生徒たちからは一目置かれる存在であった。


 とても優秀であった。


 そして女子にモテた。


 特にハンサムというわけではないが、スレンダーで頭が良く、スポーツも出来るのだが、決して調子に乗らない謙虚さを持っているところが人気の原因であるように思われた。




 「皆川みながわ。」


 「はいっ!」


 皆川魁斗みながわかいとが、次に名前を呼ばれた。



 「でたーっ!今回もツートップ、変わらず!」


 「この二人は、いつもすげ~な~。どうやったらそんなにいい点数取れんの?僕ちゃんにも教えてちょんまげ~!」


 「あはははは!」


 答案返しの時ですら、賑やかなクラスである。



 「惜しかったな、皆川。九十五点だ。しかし、よく健闘した!」


 皆川魁斗は、うつむいて、五点足りなかった答案用紙を受け取った。



 「カイト、すげーじゃねーかよ!いいな~。俺、一度でいいから六十点以上、取ってみてえ~!」


 「あははははは!」



 五月蝿うるさい高校生の集団だ。賑やかなクラスである。


◇◇◇


 高校三年生の夏休み前。


 陸上部も四月に引退した栗林重徳は、身体を動かさないでいるとブヨつく感じがして、気持ち悪くなってくるのだった。


 しかしこれからは、本格的に大学受験に専念せねばなるまい。


 ある七月の放課後、重徳は身体を動かしたい衝動と情熱を、大学受験勉強に向けようと決意して、廊下を歩いて昇降口に向かった。



 「シゲノリっ‼おつかれっ!一緒に帰ろうぜ!」


 「ゆーた。」


 『ゆーた』こと柿生裕太かきおゆうたと、『シゲノリ』こと栗林重徳くりばやししげのりは、幼稚園来の友達だ。

 小学校、中学校も同じだった。そして同じ高校に通っている。

 クラスは違うが、昇降口で偶然出くわすと、一緒に帰るのだった。


 

 「シゲノリのクラスの男子がうわさしてんの、廊下で聞いたんだけど、また数学のテストが満点で、クラスで一位だったんだって?」


 「ああ。」


 「すげえな。相変わらず。」


「いやあ、それほどでもないよ。」

 (今回は得意な複素数平面ふくそすうへいめんの基礎が少しと、数Ⅰと数A、数Ⅱと数Bの総合問題だったから、比較的簡単だったんだよ。)


 「僕は私立文系コースを選択しているから、もう数学はとっていないんだけどね。相変わらずシゲノリは、すげーなーと思ってさ。僕の幼馴染おさななじみなんだっ!って、この高校中に言いふらしたいぐらい、シゲノリが誇らしいよ!」


 「ははは、大げさだなあ。」

 (たかが簡単な数学のテストで満点取っただけじゃないか。)


 「大げさなもんか!数学の定期テストで百点取れるってことは、ホントに凄いことなんだと、僕は思うよ。」


 太った裕太の明るく元気がみなぎる笑顔と、スマートなシゲノリの優し気な笑顔が溶け合った。



 「それから、シゲノリのクラスの女子、特に梶山美津子かじやまみつこが、シゲノリに相当、惚れこんでいるらしいよ。」


 裕太と美津子は昨年同じクラスだったので、裕太は美津子の事を知っていた。


 「・・・そう言われても・・・。」

 (確かに梶山さんは美人だけど、勝ち気で気が強くてヒステリックだから苦手だ。)


 「女子と付き合いたいとか、そういうの、ないの?」


 「今のところは・・・。」

 (僕は、医師になるために、勉強しているんだ。高校は、医師になるための予備校だと思って通っている。大学に合格するための、基礎学力を僕に与えてくれるところだと思っている。・・・女子と付き合うことなんて興味ない。)


 「相変わらず、超絶硬派ちょうぜつこうはだな。もし僕がシゲノリだったなら、複数の女子と付き合い放題、遊び放題のバラ色の高校生活をエンジョイするけどな。」


 「ははは・・・。」

 (女子と付き合うことなんかに、何の意味があるんだ。くだらない。)


 「女子と付き合って、ハグとか、キスとか、頭ナデナデとかしたいなあ!お前だったら、いくらでも出来るのに。もったいないとしか言いようがない。」


 「僕はまだ、そういう願望は、ないかな・・・。」

 (僕は、粘膜同士の接触には興味ない。不衛生だし。第一、その女子に生涯の全責任を取れるかどうかわからない。例えば、僕の好みの女子じゃなかったと分かった場合に、僕から別れを切り出したとして、逆恨みでもされたらたまったもんじゃない。自分から別れたくなった場合のリスクヘッジを、何も考慮せずに、ゆーたは僕に勧めてるのか?)


 「・・・シゲノリは、幼稚園の頃から、冷静で慎重派だったな。」


 「そうか?」

 (僕は、医師になることしか考えてはいない。医師になって・・・。)



 「そういえばシゲノリ、医学部志望なんだっけ?」


 「病を治す、病に苦しむ人たちを救済する。これが僕の夢だ。」


 「今のところ、高校の数学のテストで満点を取れるお前なら、医者になれるんじゃないかな。」


 「・・・僕には、自信はないよ。」


 「え?」


 「医師になる、大学に合格する自信は、ない。」


 「・・・シゲノリさー。クラスで一番だったんだろ?しかも、満点で。なのに、なんで自信が持てないんだ?ありえねえよ!」


 「いやあ、やっぱり・・・自信は・・・ないよ・・・。」

 (そんなに難しいテストじゃなかったからさ。テスト自体が簡単だった。きっと他校では、もっと受験に特化した内容の難易度の高い問題でテストが構成されているんだ。僕がそのテストを受けたら、半分も取れるかわからない。)


 「実力は本物なんだからさ!自信を持てよ!・・・一体全体、なんでそんな風に、自信が持てないんだ?最高に出来る男が自信を持てないんじゃあ、この世の中に生きてる人間全員が、自信を持たずに生きていることになるぞ。」


 「僕は今まで、テストのようなハードルを見据えたときに、最悪の事態をいつも想定してきた。テストにも、自信がないから、人の数倍の努力をしている。万全を尽くすため、血のにじむような努力をしているんだよ。」


 「僕は、シゲノリのように優秀じゃないけどさ、シゲノリぐらい優秀な人なら、そんな風に過酷な努力なんかしなくったって、もっと楽観的に生きていたって、全然、幸せに生きていけるんじゃないの?って思うけどな。」


 「僕は、医師になりたいんだ。幸せに生きていきたいわけじゃないよ。」



 「・・・なんで、そんなに、医者になりたいの?」


 「大勢の人々の病を治療したい。苦しみを救いたい。痛みを取り除きたいんだ。」

 (これから僕が本当にやりたいことは・・・。)


◇◇◇


 重徳はゆーたと別れて、自宅付近の路地を歩いていた。


 三十代ぐらいの母親らしき女性と三~四歳の男児とすれ違った。


 三~四歳児は、重徳をチラッと見ると、怖いモノから早く逃げなければ、というような目を見開いた表情になり、シゲノリの横を足早に通り過ぎようとして走り始めた。

 

 突然走り出した男の子の様子に驚いた母親は、急に心配そうな顔になり、後ろから駆け足になって男の子について行くために小走りになった。



 母親の風貌や言動から、知能が高そうな印象は受けなかった。



 (そもそも、結婚というのは、一人では生きていけない、という思い込みから、他の誰か頼れる人間と共生する手段だ。一人で生きていけるような、心身ともに強い人間には結婚など必要ない。結婚とは、自ら弱い人間だと認める人間同士が、弱い人間同士、生涯共に支え合って暮らすための儀式なのだ。そして、その儀式によって、男女が結婚した場合、弱い二人の人間のDNAがミックスされ、さらに弱い子供が作られる。次世代で、二人の弱い男女が結婚をすると、さらに弱い一人の人間を生み出す。さらに弱い人間は、また自分と同じようなさらに弱い人間と知り合い、結婚し、より一層さらに弱い人間を生み出す。次々と、自分たちよりも弱い人間を、次世代に送り出してゆくことになるシステムだ。つまり、これを繰り返してゆくと、地球上の人類は、次第に耐性が弱まっていき、徐々に弱い生物となってゆく。結婚や出産は、人として生まれて来たからには、一度は味わっておきたい、人としての幸せを象徴するものであると言えるだろうが、世間的に幸せをうたわれているもののほとんどは、弱い者、さらに弱い者を食い物にしようとするための、罠だ・・・。)


 重徳は、頭の中で、そのようなことを考えながら、家路を歩いた。



 重徳は、鞄から自宅の鍵を取り出した。



 ガチャッ!


 ギィ~・・・



 父親も母親も、夜遅くならないと帰っては来ないのだった。


 一人で夕飯を食べ、勉強して、風呂に入って、また勉強してから眠りにつく。


 土日以外は、まるで一軒家で一人暮らしをしているようだった。



 帰宅後は、母親が残したメモに目を通すところから始まる。


 『重徳ちゃん、今夜は焼きそばです。冷蔵庫のタッパに入っているから、温めてから食べてね。母より。』


 「焼きそばか。まだ別に、腹減ってないな。」


 重徳は、メモをゴミ箱に捨て、手洗いうがいをした。

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