第19話
「今回の治安維持活動結果報告書です」
「ヒズボラが随分とやられたようだね、いい気味だよ。この数字だとカナ地区の組織は壊滅ではないか?」
地方の所属員数を覚えていたようでそのように指摘する。
「暫くは組織的な活動にかなりの制限を受けるでしょう。七枚目の文書をご覧ください。独立特殊大隊の実質的な指揮官はその大尉のようです」
大佐が資料を再度デスクに置くように副官に示す。日本人の大尉が指揮をしたと確かに書かれていた。
「ふむ、中佐は総攻撃命令のみしか発していないとあるな」
その場に居ない限り決してわからないような情報まで書かれている、レバノン軍将校に漏らした人物がいるのは明らかである。
「それも訓練指導や作戦企画の段階から全てです。当然中佐にはより以上の実力があって然るべきでしょう」
我が軍と違って、との言葉を飲み込んで続けた。何事かを考えるフリを暫し続けて大佐が口を開く。
「上層部からの指示だがね、レバノンにおけるイスラエルの影響力を増大させよとのことだ。少佐の考えを聞こう」
だいぶ前に副官から漏れ聞いていた内容の一端を今更吐き出してくる。これまでずっと暖めてきたのだとしたら早急に取り掛かる必要性に迫られてしまう。
「軍事力による影響を直接的に与えるのは上層部の意図するところではないでしょう。調略により裏からの影響力を保持する線はいかがでしょうか大佐」
ふむ。そう言ってまた考え込むがどうして良いか浮かばずに資料を捲る、だがそこに模範解答は書き込まれてはいない。
「具体的にはどうするつもりかね」
予め決められていたかのようにいつもの流れを踏襲し、少佐へと丸なげの態勢をとろうとする。
「軍事顧問の大尉を我が方に引き寄せます。彼に発言力を持たせてヒズボラを苦しめましょう」
「共食いをさせると? そんなことが可能なのだろうか」
それを可能にさせるのが仕事だろうと胸のうちでぼやく。
「大尉は親イスラエル、親アメリカ的な態度を漏らしています。接触を試みる余地はあります」
バラケ大佐が副官に資料に記載があったかを問うような視線をむける、しかし大尉は首を左右に振って否定する。
「ネタニヤフ少佐、君独自の研究で計画を進めてみたまえ」
自分では正否の判断がつかずにそのように命令する。失敗したら少佐の責任だと保証を要求するのもいつものことである。
「了解です大佐。早速専従の計画班を立ち上げて実行致します」
ゆったりとした仕草で敬礼して部屋を出る。
――アメリカ大使館の駐在武官筋から接触させるか。
廊下を歩きながらレバノン内での手段の検討を始める。こうまで命令の遅滞が頻繁だとそろそろ大佐には最前線から退いてもらう時期かも知れないと、イスラエル北方軍の在り方にも考えを及ぼし始めていた。
独立特殊大隊の隊員全員にレバノン三級戦功勲章が授与された。将校のそれはレバノン杉が銀色になった二級が贈られている。ヤセル駐屯地へと戻ると日常訓練へと切替られ、軍事ツアーに参加した日本人への教練が始められる。素人に教えること自体が理解度を深める手段となるのでこれも有効な訓練となり得た。
大隊の兵員を直接増員せずに駐屯地内から人数を集め、指導をさせて視野を広げる努力へと移行する。直接軍事顧問から訓練指導を受けた者が教官となり各地に散ってゆく下準備は着々と進んでいた。
「大尉、ハラウィ大臣からまた会食のお誘いがきています」
作戦の成功やツアーの好調ぶり、そしてなりより娘の交際相手になっている島を中将は殊更気に入って最近頻繁に誘ってきていた。
「もちろんお受けしますと連絡しておいてくれ」
好意は素直に受け取ることにして一度たりとも断らず参加しているが、気になっていることが一つ解決していない。あの盗聴器は未だに誰がどんな目的で設置したかわからずにいた。
意を決して一度罠を仕掛けることにした。副官のロマノフスキーにすら一言も漏らしていない話を意図的に部屋で呟いてみた。誰がボロを出して知るはずもない内容を口走るか気を張っていたが、結局誰も引っかかりはしなかった。
慎重な者なのか、それとも自身が直接関わっていない者の仕業なのか……
スラヤに真っ向問い詰めるとの手もあったが、彼女が完全に自分の側である自信がまだなかった。
職務は順調に推移している、そのため側面を固める作業に力を入れ始めていた。来るべき時のために南レバノンの将校らと繋がりを持ったり、緊急時の切り札を増やしたりと。
そんな折にミリタリーアタッシェのエバンス空軍中佐から、任期延長を受けたとしてハウプトマン中佐と一緒に会食をしようと誘われた。大使館付の仕事は殆どが何かしらのパーティーや会食の類で、今回もご多分に漏れずホテルの会場が予定されていた。
「外交官の腹が出てる理由がわかってきたよ」
苦笑しながらスケジュールを確認する。エバンス中佐はレバノン外と繋がる数少ない人脈のため大切にしたい、そんな思いが島の中にあった。丁度その日は部内の定期検査が行われるので立ち会いをする予定になっている。
「一日早めて抜き打ち検査の形にしよう。検査官には早めに連絡し、部隊には当日の朝に通告しよう」
「了解です。部隊の責任者が当日不在にならないように何か仕事を割り振っておきます」
この駐在武官という仕事、後進の国々では純粋に大使館員の護衛が職務であったりするが、それなりの規模の国では護衛以外に諜報や戦略的見地からの判断補助を担ったりしている。政治的な色が濃く出るために人選も慎重に行われた。
第二次世界大戦ではヨーロッパに派遣されていた駐在武官の発言により、ドイツと手を結んだと後に評されるほどに時と場所によっては本国に多大な影響力を及ぼす。レバノンはその点どうかと尋ねられたら、中間にあたるだろうか。中東での足掛かりの拠点にはなってもレバノンそのものが重要とまではいかない。
本来ならば一介の傭兵大尉ごときが指名で招かれるような間柄ではない。つまるところ尉官などは戦いの際に動く駒、或いは業務内の実務処理者でしかなく、替えがきく存在なのだ。
大尉とは一般的な兵士や士官学校卒業者が辿り着く典型的な終着点で、ここから少佐になれる者となれない者ははっきりと扱いが異なる。尉官が被雇用者ならば佐官からは経営者と理解しておけば大きな誤りはない。
「ところで中尉はいかないのかい?」
「そう立て続けに顧問官がこぞって不在ともいかんでしょう。華やかな舞台は大尉にお譲りいたします」
ウズベク人の性に合わないらしく居残りを志願する。兵がハラウィ中尉が迎えに来たと伝えにやってくる。後を頼むぞと指揮所を出るとハンヴィーではなくセダンでの登場だった。
「戦闘用車両はあれから不足してまして」
中尉が処置なしと肩をすくめて後部座席の扉を開ける。機械化などというのは簡単に出来るものではない、予算もかかれば時間もかかるものである。
陸軍では大戦果を受けて車両の奪い合いになっていた。独立特殊大隊は優先配備されてはいても予備が削られたりと影響は少なくない。
「国軍強化意識が芽生えたことを尊重しよう」
問題ないと中尉に移動を促す。レストランはワーヒドなので十五分程のことでしかない。定番の位置と化したテーブルを安全のためと突如場所を変えるのを忘れない。決められた行動はテロの対象になりやすいからだ。
出来るならば店そのものを替えたかったが、中将のお気に入りなので次善の選択で収めることにした。長テーブルで島の隣にはスラヤが座る。
「何事も順調で結構なことだ。南部では渋々シーア派も協力するようになってきた」
流れというものは確実に存在する、南軍司令官が突然入院して次席のスンニ派が司令官代行をしている。暗殺や妨害工作と当初は疑われたが、なんと急性盲腸炎での緊急手術であった。そのため解任など後任人事は求められず、暫し次席が職務代行とあいなったのだ。食後のワインを飲み干して中将がおもむろに問い掛ける。
「大尉、娘をどう思うかな?」
危うくむせかえりそうになり何とか踏みとどまる。付き合いをしている相手に父親としてはいつかは聞かねばならない一言をついに持ち出してきた。スラヤも落ち着かないようでそわそわしている。ナプキンで口を拭いて一度息を吐き出す。
「閣下、自分から彼女にアプローチはしているのですが中々おめがねに適わないようで」
思ってもいないことを言われてスラヤは更に驚き頬に朱が走る。
「スラヤは大尉では不満か?」
その瞬間は一人の父親がする表情を浮かべた。
「私は……その……もし大尉がよろしければ……」
顔を真っ赤にして消え入りそうな声で答える。断りやすいようにと気を利かせたのだが、島は予想外の反応をされてまじまじと彼女を見てしまった。
「うむ! そうか、そうか」
勝手に納得して中将はご機嫌になる。どうしてよいのか咄嗟に切り返せずにいるのは人生経験の違いだろうか。
「本当に俺でいいのかスラヤ。財産も無ければ一族の後ろ盾もない、そんな一匹狼に嫁いでも苦労ばかりだぞ」
外国に体一つで乗り込んできた男と結婚しても明るい未来は想像出来はしない。それに加えて軍の戦闘指揮官では明日には未亡人となっている可能性もある。
「あなたが祖国の為に命をかけて働いた事実にかわりはありません。私はそれを誇りに思います」
――……それも悪くはないか……
いささか強引な展開ではあるがこんなことは誰かの後押しがなければ踏み切れないものと割り切って考えることにした。
「わかった二人の気持ちは私が認める、諸々全て任せなさい。大尉、娘のことを頼むぞ」
そう言って頭を下げる。
「か、閣下! 頭をあげてください、自分などを選んでいただき光栄です。これからもご指導よろしくお願いします」
テーブルに額をこすりつけて謝意を表す。
「ソムリエール! ラ・クロワゼの二十年、いや二十五年物を!」
中尉が自分からの御祝いですよと逸品を注文する。
「内祝だよ大尉、私に注がせて欲しい」
開封したボトルを中将が手にして島のグラスへと注いで、スラヤにも注ぐ。この時だけは周りの煩わしい何もかもを忘れて祝福に酔いしれることにした……。コンコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「……ん?」
夢から覚めて目をあけるとそこは宿舎の自室だった。
「大尉、入りますよ?」
いつもなら時間前に必ず出てくる島が現れないことを変に思いロマノフスキーが扉を開ける。
「ああ君か、済まない寝込んでいてしまった」
ベッドに上半身を起こして具合悪そうな表情をする。
「お加減が悪そうですが水をお持ちしましょうか?」
「ああ頼む」
渡された水を一気に飲み干してコップをサイドテーブルへ置く。大きく深呼吸をして体に酸素を行き渡らせる。
「何か悪いことでもありましたか?」
いつもこんな状態になるまで深酒はしない島を心配そうに尋ねる。
「逆だよ中尉」
「逆?」
意味がわからないと疑問を露わにする。
「スラヤと、彼女と婚約した。それで中将と中尉から祝福責めにあった」
なるほどと納得し笑みを浮かべる。
「おめでとうございます。その理由では仕方ありませんね。指揮所にはどうぞ盛大に遅刻してらして結構です」
それでは、と部屋を出て行ってしまった。体調がぱっとしないために少し熱めのシャワーを浴びる、次いで冷たくし、また熱くと何度か交互に繰り返し刺激してゆく。
――なるようになっちまったな!
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