第898話 箸が止まる愛夫弁当

「……お、おいしい」

 卵焼きを口にした瞬間、甘い味が口の中に広がり、飲み込むと自然と言葉が出てきた。

 私は真人と同じで甘いものが好きだから、それを熟知している真人が卵焼きを作る時に砂糖を少し多めに加えたに違いない。

「も、もうひとつ……」

 私はもう一個卵焼きを掴み、それを口の中へ。

「ん~! おいひい……!」

 お母さんの作る卵焼きの味付けが大好きだけど、真人の作ったこの卵焼きの味も、それに近い。

 この卵焼きも、一瞬で私の大好きな味になった。

「も、もう一個……あ!」

 もっとこの卵焼きを味わいたいと思ってお箸を伸ばしたんだけど、もう卵焼きは残ってなかった。

 昨日まで使っていたお弁当箱よりもおかずの量が多い(こっちにはおかずしか入ってないから当たり前だけど)といっても、スペースを考えるとしか入らない……あれ?

 私、卵焼き二個しか食べてないような……?

 私はスマホを取り出して、さっき撮影したお弁当を確認すると、やっぱり三個入っていた。

 だとすると……あれ? なんで?

「卵焼き、二個しか食べてないのに……」

「いやいや、あんた二個目食べたあとすぐに三個目食べてたじゃん!」

「……へ?」

「うんうん。口の小さい綾奈ちゃんが、ほぼ一気に卵焼きを二個も口に入れて、リスみたいで可愛かったよ」

 え、え? ウソ! 私、そんな風に食べていたの!?

「……もしかして西蓮寺さん、気づいてなかったの?」

「……う、うん」

 私はちょっと顔が熱くなりながらもゆっくりと頷いた。

「それだけ綾奈ちゃんが夢中になっていたってことね。こんなに想われて、つくづく中筋君って幸せ者よね~」

「……えへへ」

 真人が少しでも幸せと感じてくれているなら、嬉しいな。

 そして、私は高揚感に包まれながら、プチトマトの実の部分を口に含み、ヘタを取った。

 噛んだ瞬間、トマトのみずみずしい果肉が口の中に広がる。

「おいひい……」

 プチトマトも全部食べてしまい、残ったのはデザートのみかんと猫さんハンバーグだけとなった。

 さすがにハンバーグを先に食べないと……だよね?

「うぅ……」

 猫の形をしたハンバーグ……どうしても食べるのを躊躇っちゃう。

「綾奈ちゃん、食べないの?」

「た、食べたいんだけど……猫の形をしたのを食べるのは……」

「じゃあ……私が食べていい?」

「だ、ダメだよ!」

 乃愛ちゃんがお箸を伸ばしてきたので、私は腕でハンバーグをガードした。

「こ、これは真人が私のために作ってくれたお弁当なんだもん。誰にもあげたくない」

 乃愛ちゃんにはちょっと悪いことをしちゃったと思ってるけど、それでもこのお弁当は、私が全部食べたい。他の人には……親友のちぃちゃんや、もしここにお姉ちゃんがやって来てもあげたくない。

「あ、あはは。冗談だよ。ごめんね綾奈ちゃん! このとーり!」

「乃愛。あんまり冗談に聞こえなかった。お箸を伸ばしたのも減点」

「せ、せとかぁ……! 減点は勘弁してよ!」

 一体なんの点数が減点になるのかわからないけど、とにかく乃愛ちゃんは減点が嫌みたい。

 あとから聞いたけど、乃愛ちゃんは体育祭の実況で、真人に『紳士ポイント』っていうポイントを与えていたみたいだから、せとかちゃんも同じように返したのかな。

 紳士ポイントって言ってたのかな? 私も聞いたはずなのに、いまいち覚えてない。

 旦那様のかっこいい顔しか記憶にない。

「てか綾奈。残すのも真人に悪いんだから諦めて食べちゃいなよ」

「そうね。残ってるのを見たら、中筋君きっと落ち込んじゃうと思うわよ」

「う、うん……」

 私は猫さんハンバーグを一気に口に入れ、食べた。

 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ心が痛んだけど、このハンバーグも本当に美味しかった。

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