第858話 勧誘
簡単な表彰式のあと、俺は保健室で怪我の手当てを施されていた。擦りむいた膝を消毒、そしてガーゼを貼られた。
こういう怪我も久しぶりだから消毒液がしみて思わず声が出そうになったが、さすがに高校生でそれは恥ずかしいし、保険の先生にも笑われそうだったので耐えた。
そしてこの保健室に付き添いで来てくれた男子ふたり、一哉と健太郎……ではなく、高木とまさかの長岩だ。
高木は試合の最大の功労者を俺が付き添いたいと、本来俺とここに来るはずだった一哉と健太郎に頼み込み、長岩も怪我をさせたのは俺だからと言って譲らなかった。
以前の修斗みたいなデカい態度はなりを潜めてしおらくしなっている。
保健室をあとにした俺たちは、教室に向けて歩いていたのだが、長岩が再度の謝罪のあとに、まさかの一言を口にした。
「なぁ中筋……お前、サッカー部に入らないか?」
「えっと……ごめん」
勧誘が嬉しくないわけではない。臨時の合唱部である俺は、他の部活に入っても問題はない……が、俺はすぐに断った。
だが、長岩は不満らしく簡単には引き下がってくれない。
「なんでだよ? あれだけサッカーができるのに……」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それは密度の濃い特訓をしたからだ。それに、俺は合唱部で目標があるんだよ」
「目標?」
長岩は首を傾げた。高木もちょっと興味深そうに俺の言葉を待っている様子だ。
その目標を教える前に、綾奈の存在を知っているかの確認をしないといけない。
「長岩は、俺に婚約者がいることは知ってるか?」
「あ、あぁ。確か高崎高校一の美少女……なんだよな?」
高木は先月、一宮さんたちが行ったプレゼンを聞いていたから知っていたが、長岩も知っていたみたいだ。
なら昼休みの修斗の件……あれはなんで驚いたんだろう? 四月の時は信じてなかったからか? まぁいいか。
「その婚約者との目標……合唱コンクール全国大会で風見高校と高崎高校が金賞を取る。これが婚約者と一緒の目標で、俺はそれに向けて頑張ってるから、他の部活をしている暇がないんだ」
もちろん他にも理由はある。綾奈といる時間が減ってしまうとか、イチャイチャできなくなるし、綾奈に寂しい思いをさせてしまうし俺も寂しくなる。
「その金賞って、取るの難しいのか?」
合唱のことをわかっていない高木から出た質問。長岩も同じことを知りたそうな顔をしている。
「簡単に言えば、全国三位以内だな」
全国大会の金賞に選ばれる学校は三校。間違った表現ではないだろう。
「全国三位!?」
「マジか! で、いけそうなのか?」
「まだなんとも」
去年より歌唱力、そして部の団結力も上がってるが、比較対象が去年の自分たちだから達成できるかなんてわからない。
そしてさらにその先……最優秀賞に届くのかどうかも、今のところまったくわからないし。
「そっか……。頑張れよ。応援してるからな」
「俺もだ」
「ありがとう」
勧誘が一段落したところで、高木が「そういえば……」と言った。
「中筋。お前横水修斗とはどこで知り合ったんだ?」
高木はもしかしたら、昼休みからずっと気になっていたのかもしれない。こいつの反応を見るに、修斗ってこの辺りのサッカー界隈では名の知れた選手っぽいし。
当然長岩も修斗を知っているらしく食いついてきた。
「横水修斗と知り合い!? どういうことだ中筋!」
「い、妹のクラスメイトなんだよ。それで今年の元日に知り合う機会があってな。以降仲良くしてもらってるよ」
修斗が俺を『おにーさん』と呼んでいることを話すとなんか話が面倒な方向に向かいそうだし、そうなると帰る時間も遅くなりそうだから言わないでおいた。
「まさか、妹のカレシが横水修斗なのか!?」
「違う違う。友達だよ」
そうなる未来は歓迎だが、そんな関係になるビジョンが今のことろまったく見えないんだよなぁ。
「さ、とりあえず着替えて早く帰ろうぜ。早く婚約者に会いたいしさ」
教室に置いてあるスマホで終わったことを綾奈に伝えたら、こっちの駅で待っててくれる手筈になっている。地元駅でいいのにと思ったけど、綾奈は早く俺に会いたいと思ってくれているからなのがわかっているから、言わないでおいた。
早く会って、優勝報告もしたいな。
このあとのことを考えワクワクしていると、高木が遠慮気味に声をかけてきた。
「なぁ、中筋」
「ん?」
「お前の婚約者に、一度会ってみたい」
「……まぁ、いいよ」
高木は二年から同じクラスになったから、一年の三学期に綾奈たちが校門に来たことを知らない。高校生の段階で婚約者、そして高崎高校一の美少女だから、興味は尽きないんだろう。
長岩も同じみたいで、高木に便乗してきた。
そうして俺は、みんなで駅に向かった。
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