第735話 一度だって

「っ!」

 綾奈は目を見開き、息を呑んだ。

 引きかけた顔の赤みも戻ってしまった。

「こ、こんな可愛くて綺麗なお嫁さんを食べたくないなんて……思うわけ、ないよ」

 俺も顔が熱くなるのを感じながら、脳に必死にある命令を送る。


『冷静になるな』という命令を……。


 冷静になったらこんな話は絶対にできない。ある程度テンションをおかしな方向に持っていかないと、『なんで朝っぱらからこんな話してんだ?』って思ってしまうから。

 およそ高校二年生の男女が朝っぱらからする話の内容ではないが、俺たちは夫婦だからセーフという考えも持っておかないとな。

「で、でも……ましゃとはあんまり、私の体の……色んな部分には、触ら……ないよね?」

 綾奈は恥ずかしがりながらもさらに質問してきた。

 どうやら俺が綾奈のそういう部分にあんまり触れないのは前々から気になっていたみたいだ。

 まぁ、この半年間で、綾奈の胸に触れたのなんて指折り数えれるくらいしかないもんな。『夫婦』って言ってる割には少なすぎるよな。

 高校生でも俺たちより進んでいるカップルはゴロゴロいるし、前に中村にも『プラトニックすぎないか?』と言われたな。

 さて、なんて答えようか? 『冷静になるな』という命令と、まだ若干寝起きだからあんまり脳が機能してない。

「……それは、綾奈を怖がらせな……いや、違うな」

 俺は下を向いて後頭部をガシガシかいた。

 俺は何度か、『綾奈を怖がらせないため』って思ってきた。

 だけど綾奈がさっき、『私の体の……色んな部分には、触ら……ないよね?』と言っていたから、俺が言おうとしていたのはただの言い訳にすぎない。

 もちろん嘘ではないけど、綾奈が今以上のスキンシップを望んでいるのであれば、それは『逃げ』にしかならない。

 もっと綾奈の気持ちに……俺の正直な気持ちで応えないとな。

「多分、いつも以上のことをすると、弘樹さんとの約束を破りかねないから」

「っ!」

 弘樹さんとの約束……『子どもを作る行為はするな』。

「その約束を破る気なんてないし、俺自身、高校生のうちでするつもりはないよ。でも───」

「で、でも……?」

 綾奈はおそるおそるといった感じで、真っ赤な顔をして続きを促してくる。

「俺だって男だ。大好きな綾奈と今以上のことをすると、マジでタガが外れて綾奈を襲ってしまうかもしれないから、イチャイチャしてる時はほぼ常に自分をセーブしてるんだよ」

「……!」

 今までだと、綾奈の脚をマッサージした時が一番危なかったな。

 脳内であの時のことを思い出そうとしたのを止めて、真剣な表情で綾奈を見る。

 今から俺は、かなり恥ずかしい本音を綾奈本人に伝えようとしている。

 それを考えると熱が出た時のような熱さに襲われるのだが、冷静になるな。これこそ普段の自分じゃ絶対に口になんて出せないのだから……!

「あ、綾奈。ひ、ひとつ覚えておいてほしいんだけど……」

「……な、なぁに?」

「お、俺は……綾奈を食べたくないと思ったことなんて、これまで一度だってない」

「……っ!」

「それはこれから先、ずっと変わらないから……」

 い、言えた! 顔から火が出る!

 こんなこと、もう絶対に言わない! というか言えない! 少なくとも高校生であるうちは!

「う、うん……」

 綾奈は顔を赤くして俯いてしまった。聞いている側もめちゃくちゃ恥ずかしかったみたいだ。

 でも、これで少しでも綾奈が不安を取り除けてたら嬉しいな。

 ただ、この微妙な沈黙はなんとかしないとな。

「ま、まぁ! 駅で中村にも言ったんだが、俺は今のスキンシップに満足してるからさ!」

 ちょっと声を大きくして言った。この場の空気が少しでも良くなることを願いながら。

 でも後々考えたら、なんかわざとらしく聞こえるな。

 それでも綾奈ならわかってくれるかな。千佳さんも言ってくれたけど、俺たち、似た者夫婦だし。

 綾奈はゆっくりと顔を上げた。相変わらず真っ赤だ。

「そ、それは……私も、同じ」

 どうやら綾奈にはちゃんと本心だって伝わったみたいだ。良かった。

 安堵した俺は、自然と手を綾奈の頭に伸ばしていた。

「あ……」

「だから、俺たちはこれからもいつも通りでいこう。ね?」

「っ ……うん!」

 綾奈は俺に抱きついてきて、それからしばらくいつも通りにイチャイチャした。

 最初はどうなるかと思ったけど、また少し綾奈と通じ合えた半年記念日の早朝になった……よな。

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