第61話 綾奈へのイタズラ

 これは……執事服?

「中筋君は身長高くて細身だし、顔も整ってるからきっと似合うわよ~」

 漆黒の執事服を俺は手に取る。いくらなんでもこれは俺には似合わないだろうと思いながら、俺は綾奈さんの方を見る。

「…………」

 綾奈さんは目をキラキラさせながら俺を見ていた。

 これ、俺に拒否権はないやつだ。

 観念した俺は執事服を持ってフィッティングルームへ入った。


 五分程で着替えが終わりカーテンを開ける。

「っ…………」

 俺の姿を見た綾奈さんは息を飲み食い入るように俺を見てくる。いや、見すぎじゃないか?

「……かっこいい」

 やがて綾奈さんが発した言葉に俺はドキリとしてしまう。

「えぇ~、本当に似合ってるわ~。私の思った通りね~」

「雛さん、ありがとうございますっ!」

 何故か綾奈さんが雛先輩にお礼を言っている。そんなに似合っているのか?

「じゃあ中筋君。……ごにょごにょ」

 雛先輩はにこにこしながら俺に近づいてある事を耳打ちしてきた。

 雛先輩から香るいい匂いと、俺の腕に雛先輩の立派な双丘が押し付けられて俺の心はザワつきまくっている。

「えぇ、マジですか?」

「マジです。きっと西蓮寺さんも喜んでくれるわ~」

 そんな事で綾奈さんが喜ぶのかはわからないけど、雛先輩の言う通りにしてみようと思い、綾奈さんに振り返った。

「…………むぅ」

 すると綾奈さんは頬を膨らませてご不満な様子だ。

 多分雛先輩が耳打ちするために俺に密着したからだろう。その時に雛先輩の立派な二つの果実が俺の腕に当たっていたのだけど、不可抗力だし俺にはどうしようもないだろ。

 俺は綾奈さんに近づいていく。

 綾奈さんは俺が何をするのかわからずにキョトンとしている。

 俺も恥ずかしいから出来ればあまりやりたくないんだけど、さっき綾奈さんは原作再現してくれたから俺も恥ずかしさを押し殺して雛先輩の提案に乗ることに決めた。

 やがて俺は綾奈さんのそばに立ち、ゆっくりと顔を綾奈さんの耳に近づける。

「へっ?」

 綾奈さんは驚いて声を漏らすが、気にせずに顔を耳の側まで持っていき、そして……。

「お手をどうぞ。お嬢様」

「ひゃう!」

 そんな言葉を綾奈さんの耳元で、合唱で使うような声音で囁くと、綾奈さんは驚きの声を上げ、ビクッと肩を震わせたかと思うと、へなへなと地べたに座り込んでしまった。

「あ、綾奈さん!?」

 慌てて綾奈さんを見ると、綾奈さんはプルプルと小刻みに震えていて、俯いて手を両頬に当てていた。

 表情はわからなかったけど、耳を真っ赤にしているのを見たら、似合わなすぎて笑っている、ということはないようだ。

「……真人君ずるい。かっこよすぎるよぉ」

「えっ?」

 俺が予想していたのと正反対な感想が綾奈さんの口から発せられて、俺の顔も熱くなった。

「思った通り、西蓮寺さんに効果抜群だったわね~」

 雛先輩はにこにこしながら俺たちのやり取りを見ている。絶対面白がってるなこの先輩。

 にこにこした表情のまま、雛先輩は綾奈さんの傍に行き、しゃがみ込んだ。

「西蓮寺さん。照れるのも良いけど、せっかくの中筋君の執事服姿、ちゃんと目に焼き付けなくて良いのかしら~?」

 雛先輩はテンションが高いのか、それともこの状況を面白がっているのかわからないが、最初より明らかに声のトーンが上がっていた。

 雛先輩の言葉を受け、綾奈さんがゆっくりと顔を上げた。

 顔はリンゴの様に赤く、上目遣いで見てくる瞳は潤んでいて、口は半開きになっている。

 そんな表情で俺を見ないで綾奈さん。可愛すぎて心拍数が尋常じゃないくらい上がってるから。

 俺の心の声が届いたのか、綾奈さんは数秒、俺の姿を見たと思ったら、また顔を俯けた。

「み、見たいけど、かっこよすぎて見れないよ!」

 綾奈さんから二度目の「かっこいい」をいただいて凄く嬉しいのだけど、執事服を着たくらいでそんなに変わるものなのかな?自分ではいまいちよくわからない。

「雛先輩、そんなにかっこいいですか?」

「かっこいいわよ~。普段着ないスーツ系の服を着こなしているのだから、イケメン度が増してるわ~」

「そ、そうですか」

 雛先輩にも「かっこいい」と言ってもらい、照れが増し増しになる。

「それに、西蓮寺さんは中筋君が大好きだから、余計にかっこよく見えるのだと思うわ~」

「そうなんです!普段の真人君もかっこいいんですけど、普段見ることの出来ない衣装を着た真人君は凄く新鮮で……執事の真人君、凄く良いです」

 綾奈さんは座り込んだまま、捲し立てるように俺の事を褒めちぎってくる。

 大好きな彼女にここまで言われると、照れまくって気持ちが高揚する。

 ここで俺の心にちょっとしたイタズラ心が芽生えた。

 俺は綾奈さんの傍でしゃがみこんで、綾奈さんの目を見て言った。

「執事で良いの?」

「へっ?」

 綾奈さんは、俺が何を聞いているのかわからないらしく、可愛らしく首を傾げている。

 そんな仕草が俺のイタズラ心を増長させる。

「執事の俺が良いの?」

「え? え? う、うん。執事の真人君、凄くかっこいいし……」

「そっかぁ。執事だとお嬢様である綾奈さんにお仕えなければいけないから、恋人みたいなスキンシップは出来なくなるなぁ~」

「ぁ…………」

「綾奈さんがどうしても執事の俺を望むなら仕方ないな。今日から綾奈さんのしつ───」

「や、やだ! 恋人がいい! 執事の真人君もいいけど、恋人じゃなきゃやだ!」

「俺も」

 焦って子供っぽい口調になった綾奈さんがとても愛おしくて、自然と笑みが零れて綾奈さんの頭に手を置く。

「俺も綾奈さんの恋人が良いな」

「っ!」

 優しく頭を撫でてそう言うと、綾奈さんの顔がまた赤くなった。いっぱい表情が変わって、色んな綾奈さんを見れて、さらに愛しさが込み上げてくる。

「……真人君のいじわる」

「あはは、ごめんごめん」

 綾奈さんがプクッと頬を膨らませて不満の声を漏らす。

 ここでのやり取りだけで色んな綾奈さんを見ることが出来て幸せだ。

 俺は立ち上がり、綾奈さんの目の前に自分の手を差し出す。

 すると、綾奈さんは俺の手を笑顔で握ってきたので、引っ張って綾奈さんを立ち上がらせた。

 少し勢いを付けすぎたのか、綾奈さんが立ち上がるのと同時に俺に引っ付く形になる。

「あ、綾奈さん」

「えへへ~」

 慌てる俺をよそに、気の抜けた、それでいて嬉しそうな声を漏らす綾奈さん。これ、絶対わざとだな。

 だが、この教室でのやり取りで、また綾奈さんとの思い出が出来たな。

 最初はコスプレするのにお互い恥ずかしがって乗り気では無かったのだが、終わってみれば俺も綾奈さんも笑顔になっていた。

 俺はそんな素敵な思い出を作るきっかけになった雛先輩にお礼を言おうと振り向いた。

「雛先輩、どうもありがとうございまし…………た?」

 雛先輩の方を向くと、何故か雛先輩はスマホを横に持ち、それを俺たちに向けてにこにこ笑顔になっていた。

 つまり、俺たちをスマホで撮影していたのだ。

「雛先輩?いつの間に動画を撮っていたんですか?」

「中筋君が「執事で良いの?」って言ってるところからよ~」

「え?」

 俺が綾奈さんにイタズラを始めた時からだ。

 普通スマホの動画撮影を開始する時、音が鳴るはずなのに……俺が気づかなかっただけか。

「心配しなくても、後でこの動画を二人に送るわね~」

 そこら辺の心配は全くしてないというか、送ってくれるとは思ってなかった。

 そんなことを思っていると、続けて雛先輩が口を開けたが、その言葉に俺と綾奈さんは同時に驚く。

「それと~、その衣装も二人にあげるわ~」

「「えっ?」」

「うふふ~。いいものを見せてくれたお礼よ~」

「いやいや、この衣装は雛先輩の時間や予算がいっぱいかかってるじゃないですか。それなのに俺たちのやり取りを見ただけで上げるって……割に合わないでしょ」

 正直素人目で見ても、俺と綾奈さんの着ている衣装のクオリティはかなりのものだと思う。

 一体これだけの物を作るのにどれだけの時間とお金がかかるのか……全く予想出来ない。それなのに俺たちのイチャつきを見ただけでそれを俺たちにくれると言っているのは明らかに雛先輩が損をしている。

「中筋君、私は本当に君に感謝してるのよ。高校に入っても友達を作ろうとしなかった健ちゃんのお友達になってくれて、健ちゃんが自分の殻を破るきっかけを与えてくれて、千佳ちゃんっていう可愛い彼女も出来た。貴方がいなければ、今の健ちゃんはいなかったもの。そのお礼も含めて、受け取ってほしいわ」

「え?」

 雛先輩はいつものおっとりとした口調ではなく、真面目な雰囲気で話をした。

 確かに高校入学時の健太郎は凄く大人しく、自分から誰かに話しかけようとはせず、いつも一人でラノベを読んでいた。

 俺はオタクとして、健太郎がどんなラノベを読んでいたのか気になって声をかけたんだけど、最初は警戒されてまともに取り合ってくれなかったっけ。

 しばらく話しかけたら健太郎からも話を振ってくるようになって、そこからどんどん仲良くなっていった。

 健太郎の過去に何かあったかは雛先輩の口ぶりからわかるけど、それが何なのかは……健太郎から言ってくるまで聞かないでおこう。多分話すのに勇気が必要だと思うし、無理に聞き出そうとは思わなかった。

 時期が来たら、健太郎から言ってくると思ったから、俺はそれは待つことにした。

「わかりました。ではこの衣装はありがたく頂きます。綾奈さんもそれでいい?」

 そして俺は、雛先輩の厚意を受け取った。

 ここまで言われてそれでも断るなんて、俺には出来なかった。

「はい。ありがとうございます。雛さん」

 綾奈さんも首を縦に振り、雛先輩にお礼を言った。

「どういたしまして~。そうだわ、二人の写真も撮ってあげるわ~」

 そう言って雛先輩は再びスマホを構えた。

 俺と綾奈さんは、くっついて笑顔でピースサインをした写真や、俺が綾奈さんの肩を抱いて二人共照れて顔を赤くした写真、執事姿の俺が綾奈さんの正面で跪いて綾奈さんの手を取っている写真と、様々なポーズで撮ってもらった。

 俺たち二人は、雛先輩とメッセージアプリで友達登録し、写真と動画を送ってもらった。

 綾奈さんとのツーショット写真は何気にこれが初なので、見ていると顔がニヤケてしまう。

 この写真は俺のスマホの壁紙にしよう。

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