第5話 綾奈の想い

 私、西蓮寺綾奈は、親友のちぃちゃんこと宮原千佳ちゃんと一緒に自宅に向けて歩いていた。

 「いやぁ、綾奈がまた男子に言い寄られてると思って助けに行ったら、まさかそれが中筋だったのにはびっくりしたなー」

 「……あはは、いつもごめんねちぃちゃん」

 ちぃちゃんは私がしょっちゅう男の人に言い寄られているのを見かねて、中学二年の頃から登下校を一緒にしてくれるようになった。

 ちぃちゃんは普段はとても優しいんだけど、怒ると本当に怖い。以前私に言い寄ってきた男子生徒を撃退した時の態度には本当にびっくりした。

 高身長でこの容姿のちぃちゃんに本気で凄まれたら大抵の男の人は怯えて逃げ出す事が多かった。

 「いいってそんな事。大事な綾奈に悪い虫が付くのは耐えられないし。それより……」

 そう言うとちぃちゃんはニヤリとした笑みを浮かべて……。


 「どうだった?愛しの彼と初めてまともに喋った感想は?」


 「……っ!」

 それを聞いた瞬間、私の頬は真っ赤になり、恥ずかしさのあまり俯いてしまう。

 「綾奈可愛いー!こんな可愛いリアクションした綾奈を見れないなんて中筋可愛そう!」

 私の表情を見たちいちゃんが思わず横から抱きついてきた。

 「もし今中筋君がいたら、私恥ずかしすぎて死んじゃうよ……」

 「あぁもう。本当に綾奈は可愛いなぁ。……しっかし、まさか綾奈が中筋の事が好きだなんて……今でも信じられないんだよね。確か中三からだっけ?」

 「うん」

 ちぃちゃんの言葉に頷き、私は彼を好きになった当時の事を思い出していた。


 中筋君とは小学校からの同級生。ただそれだけの関係だった。

 何回か同じクラスになった事はあったけど、特に何か話したりする訳でもなく、連絡事項があった時にそれを伝える、最低限な会話しかしたことがなかった。

 中学に上がり、私の中筋君に対する印象は、正直良いものではなかった。

 テストの結果はお世辞にも良いとは言えないものだったし、かと言って運動神経も良いものでは無い。何より遅刻ギリギリで登校してくる日が週に何回かあったので、きっとこの同級生の男の子は真面目な学校生活を送ってないと私は思っていた。

 彼への認識に変化があったのは中学三年の十月上旬。

 この日私は、来週に迫った中間試験の勉強を昨夜遅くまでしていた為、若干寝坊をした。

 寝坊なんて滅多にしないのにと思いなが早足で登校していた。

 通学路の途中にある歩道橋に差し掛かった時、ふと、その歩道橋を見上げると、階段を登り終えた所に中筋君がいた。遠目だったけど、あのふっくらとした体型は間違いなく彼だ。

 中筋君のすぐ隣には高齢の女性が立っていて、中筋君はその女性のものと思われる荷物を持って、おばあさんと笑顔で話していたと思う。遠くてその表情は完全にはわからなかったけど……。

 まさか、あのお婆さんが歩道橋を登るのを手助けしていた……?

 今の時代、高齢者が歩道橋の階段を登るのに苦戦していても、それを見ていなかったり、気づいたとしてもそのまま通り過ぎる人の方が圧倒的に多いのに、中筋君は自らあのお婆さんに手を差し伸べた?

 しばらく二人の様子を見ていると、学校とは反対方向、つまり歩道橋を渡った先にある歩道に向けて歩き出した。お婆さんのペースに合わせてゆっくりと。

 この時、私は中筋君に対して大きな思い違いをしていたのだと自覚した。

 彼がたまに遅刻ギリギリで登校してくるのは、単に寝坊をしているのではなく、あのお婆さんを手助けしていたから。そしてそれを仲のいい友達にすらおくびにも出さず、ただ夜更かしをしていたからと言っているのを聞いた。

 その事がきっかけで、私は中筋君をチラチラと目で追うようになった。

 当時のクラスでは割と頻繁に席替えがあって、私は中筋君の少し後ろの席にいたのだけれど、彼の授業態度はいたって真面目だった。テストの点数が良くないのは、恐らく予習復習を怠っているからなのかな?

 ある時は教室内に落ちていたゴミをクラスメイトが無視する中、彼はそれが当たり前とばかりにゴミを拾いゴミ箱に捨てていた。だけどその姿をクラスメイトの誰も見ていなかった。

 合唱コンクールが近くなり、臨時部員の人達が練習に参加するようになって、ふと彼の方を見たら真面目に練習していたし、男子だけ歌っている時は中筋君の歌声が他の部員よりも私の耳に入ってきた。

 私が不真面目だと認識していた中筋君は、すごく真面目で誠実な人だった。

 そう思うようになってから、私は彼のことが少しずつ気になりだした。

 その事を親友のちぃちゃんに初めて相談した時、ちぃちゃんは目を見開いて本当に驚いていた。幻聴なんだと思って、何回も聞き返していた。

 今までどんなイケメンや優等生が告白をしてきても一度として首を縦に振らなかったのに、なぜよりによって中筋なのかと。私が見てきた事を言っても、ちぃちゃんは半信半疑だった。

 この頃から私は、彼が授業で提出していたノートをクラスメイトの机に配っている時、私の所に来るのをそわそわしながら待つようになっていた。

 私のその様子を傍で見ていたちぃちゃんに、何やら生暖かい目で見られていた。

 生徒会役員が全校生徒の前で、いじめに関する劇をやった時、副会長でヒロイン役を演じていた私は、最後に主人公役の生徒会長、中村圭介君に告白するシーンがあったのだけど、その時に危うく「中筋君」と、言いそうになったりもした。

 その後中村君に「本当に付き合わないか?」と、告白されたけど丁重にお断りをした。

 それからも何度も言い寄ってきた中村君をちぃちゃんが呼び出してどこかへ移動したことがあった。

 そこから中村君のアプローチは影を潜めた。一体中村君に何をしたんだろう?

 三学期になり、いよいよ受験本番が迫ってきた時、私は中筋君の体型の変化に気付いた。彼はダイエットをしているのか、彼の身体は少しだけだけど、細くなっていた。

 彼のことをいつも注視して見ないと気付かないような変化だけど、彼の体型は二学期より確実に痩せているように見えた。

 その時私は、いつの間にか彼のことを無意識で目で追っていたことを自覚して顔が熱くなった。

 気になりだした頃は確かに意識してチラチラと見ていたけど、いつの間にか彼を目で追う事が習慣付いていたみたい。

 そして、三学期になっても彼はたまにだけれど、遅刻ギリギリで登校してくる日があった。あの時のお婆さんの手助けをしているだろう事は容易に想像出来た。

 私だけが知っている中筋君の秘密。そう思うと堪らなく嬉しくなった。

 何とかして彼と仲良くなりたい。でも、いきなり私が話しかけたらびっくりするだろうし、もしかしたら不審がられるかもしれない……。

 いや、あんなに優しくて誠実な彼だからそんな事はないと思っているけれど、勇気が出ず、結局仲良くなれないまま中学を卒業。私達は別々の高校へ進学する事になった。


 高校へ進学してからも私は同じ高校の男子に何回か告白をされた。勿論全てお断りしてきた。

 この時の私はもう、お付き合いするなら中筋君以外考えられなくなっていた。

 中学を卒業してから、彼がどんな高校生活を送っているのかは分からないけど、彼の親友の山根君も一緒だし、きっと新しい友達も出来て楽しく過ごしている……と、思うのと同時に、彼の優しく誠実な部分を知った私以外の女の人が、彼にアプローチをしているのではないかとも思って不安で仕方なかった。

 彼の隣に居たい。私以外の女の人と親密にならないで欲しいと、そう願わずにはいられなかった。

 私、こんなにも独占欲が強かったんだ。こんなに重い女って知ったら、流石の中筋君でも引いちゃうかな……?そんな不安も持ちつつ、私は彼への想いを募らせていった。

 そして迎えた今日、合唱コンクール当日。

 私は会場の外でちぃちゃんを含む仲のいい女の子数人と話をしていた時、中筋君の姿を視界の端にとらえた。(中筋君はちぃちゃんの真後ろに居たからちぃちゃんは気づいていない)

 正確には「中筋君らしき人」だけど。

 だって、最後に見た彼の姿より凄く痩せていて、一瞬本当に中筋君なのか判断できなかった。

 でも、彼の隣にいる山根君を見て、やっぱり彼が中筋君なのだと認識した瞬間、私の心臓は今までにないくらい大きく跳ねた。

 思考も上手く機能しなくて、そこからちぃちゃん達と何話してたかほとんど記憶になかった。

 ただただ、中筋君達に気づいてないふり、そして平静を装うのに意識の大半を注いだ。

 だって、ここで私が二人の存在に気づいたとしても、頭がパニックになって、何話していいかわからなくなってただろうし、面識のない子もいるから彼等も気まずい雰囲気になってしまうかもしれない。

 何より、あんなにかっこよくなった中筋君を見たこの人達が、中筋君に興味を持ってしまうかもしれないと考えると、私の心臓は、今まで経験したことのない痛みに襲われた。

 だから私は気づいてないふりをする事にした。

 すると中筋君達は私達の横を通り過ぎて行った。

 その後、風見高校の歌唱順近くになると、私はちぃちゃんと共に客席に行き、風見の生徒が登壇するのを今か今かと待っていた。待っている間も落ち着かなかった私を見かねたちぃちゃんは「落ち着きなよ」と苦笑まじりに言って来た。

 久しぶりに中筋君の歌っている姿を見れるのだから落ち着けと言う方が無理な話だった。

 ステージ上で歌っている中筋君はとても真剣な表情で歌っていた。私はそんな彼から目を離す事が出来なかった。

 高崎高校の番になり私は他の部員と共にステージに登壇する。中筋君は恐らく、今まで練習で培ってきたことの全てを出すつもりで臨んだはず。だから私も、彼が見ているかもしれないこのステージで、全力で歌った。

 そして、見事私達高崎高校は全国大会出場を決めた。だけど風見高校は僅かに届かなかった。


 「中筋と会ったのはやっぱりあの時?ほら、綾奈が帰りに飲み物を買いたいからって一人で自販機に行ってたじゃん?」

 今日の事を頭の中で振り返っているとちぃちゃんが中筋君と再会した時のことを聞いてきた。

 「そ、そうなの。本当、偶然で」

 「偶然でも、綾奈のその選択で運命が変わったんだから良かったじゃん」

 「運命って……そんな大袈裟な」

 「でも綾奈のその選択がなかったら、中筋と喋れないどころか、ちゃんと顔を見ないまま大会が終わってたかも知れないんだから大袈裟じゃないよ」

 ちぃちゃんは偶然って言っているけど、

 厳密に言えば、

 大会が終わって、みんなと会場の出口に向かっている時、トイレに行こうとしている中筋君を偶然見つけてしまった。

 その時の私は、頭で考えるより先に、みんなに「私、飲み物買ってから行くね」と言って、逸る気持ちを抑えながら、彼が向かったトイレに向かって歩き出していた。

 彼が入って行ったトイレのすぐ傍に自動販売機があって、私はミネラルウォーターを買って彼が出てくるのを緊張しながら待っていた。

 そして一分くらいして中筋君がトイレから出てきたのを見て、私はまた、自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。

 改めて見た中筋君は、本当に痩せていて、中学生時代のふっくらした体型は見る影もなく、顔を見ると本当にかっこよくなっていて直視出来ない程だった。

 心臓が物凄く早鐘を打っている。緊張で声が震えていたかも知れないけど、なんとか再会の挨拶や当たり障りのない会話をする事が出来た。

 それだけでも本当に嬉しかったのに、中筋君の方から「出口まで一緒に行かない?」って言われた時は天にも昇る気持ちだった。

 そこからちぃちゃんが私を呼びに来るまで、時間にして二分もなかったと思うけど、その二分弱の出来事は、私が過去に経験した事がないくらい幸せな時間だった。

 「それで?あたしが呼びに来るまでの間に連絡先くらいは交換した?」

 「ううん。出来なかったの……」

 ちぃちゃんに痛い所を追求される。勿論連絡先の交換はしたかったのだけど、時間がなかったのと、その直前に私が中筋君に言った「かっこいいし」に恥ずかしがってチャンスを逃したと言うのも原因の一つだった。すっごくボソボソと言ったから多分中筋君には聞こえてないはず。

 「あたしが呼びに行ったせいでもあるよね……。ごめん綾奈」

 「そんな!ちぃちゃんのせいじゃないよ!私が勇気を出さなかったからいけなかったの。それに、集合時間に気づかなかったのも悪いし」

 ちぃちゃんが謝ってきたけど彼女に非は全くないのですぐさまそれを訂正する。

 「ってか、中筋も男なら自分から綾奈に連絡先を聞けってんだ!」

 「……中筋君にそんな気はなかったと思うし」

 今度は中筋君に対して怒り出したのでそれを宥める。……でも、言ってて悲しくなる。

 「綾奈と連絡先を交換したい男は星の数程いるんだから、中筋だって絶対その中に入ってるって。もし入ってなかったら力ずくで入れるまでだけど」

 「な、中筋君に乱暴なことはしないでね」

 ニヤリと笑みを浮かべて、顔の前で握り拳を作るちぃちゃんをみて私は苦笑する。本当に何かしそうで一瞬寒気がした。

 するとちぃちゃんはすぐに笑顔になって「冗談だよ」って言ったけど……うん。全然冗談に見えなかったよ。

 「今更確認するまでもないと思うけど、一応聞くね?」

 私の意思を確かめるかのように、ちぃちゃんは私に尋ねてきた。私はそれに「うん」と答える。

 「綾奈は中筋のことが好きで、どうにかして仲良くなりたいと思ってる」

 「う、うん」

 「でも今日、連絡先を聞きそびれてしまってアイツとコミュニケーションを取る手段がなく、次いつ会えるかも分からない状況」

 「うん……」  

 「アイツの事が好きすぎて「私が彼の事を独り占めしたいのに、このままじゃ誰か別の女に横取りされてしまう」と危機感を感じている」

 「うん……。って、ちぃちゃん⁉︎」

 「「私が、私だけが彼の特別になりたい。彼の隣は絶対に譲りたくない」と、独占欲が発動しているってことでオーケー?」

 「そ、そうだけど……。恥ずかしいからやめてぇぇぇ!」

 途中からおかしな方向になっていって、私は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になって目には少し涙を浮かべながら親友を止めようとする。

 「あはは。ごめんって。でも実際、綾奈にここまで想われている中筋は幸せ者だと思うよ」

 「そ、そうかな?重い女って思われたりするんじゃ……」

 「仮にもし中筋が綾奈の事を好きだったら、アイツはあまりの嬉しさで今頃死んでるんじゃない?」

 「死ぬのは絶対駄目だけど、もし中筋君も私の事が好きなんて事があったら……嬉しいな」

 「綾奈、完全に恋する乙女の顔になってるよ。私が男なら絶対襲ってるわ」

 「ふぇ⁉︎」

  恋する乙女の顔って、どんな顔なんだろう? というより襲うって何⁉︎

 「まぁ、とにかく、綾奈が中筋に対して本気って事は充分すぎる程伝わったわ」

 「う、うん。でも、どうしてこんな確認なんか……」

 「いいじゃんそんな細かい事は!それより、中筋とお近づきになれる方法を思いついたんだよ!」

 「えっ⁉︎それってどんな⁉︎」

 「食いつきすごっ。まぁ、大船に乗った気でいてよ!」

 そう言ってちぃちゃんは笑顔で「中筋君とお近づきになれる方法」を話し出した。

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