六章 容疑者と花嫁⑤
【狂戦士】は即効性があり、ものの数秒で発動する。王の寝室を最後に後にした人物。
(王が死ねば、王妃はすぐにでも自分の息子を王にすることができる。それはそれで犯行の動機になるが、動機としては今までとは小さい気もする)
(んなあにをおっしゃいますか! 母の子に対する執着ほどねちっこくどろどろしているものはないのです。王を殺害し、自身の息子を王に据える母など古今東西どこにでもいるんですよ)
(そ、そんなものか)
(そうですよ!)
ベアトリーチェは激昂する。そして神妙な顔つきになり、ゴーレムの視界に映る扉を睨む。
(そして、花嫁として一番の難関もまた旦那の母親。そう、姑。この先には魔王がいると同義)
シウスはその気迫に圧され、色々と面倒だからこれ以上はなにも言うまい、となんとか頷く。
(ゴーレムさん。いざまいらん!)
「御意!」
ゴーレムもまた緊張しているのかノックをする手が震えている。
コンコン――と広葉樹の固い素材で作られた一枚板の重厚な音が廊下に響く。
「入りなさい」
扉の先から薔薇を想起させる気品に溢れる声が聞こえてきた。
「御意」
そこは、贅の限りが尽くされた部屋。中央には玉座よりも派手な椅子に足を組みこちらを見据える琥珀色の瞳。その微笑にゴーレムは思わず怯んでしまう。
(魔王、マーサ……)
(……いや、確かに魔王感はあるけど、王妃な?)
「御意」
ゴーレムは食事の載った銀のトレイを王妃の前にあるテーブルにそっと置く。
「あら、いい匂いね。これはジャガイモのスープに、アラドリケのサンウィッチかしら? 少し気分ではないけど、いいわ。せっかく作ってきてくれたのですもの頂きましょう」
(きたわね姑属性特有の言葉の端々にちくりと嫌味を織り交ぜる言葉のジャブ)
(そうか? 別に変わったことは言っていなかったのように思うが)
ベアトリーチェは肩を竦め、シウスを呆れた目で見ては、諦めたかのように頭を振る。
(おい、このやろう)
「それであなたはただの使用人ではないのでしょう? 何者かしら? ジャンに聞くところよくできた使用人のようだけど」
王妃は足を組み替え、じっとこちらを覗きこむ。
「王が死に、次の王は私の息子のアレクであることは間違いないでしょう。それは自然と次の世継ぎを生む為の花嫁を選ぶことと同義。そこに、沸いて出たように現われた、あ・な・た。昨日、雇い入れたという一使用人が颯爽と剣を持ちモンスターを撃退。そして一時的にとはいえ今は要人への直接の配膳係。ずいぶんできた話じゃありませんこと?」
ゴーレムは人の思惑の先まで見通すようなその瞳に思わず後ずさる。
「私はアレクの母親であるいじょう、王子に近づくすべての花嫁候補を選定する義務がある!」
(……ん?)
「あなたがアレクの花嫁の座を狙っているのは紛れもない事実! お馬鹿さんね。王子の母親である私に取り入ろうって魂胆なのかも知れないけれど、重要なことを忘れているわよ?」
「御、御意……?」
「このジャガイモのスープとアラドリケのサンドウィッチはつけあわせが悪いのよ!」
王妃はビシリとゴーレムを指差す。
(なに言ってんだ? このババア。そんなことどうでもいいじゃねーか。なあ?)
くだらねーと同意を求めようと隣を見ると、ベアトリーチェがわなわなと手を震えさせ、この世の終わりだと言わんばかりに目を驚愕に見開き脂汗をながしていた。
(私は……、な、なんという失態を……!)
シウスは急に孤独を感じた。
ゴーレムもまた床に手をつけ伏している。頭を垂れたその肩に王妃の手がそっと置かれる。
「あなた、いい線いってたわよ。これに懲りずにもっと精進なさい」
ゴーレムは肩に置かれた手にはっと顔を上げると、そこには先程の威厳に満ちた顔とは違った慈愛に満ちた微笑。それはまるで光の女神ルムミナを思わせるすべてを照らす光に見えた。
(今回は、私たちの負けね。ゴーレムさん)
「御意」
(やかましいわ)
ゴーレムは力なく立ちあがり、のろのろと王妃の部屋から足取り重く出て行こうとする。
「待ちなさい」
ベアトリーチェがはっと顔を起こした。
「聞きたいこと、あるのでしょう?」
「御意」
「なぜ分かるのかって? ふふ、あなたの様子を見れば簡単なこと。これでも長年子育てしていないわ。なんとなく察することができるの。この子は何か言いたそうだ、とね」
(さすが、魔王ですね)
(いや王妃だよ)
ゴーレムは踵を返し、再び王妃の前に、そして「御意」。
「王が亡くなる前、あなたは王の寝室を訪れていた。そのときに王に接触したか。ですって?」
ゴーレムの問いに王妃は首を傾げる。
「そうね。王には――接触、触れましたわ。長年連れ添った夫婦ですもの。治ったと聞かされても、しばらくすればまたあの狂気に染まった王に戻るのではないかと不安でしたから。寝室に訪れ、王の寝顔を見て、ようやく安心することができました。そして、彼におやすみのキスをした。まさかそれが最後のキスになるとは思いもよらなかったけど」
王妃は寂しげに微笑んだ。それがあまりにも儚げだったので、ゴーレムの心中がぎゅっと苦しくなるのが、シウスには分かった。
「……御意」
「あら、慰めれくれるの? 嬉しいわ。でも王子の花嫁はもう決まっているの。残念ね。あの子の花嫁は隣国の姫君。王が亡くなり、すぐにでも戴冠式は行なわれるでしょう。一つ気がかりとしては、趣味の狩を少し控えてくれればいいのだけど。最近は特に狩にいそしんでいるようだから、隣国の姫に愛想つかされないか心配だわ」
王妃は溜息をつく。そしてふと思いついたような顔でこちらに視線を向ける。
「そうだ、あなた私付のメイドになりなさい。それがいいわ。私は王子のことで心労も多くなるでしょうから、悩みを打ち明ける相手が欲しかったとこなの。あなたは、そうね私とのティータイムを楽しむことができるし、私からはあなたに花嫁のいろはを教えて上げられるわ」
(余計なお世話です)
(おい)
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