五章 騎士の花嫁①

 夜の帳が窓の外に掛かり、一日の移りかわりを知らせる。

 部屋の隅に仁王立ちしたゴーレムは主人達の意識が薄らいでいくのを感じ取っていた。彼女らもまた眠りに落ちていったのだろうか。


 窓を叩く風が広葉樹の葉をいやにざわめかせる。

 まるでこれから訪れる災厄の序曲を聴いているようで不安な気持ちになる。

 窓に何かがぶつかった。風とは違う。

 虫だろうか? かつかつと音がする。ゴーレムは燭台を手に窓辺へと近よる。

 燭台の光を窓にちかづける。

 ――目があった。


「ッ??」

 

 危うく燭台を取り落とすとこだった。

 そういった虫を見間違いしたのかともう一度、燭台をちかづける。

 揺れる明りに今度ははっきりと窓にぶつかる女の顔を照らしてしまう。

 こちらを覗き込んでいる。何匹も。

耳の変わりに腕のような羽が生え、ばさばさと羽ばたき無感動に窓にぶつかっている。まるで魔灯の明りに吸い寄せられていく羽虫のようだ。

 ゴーレムは燭台を机の上に置き、部屋の片隅に戻りゆっくりと目を閉じた。


「――おいい!」


 窓ガラスが稲光のような音をあげ砕け散った。

 突風に煽られた木々の葉が重なりだすような音が急激に迫り、視界は羽虫女の群れで埋まる。

 ――襲われる。

 ゴーレムは泣きだしそうになるのをこらえ、なんとかこの場から逃げようと手を突き出した。

 カツっとわずかに指先に伝わるドアノブの感触――。

 そのままゼロ距離で拳を繰りだす。


 ――ドゥんっ、とドアが爆発したように吹き飛ぶ。


 弾けるように部屋を飛びだす。ゴーレムは扉を閉めようと振り返った。女の耳が不気味な飛翔音を響かせ、大量の眼が一斉にこちらを凝視、口が裂ける


「――――ッ」


 ゴーレムは扉を破壊してしまったことに気づき絶望する。


(――ゴーレムさん! ストーンウォールよ)


 意識下の奥から響く声。体内に魔力が膨れ上がり、ゴーレムは即座にその声に反応する。


「御意!」


 扉を失った壁の両脇に手をつき、主人から送り込まれ体を駆ける魔力に呼びかける。

 ぽっかり開いた空間に壁が押し寄せるように瞬時に塞がる。

 塞いだ壁に何かがぶつかってくる衝撃がその頑強な手に伝わる。


(なに? なに? あれって、人の顔よね? あの目はなに!? 何の感情も伺えな

い人生に楽しみの一つも感じていないそんな不干渉な目だったわ。あの目はまるで、そう嫁に行き送れた女を彷彿とさせる。いえ、違うわ、出戻り、出戻りだわッ、怖い、怖い!)


(おいおいさっきの音はなんだ!? 一体なにが起こったんだ!?)


(出戻りですっ、シウスさん)


 意識下の奥、ゴーレムから得た視界情報に怖気を感じている主人の声に少しだけ突っ込みをいれ、壁の向こうから体当たりしてくる衝撃に、顔をぶつけてくる女の顔を想像しゴーレムは心を凍らせる。そっと耳を近づけてみると。


「――やかましいわッ! 余計なお世話よッ! 殺すわよ!」


「……御、……御意」


 ゴーレムは激怒した女の声にちょっと引いた。聞こえるはずのない主人の声がなぜか羽虫女に聞こえているかのようだ。悪口というものは空間を越えて伝わるものなのだろうか? すごく怖い、気をつけよう。そう心に刻んでいると廊下に面した他の扉が一斉に開いた。

 そこから羽虫の魔物が廊下を埋め尽すように溢れ出だす。


「――…………ッ!」


 その部屋の一つには確かジェシカがいるはずだった。

 少女の安否が気になっていると羽虫の魔物の群から少女が姿を現した。

 羽虫の魔物に襲われ飛び出してきたのかとゴーレムは駆け寄ろうとするが、彼女の首筋には、信じられないことに黒い斑模様が見えていた。

ジェシカがゴーレムの姿を認めると、口が耳下まで裂け、狂乱し吼えた。


「御意――っ!」


 ジェシカが獲物を追う捕食者のように唸りを上げまるで獣のように木の床に爪を突き立て襲い掛かってくる。


(え? あれ、ジェシカさん? あれではまるで旦那を寝取られた年上妻のような気炎。ゴーレムさん逃げてっ)


(おいおいおいっ、どうなってんだっ)


 ゴーレムは魔物に埋め尽くされた廊下に体当たりをかまし無理やり道をこじ開けていく。


「ぎゃっ」「ぎょえ」「うぎゅ」などと羽虫の呻きが耳元をかすめていく。


 女の怨念のような顔をもつ羽虫が密集し肉の壁となりゴーレムの進行を妨げる。

 背後には旦那を寝取られた妻が逆上しオーガのような形相になったジェシカが獣のように四つん這いになり天井に爪を食い込ませ、銀髪を振り乱し迫ってきていた。

 少女の力でゴーレムの頑強な体に傷をつけることなどできるはずはない。仮に傷つけられたところでゴーレムには自己修復機能があるためにダメージなどあってないようなもの。だがベアトリーチェは即座に彼女から逃げることを選択した。

 少女の首元に見える黒い斑模様。あれは【狂戦士】。

 【狂戦士】化した彼女が自身の身体能力以上の力でゴーレムに攻撃すればその身が傷つくのは十中八九、彼女のほう。

 だからこそベアトリーチェは、今は逃げることを選択した。


(ゴーレムさん。パンチで道をこじ開けてっ)


「――御意!」


 ゴーレムは拳を握りこみ、ゼロ距離で大群の中心に向かって大砲のような突きを打ち込む。

 轟っと雷のようないなびかりが空間を震わせ、羽虫女の群に拳が着弾、めり込み、破砕、爆砕する。衝撃波により道が切り拓かれる。


(ゴーレムさん! 早く早く! ジェ、ジェシカが来るよ! ギャー! 怖っ怖っ! 怖すぎるぅぅぅ! 逃げてッ! 早く逃げてっ!)


(ジェシカっ、どうしちまったんだっ。彼女は控えめでいじらしく大人しい子――っ)


「……御、御意っ」


 ゴーレムは聞こえてくる声をシャットダウンしたい気持ちに一瞬駆られた。

 再び羽虫が群がり道を塞ぎ始める前にゴーレムは駆けだす。

 様々な女の顔をした羽虫がゴーレムに体当たりをしかけてくるが、走り出したゴーレムを止めることはできずに岩石にぶち当たるようにその身を潰してく。


(おいおいおいっ、このモンスター! 積年の恨みを爆発させたような顔ばっかじゃねーかっ)


(ええ、私も心の底から恐ろしいです。こんなっ、こんな魔物がこの世にいるだなんて。羽虫女の形相はまるで生き遅れた女の怨念。そんな負のエネルギーが行き遅れた女の部屋の片隅によって集積し形を持ち生まれてきた不遇なモンスター。私は恐ろしさとともに哀れみさえ覚えてしまいます。怖いっ、怖いわっ色んな意味で怖いっ)


「やかましいいわ!」「ええかげんなこと言ってんじゃねー!」「殺すぞ!」


 会話が聞こえているとは到底思えないのだが、魔物達は何かを感じ取り、その敵意は更に加熱させていく。


「御、御意……」


 自分を通して何か雰囲気を伝わらせているのかな? と考えざるを得ない。

 とにもかくにも羽虫のモンスターは一層形相を歪ませドラゴンのような気炎で迫ってくる。


「御意―っ!」


 背後からはジェシカが迫る。

 羽虫女群がどしゃぶりの雨のように特攻をしかけてくる。

 迫りくる一匹を払い、次に向かってくる一匹を叩きつける。繰りかえし羽虫女の突撃を迎撃していく。迎撃を避けた羽虫がゴーレムの体に食らいつく。

 あろうことかその頑強な体にヒビが生じていく。突撃の衝撃の強さを物語っていた。

 通常の人間がこれを食らえば、骨など簡単に砕け散るだろう。

 それもそのはず。羽虫はその身を砲弾に変え、命とともに突撃してくるのである。

 そしてこの大群。ゴーレムの歩もその巨体が象徴するような鈍重な動きに変わっていく。


(やべえんじゃねーのかっ? これくそっ、おい看守! 城の別館に兵を向かわせろ!)


(このままではゴーレムさんがっ)


 ゴーレムの動きが鈍くなると羽虫女どもが高笑を上げ集ってくる。足に手に胴に胸に。ヒルのよう吸い付き、ガリガリと引掻くような嫌な音がゴーレムの聴覚を通じ伝わってくる。


(――っこいつらゴーレムを食ってやがる)

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