三章 王都へ花嫁①
「ふわぁ~、すごいこれが王都―?」
馬車の窓から身を乗りだしたベアトリーチェの小麦色の髪が風をはらむ。
街道を露天や屋台がうめつくすにぎやかな光景が広がっている。
赤く熟した果物と太陽のような黄色の果物がつみあげられ、活気にあふれ街道をにぎわしている。
それを見ているだけでベアトリーチェの心は弾んでいるようだった。
「おいおい窓から体ごと乗りだすなよ、子供じゃねーんだ。遊びにいくんじゃねーんだぞ。はあ……。ったく、くだんねー依頼を受けちまった」
ベアトリーチェのはしゃぎように憮然とした表情で溜息をつくシウス。
「いったい何がどうなってこんなことになったのか」
懐から一枚の手紙を取りだし文面に目を走らせ溜息をつく。
事の始まりはギルド長から渡された一通の手紙だった。
しぶしぶ受けとると封蠟には鷹を模した印が押されており嫌な予感が覚える。この国で鷹を模した印章を使うのは王室しかない。
シウスはげんなりとした顔で封をとき内容に目を通した。
親愛なるシウス・コルポーネ殿。
この手紙を読んでいるということは依頼を引き受けてくれたと理解する。
わが国の王が原因不明の病に倒れたそこで信頼できる君に森の魔女、フィリア・イ エルの召喚を助力願いたい。
ジャン・ドゥ・ピエール
つまりは王の病を治すことができる森の魔女を連れてこいということだった。
「まさか、森の魔女があんたの師匠だとはな……」
「え?」
太陽の光を浴びた彼女の髪は黄金に染まり光の女神を思わせ一瞬どきりとするがすぐに森の魔女の邸宅を訪れたときの苦い記憶が思いだされ妄想はあっさり風の精霊にさらわれていく。
――数日前。丸太で組まれた家屋と大きな木が混じり合ったいかにもな魔女の邸宅だった。ようやく辿りつき玄関の戸を叩くと。
カチャリと開いた扉の先からハーブの香りが漂ってきた。
「御意?」
岩のような顔がこちらを覗きこんでくる。それは子供の落書きのようなゴーレム。
シウスは驚き叫び、突如あのゴーレムが出現したことを認めたくない一心で昏倒した。
目を覚ますと、黄金の髪と黄金の瞳を持つ年の頃は二十代後半くらいの白衣を着た美女が揺り椅子に揺られこちらを見ていた。
右手持たれた木のカップからハーブの香りが漂い、匂ってきたのはあれかと、どこか混濁した意識の中理解した。
白磁のようななめらかな手が木目のカップを口元へと運んでいく。赤い紅がひかれた唇がカップの縁をカプリと咥え、こくりと飲み込んでいく。
(……なんだこいつは?)
女は一枚の紙を見ているようで瞳が左右に走りすぐに興味を失ったようにテーブルに紙を放りだしこちらに視線を寄越した。
「目が覚めたようね?」
その瞳はとても美しく見つめられると金の泉に吸い込まれていくような感覚に陥る。
やばいと瞳から逃れるとゴーレムと、あのベアトリーチェが視界に入る。
「あっ、気づきました? とりあえず眠気ざましにどうぞ」
「まずいな、女の魅了にやられたのか悪夢が見えている。このままじゃ精神をやられる――」
ハーブ茶のはいったカップを真顔のベアトリーチェが頬にぐりぐりと押し付けてくる。
「悪夢? 何が?」
「どういうこともあるかっ、ミスリルの剣取り戻すためにどれだけ苦労したと、ちょ、やめ、ちくしょー夢じゃない、だってカップが頬骨のところをごりごりしてちょっと痛いもの」
シウスはちょっとだけ涙ぐみ己の不幸を呪った。
「ねえ――」揺り椅子に揺られながらお茶を飲んでいる女が口をひらいた。
「せっかくゴーレムちゃんが入れたお茶が冷めちゃうわよ?」
「お師匠さま私も手伝ったんですよ?」
「――っあ、ああ。え? これゴーレムが入れたのか? ……ん?」
二人の会話に引っ掛かりを感じ、ハーブ茶の入ったカップからばっと顔を上げ金髪の女とベアトリーチェを見比べた。
「あんた、さっきこの女を師匠っていったか? ってことはあんたが森の魔女?」
「まあ、巷じゃ私、森の魔女と呼ばれてるわね。ちなみ名前はフィリア・イエルよ」
「いや、師匠ってどう見てもあんた――見たところ二十代前半っ――いててて」
「シウスさんハーブ茶が冷めますよ?」
勘がいいのかベアトリーチェが真顔でカップを頬にぐりぐりと押し付けてくる。
噂では周囲の村や町は古来より困りごとがあったさい村人は魔女に知恵を授かりに訪れるらしい。なので、想像していたのはしわくちゃの婆だった。――が。
どう見てもベアトリーチェよりも若い見目漆しい金髪金眼の美女。
「あ、ああ、お茶、いただこうかな」
だが、そんなこと口走れば目に怒りを宿した三十路女の意によりゴーレムに跡形もなく吹き飛ばされる未来が見えたので口を噤んだ。
代わりにハーブ茶を口に運ぶ。飲んでも大丈夫か? と一瞬躊躇うが魔女とベアトリーチェのじと目に耐え切れず礼をすると息を飲み一口飲む。
瞬間。喉にさわやかな風がすーっと通り抜けていく爽快感に驚く。
「――んん?」
「庭で育てたハーブなんです。私とゴーレムさんで育てたんですよ」
「……こりゃ旨い」
「で? 報酬はいくらくらいなの?」
フィリアの言葉にとっさに自分の懐を探り依頼の手紙が無い事に気づき苦笑する。
「俺がここに来た理由はすでに分かってるようだな」
さっき見ていた紙は気絶していた自分から拝借した城からの手紙だったようだ。魔女の手癖の悪さに呻きつつも、非公式とはいえ国からの使者に対して萎縮一つせずにふてぶてしくさえある態度には素直に感心してしまう。
フィリアは咳払いをし、親指と人差し指で輪っかをつくり、鼻息荒く指をくいっと動かす。
「もちろん王宮から謝礼はたんまりだ。これは前金として」
腰布に入れておいた皮袋をドチャリとテーブルに置く。
フィリアは満足そうに目を見張り、「ごほんっ」と咳払い。
「ふむふむ。魔女に頼みごとをするさいそれ相応の代償が必要になるからね。まあこれは確かに前金として受け取っておきましょう」
「前金?」
「ちなみに――」
フィリアは皮袋の中身を一瞥し、笑みを浮かべるとどこからか取りだした東洋の計算機をパチパチパチンと弾く。
「王の容態を回復させたら、こんなもんでどう?」
「――うっ、おいおいおいその皮袋に入っている金貨だって王都に軽く家が持てる金額だぞ?」
あの弟子にして、この師匠。これはさすがにドン引きである。
「一国の王の命よ? あんたは自分とこの王様でしょ。これでどう?」
「いっとくが俺には王なんかどうでもいいんだよ。こんなもんだろ」
「でも交渉が決裂すれば、あなたはどうなるのかしらね? じゃあこれで」
「さすがに俺の一存では決められねー。雇い主に話は持っていくからよ。で、ここらでどうよ?」
「……まあ、いいわ。魔女との約束を保護すると後悔するわよー」
魔女はシウスの額をチョンッと人差し指で突く。
「うっ」シウスは溜息を尽く。さすがは森の魔女こうまで底意地が悪いとは思わなかった。そりゃこんな魔女に師事してりゃベアトリーチェもあんな性格になるわなと納得した。
とりあえず依頼された魔女への王宮召喚を取り付けシウスは胸を撫で下ろした。あとは魔女を王宮まで連れて行けば晴れて自由の身。
「ベアト。話は聞いていたからわかっていると思うけど、よろしく頼んだわよ。あんたも王の命くらい救えないといいお嫁さんになれないからね。これも花嫁修業の一環よ」
ベアトリーチェは小麦色の瞳を輝かせ「はいっ」と景気のよく返事をした。
「ちょちょちょちょっちょっと待ってくれ!? あんたが来てくれるのじゃないのか?」
「はぁ~? そんなこと一言もいっていないわよ~」
魔女は耳の穴をほじりながら、釣り上げた黄金のカスをふーっと吹き飛ばしてくる。
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