八代マネージャーという人
金曜日。
八代さんから連絡をもらった二日後で、『REDAWN』をアップした先週の土曜日から、一週間弱が経過したことになる。
僕は美音と共に、事務所のあるマンションを訪れていた。
「うう、緊張する……」
珍しく縮こまっている美音。
まあ、芸能事務所に行くなんて初めてだし、用件も怒られに行くようなものだからね……。
「大丈夫だよ、基本的には僕とマネージャーさんで話す形だと思うし。
みんないい人だから、心配しないで」
「ありがとう。……ちなみに、ファンナイの『中の人』はいるの?」
「多分だけど、いないような気がする。
今回はファンナイは直接関係ないし、みんな多忙だから」
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと気楽かも……残念でもあるけどね」
えへへ、と笑う美音。少しは緊張がほぐれたかな。
僕はインターホンを押し、来訪の旨を伝えた。すぐにオートロックが解除される。
エレベーターで移動し、今度は事務所の部屋のインターホンを押すと、ドアが開いた。
「来たわね」
「八代さん、お疲れ様です。この度は申し訳ございませんでした」
僕の言葉に、美音もペコリと頭を下げる。
「とりあえず上がりなさい」
八代さんに促され、奥の応接間へ。
部屋に入ると、八代さんはまず名刺を取り出し、美音の方へと差し出した。
「VTuberグループ『ファントムナイツ』のマネージャーをしております、八代樹です」
「あ、はい。月島美音です。藤奏君とは高校の同級生で、その、今回は、すみませんでした!!」
勢いよく頭を下げる美音。僕も改めて謝罪の言葉を伝える。
「すみませんでした」
それを見た八代さんはというと、少なくとも怒るような感じではなかった。
「ほらほら、頭を上げて、一旦座りなさい。
こちらは経緯も分かってないんだから、まずはそこからね」
改めて腰を落ち着けると、今回の経緯――僕がヴァイオリンとヴィオラのための小品を作ったこと、二人で練習することになったこと、美音がWeTubeにアップすることを思い付いたこと、僕が実写で撮りたい旨を伝えると、美音からメロの名でアップする提案があり、それを受け入れたこと――を、八代さんに説明した。
八代さんは頬に手を当てて嘆息し、
「はい、よく分かりました。もう良いわ」
あっさり言い放った。
「え?もっとお叱りを受けるものと……」
「あなた達、十分に反省しているみたいだしね」
「何か罰とかは……」
「なぜ?
『メロの正体をばらしてはいけない』なんて契約、交わしていないわよ。
厳密に言うと、あなたは悪いことをした訳ではないわ」
え、そ、そうなのかな……。
僕と美音、二人して顔を見合わせる。美音は困惑した表情だけど、僕も似たようなものだろう。
「あのね。仕事において、もちろん契約は大事よ。
会社や個人が不当に不利益を被らないよう、契約というものを結ぶの。
ところが私は、『メロ』とは大した契約を結んでいないわ。事務所によっては、契約でアーティストを縛るところもある。でも私は、なるべくそうしたくなかったの。アーティストが自由に活動することが、ひいては会社の利益に繋がると思ったから。
そして今回の件は、『メロ』がアーティストとして自由に活動した結果よね」
……言われてみればまあ、そうなんだけど。何だか釈然としない気分になる。
僕の様子を見た八代さんは、何だか微笑んでいるような感じで続ける。
「とは言え、仕事をする上では、契約より重要なものがあるわ」
「契約より重要なもの?」
「ええ。何だかわかる?」
するとそこで、美音が発言した。
「……信頼関係、でしょうか?」
八代さんが嬉しそうに反応する。
「月島さん、その通りよ。
仕事っていうのは結局、『信用』で成り立っているわ。『この人になら安心して任せられる』、そして『この人のためなら頑張れる』という側面もあるわ。
同じ仕事に取り組む場合でも、両者の間に信頼があるかどうかでは、出来上がりのクオリティは大きく変わってくる。
あなた達も、見ず知らずの人より、家族や友人、恋人のための方が、頑張ろうって思えるでしょ?」
僕と美音はこくりと頷いた。
「今回のメロ君のやり方は、契約上は何ら問題ないけれど、私とあなたの間の『信用』という観点からは、決して褒められたものではなかったわね。
でも今日、一番最初に謝ってくれたし、これまでの一緒に仕事をしてきて、あなたの人柄も分かっているつもり。そういう『信用』がちゃんとあるから、今回はもういい、と言ってるのよ」
……そういうことなのか。
全く、僕はつくづく、周りの人に恵まれている。
「分かりました。八代さん、ありがとうございます。
今後は、もっと色々なことを考えて、行動していくようにします」
「まあ、メロ君は高校生にしてはちょっとしっかりしすぎなくらいだし、たまには羽目を外しても大丈夫よ。
でもね。あなたは才能があるから、将来的には、個人として活動ができると思う。
むしろ、こんな小さな事務所の器に留まってほしくないとも思っているわ。
個人で活動するには、やっぱり信用第一よ。会社が守ってくれるわけではないからね。そのことは覚えておいてほしい」
「はい、肝に銘じます。
……将来のことはまだあんまり考えていないですけど、八代マネージャーとは、ずっとお付き合いしていきたいです」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。君との関係を継続できるよう、私も『信用』してもらわないとね」
人差し指を頬に当てる仕草が、何だかとてもカッコいい。この人、本当に凄いやり手なんだろうなあ。
「それで、月島さん」
「あ、はい」
八代さんが今度は美音の方を向くと、美音も姿勢を正して返事をした。
「メロ君やファンナイのことは、くれぐれも内密にしてもらえると、とても助かるのだけど……」
「あ、それはもちろん。私、藤奏君と出会う前から、メロやファンナイの大ファンなので」
「ありがとう。本当なら一筆書いてもらうくらいの案件なんだけど……やめておくわ。あなた達の関係性を信じる」
「ありがとうございます。これも『信用』ですね」
「そういうこと。それにしても――」
八代さんはまじまじと美音を見つめ、また溜息をついた。
「ある所にはあるものね、
「原石?」
「ええ。月島さん、あなた、うちの事務所に入らない?」
「へ?」
「タレントにならないか、ってこと。そのルックス。聡明さ。ヴァイオリンという特技もある。
それこそ、メロの作品でヴァイオリンを弾いてもらって、アーティストとして売り出してもいいわね。
売れると思うわ。ファンナイを見出した私が保証する」
「え?そ、そんな、私が!?」
「そうよ」
目に見えてアタフタとし出した美音。まあ、こんな話唐突にされたら、当然か。
「調~……」
泣き出しそうな顔で僕の方を見てくる。
「うーん、ちょっとだけ、こんなことになりそうな気がしていましたが……」
「そうなの!?」
「もしかしたら、ってくらいだけどね。
ただ、これは僕が決めることじゃないし、美音がしたいようにしたらいいと思うよ。断っても大丈夫だよ」
「あらまあ、メロ君、つれないのね」
「八代さん、それは話が別ですから」
僕は苦笑しながら答えた。美音はしばし腕を組んでいたが、やがて、
「すみません、私にはもったいないくらいの話だと思うんですけど、やっぱり、お断りさせていただきます」
丁寧に頭を下げた。
「……あらそう、残念ね。理由を聞かせてもらえる?」
「私はアイドルみたいに歌って踊れるわけでもないし、確かにヴァイオリンは弾けますけど、そんなに上手じゃないです」
「そう?動画を見る限りでは、しっかり弾いていたと思うけど。少なくとも素人目には」
「私より上手な人はたくさんいます。もちろん私も、もっと練習して、もっと上手くなりたいです。でもヴァイオリンは、三歳の頃から遊ぶ間もなく練習している人もたくさんいて、それでもプロになれるのは一握り、そんな世界です。
私程度の腕前でお金を頂いて、つまりプロを名乗るのは、真剣にやっている人たちに申し訳ないと思います」
「なるほどねえ。でも、世の中のアーティストには、楽器の腕はそれほどでも、売れている人たちがたくさんいるわよ」
「確かにそうですけど、それはその人たちが作る曲とか、人柄とか、声とか、そういう他の魅力があるからだと思うんです」
「そういう点は、事務所としてバックアップもするわ。それこそメロの楽曲提供なんか、インパクトとしては十分よね」
「いえ、それこそ、私は嫌だ、というか。
もちろんメロ、藤奏君の作る曲は大好きなんですけど、そこに頼り切っちゃうのは、何だか違う気がします」
そこまで聞いた八代さんは、目を丸くした。
「……よくわかったわ。そこまで考えてくれているのなら、こちらも無理強いはしない。ありがとうね。残念だけど。気が変わったら、いつでも連絡ちょうだい」
「はい。こちらこそ、お誘いいただきありがとうございました」
後は僕と八代さんの間で少し事務的な話を進め、今日の用件は終了した。
美音が帰り支度をしている隙を見計らって、八代さんが僕に耳打ちしてくる。
「あなた、この子のこと、大事にしなさいよ。絶対に手放しちゃダメよ」
「え、八代さん、まだ美音のこと諦めてないんですか?ダメですよ、これ以上誘うのは」
「……馬鹿ね、そういうことじゃないわ。あなた達がどういう関係なのかは知らないけれど、こんなにいい子、そうそういないわよ」
「あ、そういうことですか……分かってます」
「ならいい」
僕たちがヒソヒソと話していると、それに気づいた美音が、気を遣って声をかけてきた。
「ええと、お仕事の話ですか?それなら、私はもう帰った方がよさそうですかね?」
「あ、ううん、もう終わったから!じゃ、八代さん、僕たち、そろそろ失礼します」
「ええ。月島さん、今度二人でお茶しましょう。仕事の話は抜きで」
「あ、それは是非!私も、八代さんのお話、聞いてみたいです!」
二人はそんな会話をしながら玄関へと向かい、僕もそれに続く。
マンションから駅への道中、美音は興奮したように僕に話しかけてきた。
「素敵な人だった!」
「うん。凄い人だよね、八代さん。美音は、デビューのチャンスを逃したことになるけど、よかったの?」
「もう、調も聞いてたでしょ。私はそういう気はないの」
「美音がいいなら、いいけどね」
とは言え、これだけの美少女だ。少しもったいない、という気もしてしまうのは、決して悪いことではないと思う。
でも、美音も自分の考えで結論を出したのだから、この話題はここで終わるべきだろう。
「じゃ、月曜日、また学校で」
「うん」
僕らは駅で解散した。
そして週明け。
登校すると、校内は
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