四季色カルテット
「やっと夜だ……」
ドサッと自室のベッドに倒れ込み、重力で柔らかいマットレスに押し付けられるのに身を任せる。
自分がどうやって家まで帰ってきたのか、よく覚えていない。夕飯は何だか味がしなかった。父さんや母さん、妹の
そりゃあ確かに、フラれる可能性もあるとは思っていたけどさ……。
目を瞑ると、あの時の光景が嫌でも思い浮かんでくる……風に散った、僕の恋。
「あ、そうだ、新曲……」
ふと思い立って、スマホを握る。運営がWeTubeにアップしたのが昨晩。公開から二十四時間近く経つ頃だ、評判を確認しておかないと……。
『新曲、テンション爆上がり』
『既存曲中最速じゃない?やべー』
『間奏でヴァイオリンだけになるとこ、好き!』
メンバーへのコメントももちろん多いが、曲自体へのお褒めの言葉も多い。
よかった……今までで一番ロックな感じに仕立ててみたんだけれど、ファンの皆さんは受け入れてくれたようだ。
ついでにメールもチェックしておかなくちゃ――あ、マネージャーさんからだ。
『件名:大コラボ決定!
ビッグニュースです!ファンナイと、何と、今を時めくトップアイドル<レイ>とのコラボが決定しました!また、曲の方向性など打合せしましょう。明日、事務所でどうですか?』
えっ、レイ!?
アイドルにそれほど興味がない僕でも知っている女性アイドルだ。確かに長い金髪が印象的で、歌も上手い。現在のアイドルは大人数グループが主流の中、突如としてソロデビューし、瞬く間に人気爆発。今や、彼女の姿をテレビで見ない日はないと言ってもいいだろう。
ファンナイは若者に人気とは言え、VTuberという形態自体の知名度はまだそれほど高くない。レイとのコラボが実現したら、ファンナイ、いやVTuber全体の立ち位置が変わってくるかもしれない。
『件名:Re: 大コラボ決定!
それは大事件ですね……グループの未来にもかなり重要な案件と思います。今から既にプレッシャーですが、またお話聞かせてください。
明日ですが、午後一でカルテットの練習があって出るので、十六時頃の顔出しでいかがですか?』
すぐに返事が来た。
『十六時、OKです!』
「よろしくお願いします」と返事をして、寝返りを打つ。
とりあえずファンナイのことだけ考えよう……。
-------------------------
土曜日、午後。
自宅で早めに昼食を済ませた僕は、電車に乗って、都内の某文化会館へ。予定通り十二時半ごろに到着。
ここはその会館の一室で、行政が貸し出し管理していて、割と安価で借りることができるのだ。音出しもOKで、アマチュア音楽家が練習などで予約することも多い。
今日は僕の所属する「
既に、第二ヴァイオリンの坂本さん、チェロの吉田さんは到着しているようだ。
「こんにちはー」
「あ、調君、お疲れ」
「よう」
この「四季色カルテット」は社会人グループで、坂本さんも吉田さんも四十代。坂本さんは女性、吉田さんは男性。
挨拶もそこそこに、楽器を取り出す。クロスでざっと埃を取り、弓の毛を張って、松脂を塗る。まずは開放弦で軽くロングトーン……うん、悪くない。今日もいい音。
とりあえず音階を何種類かやって、左手の指回りと、右手の感じを確認。大丈夫、いつも通り弾ける。
昨日のショックから練習を休もうとも考えたが、家に一人でいる方が気が滅入る。それよりも楽器に触っている方が、気が紛れていいや。来て正解だったな。
これから練習予定の曲を軽くさらっていると、引き戸がガラッと開いて、長身の男性が入ってきた……明石さんだ。
「あ、明石さん、こんにちはです」
「おう、調。何だ、元気ないな」
「え、そ、そんなことないですよ?」
「そうか?ま、そんな日もあるわな。
それよりみんな、ちょっと聞いてくれ」
音出ししていた坂本さんと吉田さんも動きを止め、明石さんの方を向く。
彼はバチンと手を合わせ、突然頭を下げた。
「みんな、すまん!
本番の日、仕事が入っちまった!」
「ええ!?」
吉田さんが大きな声を上げる。
「おいおい、どうすんのさ。会場もう押さえちゃってるよ?」
「吉田さん、申し訳ない。うちのオケも経営厳しくてさ、運営からの指示には逆らえんよ」
「まあ、その辺はプロヴァイオリニストとは言え、サラリーマンと一緒かねえ……。予定にない本番?」
「ああ。少人数アンサンブルのコンサートで、人件費を抑える分、チケット代も低めににして集客を狙うんだと。もともと休み予定だった日なもんだから、先輩方予定入れちゃってる分、若手の俺にお鉢が回って来ちゃって……」
「俺もしがないサラリーマンだから、気持ちは分かるけどさあ……はて、どうしたもんか」
「だから、代役を立てることにした」
「代役?源田ファミリーの?」
「おう」
源田五郎先生は、僕のヴァイオリンの先生。今はもう現役を引退しているけれど、一昔前は都内でも名高いヴァイオリニストだったらしい。教え子も多く、「源田ファミリー」なんて呼ばれている。この「四季色カルテット」のメンバーも皆、源田先生の関係者だ。
先生のレッスンでは年に一回、アンサンブルの練習をさせてくれる。先生の伝手で他の楽器の奏者も集まって、チームを組み、他の人と合わせる経験ができるのだ。
それで二年前に組んだのが、ヴァイオリンの明石さん、チェロの吉田さんと、僕。当時の僕は、第二ヴァイオリンの担当。
明石さんは当時からプロだったけれど、源田先生の教え子で、ご厚意で参加してくれた。何だかこのメンバーが気に入ったみたいで、定期的に自主演奏会を開かせてもらっている。何とも貴重な経験をさせてもらっていて、正直幸運だと思う。みんなレベルが高くて、勉強になるし、何より楽しい!
当時ヴィオラを担当していた方は、地方に転勤になってしまった。明石さんが僕にヴィオラを薦めてくれて、やってみたところ、その魅力にハマってしまった、というわけ。
第二ヴァイオリンの坂本さんは、その後明石さんが呼んできてくれた。もちろん源田先生門下。
「まだ高校生なんだけど、結構バリバリ弾けんのよ」
「へえ、明石さんがそこまで言うのは凄いね」
「藤奏君、よかったね、若いお友達で」
「確かに同年代の楽器仲間は少ないので、楽しみです。次回から参加ですか?」
「いや、実は今日呼んでてな。もうすぐ着くと思うぞ……お、早速連絡。最寄り駅に着いたって」
そしてアップを再開。十三時を回っているが、メンバーが揃わないので仕方がない。
「すみません、遅れました!!」
ガシャッ、とドアが開いて、瑠璃色の声が耳に響いた。
「
明るく言い放つそこに見えたのは、小柄な笑顔の女の子。
ヴァイオリンケースを肩にかけ、少し茶色く染めた髪はポニーテールの形に束ねている。
「おう、美音。迷ったか?」
「えへへ、反対の改札に出ちゃいました」
「あー、あそこ、改札間違えると面倒だからな。
みんな、紹介するよ。月島美音、今回の第一ヴァイオリンの代役を頼んだ。
美音、まずはチェロの坂本さん」
「よろしく……って明石さん、こんな美少女が来るなら、先に言ってくんないと!」
「はいはい、あんまり言うとセクハラになりますよー。で、第二ヴァイオリンの坂本さん」
「よろしくね。急なお願いで、ごめんなさいね」
「いえ、私ボロディン大好きなんで、嬉しいです!」
「最後にヴィオラの藤奏。見た目地味だけど、腕は確かだし」
「よ、よろしくです……」
「わあ、君が藤奏君!同じ高二って聞いて、楽しみにしてたんだ。よろしくね!」
何と言うか、元気な子だなあ。でも不思議と、嫌なと言うか、刺々しい感じはしない。
それに、見つけちゃったんだ。
ヴァイオリンケースについてるストラップ。ファンナイのグッズだ。その時点でまあ、悪い気はしないよね。
「じゃあ美音も到着したし、15分後に合わせ開始で!
俺も今日はフリーだし、本番には出れないけど、とことん付き合うから!」
こんな気さくな人だけれど、楽器で生計を立てている。腕は本物だ。そんな人に無料で見てもらえるのだから、やっぱり僕は恵まれている。
四人、備品のパイプ椅子を半円状に並べると、所定の位置に着く。向かって左から、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。僕らの正面には明石さんが座る。
自分たちの演奏を客観的に聴いてくれる人がいるのはありがたい。それがプロなら、なおさらだ。
「今日は美音が初参加だから、とりあえずボロディンの1楽章を通してみよう」
「はい」
明石さんの促しに、四人の返事が重なる。
さあ、楽しい練習の時間だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます