刻み付けられる悔しさだぜぇ!

 険しい表情の絵夢が一人の男子生徒の手を引いていたため、俺はそれが少しばかり気になって後を追っていた。

 もしかしてそういう色っぽい話か、はたまた青春の一ページかと思ったがどうもそうではないようだ。


「絵夢のあんな表情初めて見たな」


 遠目で分かるほどに絵夢の表情は険しかった。

 基本的に催眠ものといったネタ、つまり下ネタ豊富な漫画に触れているともしかして何か弱みを握られているのでは……なんてことも想像してしまうがそれもどうやら違うようだ。


「……よし、ここなら聞こえるな」


 絵夢が男子を連れて行ったのは人の目が届きにくい物陰だ。

 しかも放課後ということもあって教師が巡回するくらいでしかここには目を向けないだろうけど……俺から言わせれば少し不用心じゃないか、そう言いたくはなったが取り敢えず耳を澄ませることに。


「ふざけないで。そんな下らないことであんなことをしているの?」

「下らないだって!? 君が悪いんだろ!? 俺の告白を断ってあんな奴にベタベタする君が!!」


 おっと……何となくだがこの会話の発端が理解出来た気がする。


「ベタベタ……少なくとも、私は先輩と居ることを楽しいと思っているわ。それをただの同級生であるあなたにとやかく言われる筋合いはない」

「なんだって!?」

「えぇそうよ。あなたに何を言われてもどうでも良い……でもね? だからって私にとって恩人とも言える先輩に嫌がらせをしたことは許せないわ」


 おそらく話の流れとしてはあの男子は絵夢に告白をしたことのある一人で、そんな恋をした相手が俺みたいな奴と良く一緒に居るのが許せないと思いこうなってしまったのだろう。

 一緒に居るのが楽しい、やはり素の状態の彼女たちにそう言われることは嬉しいので頬が緩んでしまう。


「いかんいかん。それよりも嫌がらせってなんだ?」


 あの後輩男子の顔はまあチラッと見たことがある程度で話をしたことはないしなんなら名前すら知らない。

 絵夢があそこまで怒っているということは彼が俺に対して何かをやったことは自体は確かなんだろうけど、これといって本当に心当たりがなかった。


「最近夢で……コホン、どこか先輩が何かを気にしている素振りがあった。でも結局分からなかったけど偶然見たわ――あなたが先輩の下駄箱に何かを入れているのを」

「だから何だよ」


 絵夢は懐から一枚の紙を取り出した。

 やはりそれなりに距離があって紙の詳細は見えないものの、おそらく今まで俺の下駄箱に入れられていたものと同じ紙だ。


「クソ野郎とか、学校に来るなとか……死んでしまえとか、良くこんなことを書けるわね。自分が最低だって自覚はあるの?」


 絵夢は俺の為に怒ってくれている……だというのに俺は心が痛かった。

 ある意味でその紙に書かれている罵声は正しく、俺はそう言われてもおかしくないことを絵夢を含めた多くの女性たちにやっているのだから。

 そう、俺は外道でクソ野郎だ。

 だがもう後戻りは出来ぬ、俺は変態と言う名の紳士だからな。


「うるせえよ! そもそも君がおかしいんだぞ!? 俺なんかよりもあんな何も特徴のない先輩の傍に居るから!」

「ちょ、離しなさい!」


 ついに男子は絵夢に手を伸ばした。

 手首を力いっぱい握っているのか絵夢の表情が若干苦痛に歪み、そのまま背中を壁に押し付けられてしまった。


「絵夢!」


 まあこうなると当然助けに向かわないわけにはいかない。

 突然の俺の声に二人は動きを止め、男子に関してはサッと絵夢から手を離すのだった。


「せ、先輩?」


 呆然とするように俺を見つめる絵夢を背中に庇うようにして男子と向かい合った。

 現れたのが俺だと分かって鋭い視線を向けてくるが全然怖くない、常日頃から陽キャ連中の視線を受けていた俺にその程度の圧は痛くも痒くもない。


「気に入らないことがあるからって女の子に手を出すのは違うんじゃねえか?」

「っ……アンタのせいだろ全部!!」


 そうだな、全部俺のせいだわ。

 正直女の子に手を出すんじゃねえってどの面下げて説教垂れてんだって話だが、俺にとって絵夢はもう大切とも言える身近な存在だ。

 たとえ催眠ありきの関係だとしても俺が彼女を守ることに理由は要らん。


「取り敢えず催眠!」

「っ……」

「あ……♪」


 絵夢と男子……名前は新垣あらがきというらしい。

 特にやり取りをする気もないのでちゃちゃっと終わらせたいと思い、催眠状態となった素直な新垣に色々と聞いた。

 今まで俺を悩ませていた一連の出来事は全てこいつの仕業であり、他に協力者は一切居ないとのことだ。


「こうなるとあの陽キャ連中はかなり良い奴らとも言えるな……」


 嫉妬していたとはいえ、決してちょっかいを掛けてくるようなことはなかった。

 それでも睨まれていたこと自体は変わらないけど、この新垣みたいな奴に比べれば遥かにマシとも言える。


「それで、絵夢と仲良くしている俺が気に入らないってことで良いのか?」

「そうだ。どうしてお前みたいな奴と本間さんみたいな完璧な人が……おかしいだろそんなの。本間さんにはもっと良い奴の方が!!」


 それが自分とでも言いたいのだろうか新垣は。

 まあ確かに俺と比べてこいつはイケメンだし、マジで俺の顔って普通というかその辺に良く居る男子って顔だもんな。


「失礼な奴だなお前は……」


 こんなことでキレ散らかすことはないのだが、それでもお前にそんなことを言われる筋合いはないと声を大にして叫びたかった……しかし。


「私は完璧なんかじゃないわ。ですよね先輩?」

「え?」


 俺が言葉を失ったのはここからの展開が原因だった。

 催眠状態の絵夢は俺の目の前に立ち、そう言ってそのまま背伸びをするように俺の首元に吸い付いた。


「絵夢!?」

「……おいしぃ♪」


 さっき少し走ったのもあるし夏という時期もあって汗を掻いていた。

 その汗を舐め取るように絵夢は一心不乱で、それを見ていた同じく催眠状態の新垣は言葉を失っていた。


(……あれ? なんかこの感覚……悪くないな)


 その時、俺の中の何かが囁いた。

 絵夢も新垣も正気ではないのでこのことが記憶として残ることはない、それを考えるとどうも新垣に対する最悪な悪戯心が溢れ出す。


「絵夢」

「はい♪」


 絵夢の顎に手を当てて持ち上げ、そのまま彼女の唇にキスをした。

 こうして彼女とキスをするというのももはや慣れたもので、それも絵夢に淡い想いを抱く男の前だというのはとてつもない優越感と興奮があった。


「……っ……!!」


 どうせお前の記憶には残らない、だから催眠状態の今これ以上ないほどの喪失感と悔しさを味わえと俺は笑った。

 むしろこういうことをするのが本来の催眠術特有の在り方とも言えるが、俺よりもどっちかっていうと絵夢の方がノリノリである。


「ねえ新垣君。私は完璧なんかじゃなくて、こんな風に先輩のことしか見えてないの。先輩にしか触れられたくないし、先輩にしか躾けてもらいたくないの。私は先輩の奴隷になりたい、先輩に一生隷属したいのぉ♪」

「っ……ぐぅ……!!」


 大丈夫か? 憤死しないか心配になるくらいに新垣の表情が歪んでいた。

 これ以上続けるのもそれはそれで面白いのだが、昼休みに茉莉と過ごしていたのもあって充電が怪しかった。

 今後もしまた何かあったとしても犯人が誰かは分かっているので、取り敢えず今日は新垣を先に帰らせた。


「……これくらいで良いか」


 そろそろ学校から新垣が離れたなと思った段階で催眠を解くと、傍に居た絵夢が目をパチパチとさせたが驚いた表情ではなかった。

 ジッと俺を見つめていた絵夢は頬を赤くしたと思えば、申し訳なさそうな表情になって口を開いた。


「その……ごめんなさい先輩。心配させてしまいましたか?」

「当たり前だろ。まあ原因は俺だったわけだけど、こういうところに男と二人で来るもんじゃない。逆上して襲われても知らないぞ?」

「はい……そうですね。でも、どうしても我慢出来なかったんです」


 それだけあいつのしたことに怒りを覚えてくれたってことだ。

 俺は絵夢の肩にポンポンと手を置き、今日はお互いにもう帰ろうということですぐに解散した。

 これにてこの件は完全解決、とは流石に思わなかったのだが……これから夏休みが始まるまで俺の下駄箱に紙が置かれることはなかった。

 それどころかふとした時に新垣と視線が合った時、彼はまるで怯えるように俺もそうだし絵夢のことを見るようになったのも知ったのはもっと後になってからだ。

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