バベルの塔

Hiro Suzuki

プロローグ

たとえ私がなんであれ、光れ、小さな私の魂、私の星たちよ──TとEへ



 実存哲学を完成させたフランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトルは『存在と無』の締めくくりとして、神の観念の矛盾と人間の受難について、こう語っている。

「あらゆる人間存在は、彼が存在を根拠づけるために、また同時に、それ自身の根拠であることによって偶然性から脱れ出ているような即自すなわち宗教では神と名づけられている自己原因者を、構成するために、あえて自己を失うことを企てるという点で、一つの受難である。それゆえ、人間の受難は、キリストの受難の逆である。なぜなら、人間は、神を生まれさせるために、人間としてのかぎりでは自己を失うからである。けれども、神の観念は矛盾している。われわれはむなしく自己を失う。人間は一つの無益な受難である。」


 敬虔なカトリック信者で罪深い冴えない大工を自らの意思で選択してしまったサルバドール・ひろ氏は、あらゆる点において、世界内存在と即自存在の一致の象徴のような男だった。妄想癖のあるサルバドール氏は尊敬していた哲学者、ジョルジュ・バタイユに感化され、ジョルジュ・ひろイユとも名乗っていた。そんな少しイカれた大工のサルバドール氏は他業者が入る為仕事を二日休みにした。


 2連休初日の朝、サルバドール氏は裏山へ少し前に購入したローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』を持って向かった。まだ弱々しい陽の光が木々の葉の隙間からこぼれ落ち、所々に煌めき合っていた。その時、彼は彼の妻、シモーヌ大佐の仕事の時間まで、そこで読書しよう、としか考えていなかった。けれど、数十分もしないうちに雲が太陽を隠し始めた。前日、タブッキの『レクイエム』を読んで過ぎ去り切っていない記憶を思い出して号泣していたサルバドール氏にとって、死活問題に近い。だが、その話はまた別の場所で別の時にしようと思う。そのまま深く小さな森、正確にはただの裏山、に居ては精神が過去の氏自身によってナイフでズタズタに切り裂かれたままであるのは簡単に予想できた。


そのような精神状態は、その日、彼には許されますか?──いいえ、許されません。


と、神の声がした。仕事に大佐が行くということは、その間、少尉とふたりきりということだ。少尉は彼よりヒエラルキー的には高い、がしかし、彼の僅かな何か不穏な空気を察すると、恐らく───楽しくないはずだ。大体、彼は普段から、やや挙動不審な中二病であり、不穏な精神状態はそこに拍車をかけるのは間違いない。


 ジョルジュ・ひろイユ氏からサルバドール・ひろ氏の異名に変えざるを得ない理由もそこにある。太陽が隠されてしまった、しかも精神が病みかけている時に、だ。

私は太陽である、と言い切れますか?いいえ、無理です。


こうして、サルバドール氏は異名の雷鳴と共に、公園と図書館へ何がなんでも今日は行くという啓示を天から受けるかの如く、ある計画を思いついた。久しぶりの平日休みである。公園も図書館も空いているに違いない、少尉を連れていこう、と。彼は気分転換を兼ねてまだ一歳半の小さな娘、リサ少尉と公園と図書館へ行く計画を立てた。正確には、ある本を探しに行きたい、という思いが一番強かった。見知らぬ旅人、山登りハイジ氏の手紙に書かれていた『旅をする木』という本に少し興味を抱いたからだった。大自然アラスカを主に拠点としていた写真家、星野道夫さんのエッセイ集である。


 山登りハイジ氏の手紙は宛先のない手紙だった。ひょんなきっかけでサルバドール氏はそれを読んでしまったのだ。ところで、ハイジ氏の山への旅──旅ではなく、割とガチ目の登山と言って過言でない──は恐らく彼女にしかわからない、言語化できない何かが山へと向かわせている、そんな感覚があった。「生命力を感じられる」手紙の最後にはそう書かれていた。「生命力を感じる」という言葉はサルバドール氏に『旅をする木』を探しに行く旅へと向かわせた。


 裏山を降り自宅の庭へと続く砂利道を歩く。太陽が隠れたせいで、サルバドール氏の影は薄くなり、やがて、どこかへ行ってしまった。

庭のピエール・ロンサール、ブルー・ムーン、ブルーベリー、大山蓮華、山法師らと目が合う。皆、勝手にどこかへ行ってしまった彼の影の行方について、興味なさそうだった。風が強く吹くまできっと噂し合わない。4本の山法師だけは訳ありな顔つきで彼を見つめていた。


 朝早く、玄関のドアを音を立てないように開け閉めし、洗面所で顔をもう一度洗い、歯をもう一度磨き、もう一度、顔を洗う。鏡の中のサルバドール氏をサルバドール氏は見つめた。


「私は太陽である」と言いかけて、彼はジョルジュ・ひろイユ氏ではないことを二度と忘れないために、ぎゅっと手を合わせ、目を瞑った。《である》という繋辞は愛を運ぶための伝達手段。──サルバドール氏の好きな思想家バタイユ氏が著書『太陽肛門』の中でそう書き残している。サルバドール氏は、バタイユの『太陽肛門』の一節「私は太陽である」が好きだった。いつも彼は朝鏡に向かって小声でそう叫ぶのだ。だが、その日だけ「私は太陽である」ことを忘れることにした。目を開き、サルバドール氏はサルバドール氏を見つめた。


私は滑り台係とディズニーの絵本探し係である


いつものように、ひとり、おもちゃ箱の中でおもちゃをひとつ残らず外に出して検閲しているリサ少尉にだけ聴こえる声で、そう呟いた。


それは、形而上学的に言うならば、他者のイデアをかかえた旅、すなわち真理との邂逅。

形而下では、子どもを抱っこするかおててを繋いで、公園へ行く、図書館も寄れたら良いな的なものだ。


端的に言うと、公園と図書館へ大佐が居ない間に、少尉とする、図書館は少尉のさじ加減次第ということだ。



少尉のために、カッコいいパパでありたい。サルバドール氏は先々週買ったばかりのフード付きのシャツを着た。手首には大佐のプラダのブレスレットを勝手に借りた。見つかったら多分、二度と彼は日記を書くことはないだろう。大佐の付けている香水を借りて、少尉と自分に付けた。


 お尻拭きと紙オムツ、小さなタオルと大きなタオル、をマザーバッグに詰めるため、床にまとめた。水だし麦茶を冷蔵庫から取り出し、水筒へ移す。エチオピアマンデリンのコーヒーを5杯分作り、魔法瓶に移した。


 少尉はもうおもちゃの検閲を終わらせて、箱の中には居なかった。サルバドール氏が、不審に思い、玄関を見る。彼女は、既に玄関でシューズを履いていた。サルバドール氏のシューズを、だ。サルバドール氏は少尉専用の、宇宙飛行士たちの間で流行っている、ペソア号の紋章のついたシューズに履き替える少尉を手伝った。少尉はやや不満げだった。


なぜ、わたしのだけ、赤ちゃん用なのですか?それはあなたが赤ちゃんだからです──そんな冗談は口が裂けても言えなかった。


少尉、すみませんが、いま履いてらっしゃるその大きめのシューズはただの乗組員用です。少尉専用のシューズはマジックテープがカッコよくなっており、そちらのただの紐とは造りが違います。あなたのシューズがあなたを待っている、あなたしか履けません。


渋々、少尉は納得してシューズを履き替えた。


少尉が玄関で号令をかけている間に、サルバドール氏は、マザーズバッグに必要なものを詰めるため、居間へと戻った。


マザーズバッグが異様に膨らんでいる。

恐怖と不安とひとつの疑念を抱きながら、マザーズバッグの中に視線を移す。


そこにはありとあらゆる検閲済みの少尉の仕事道具=おもちゃが詰め込まれていた。


サルバドール氏は、できる限り、少尉に見えないよう、バッグの前に立ちはだかり、検閲済みの品々を取り出していく。全てを取り出すわけではない。僅かなもの、口にしても無害な、米でできたラッパや少尉の部下のミニーちゃん(身長25cmほどの清らかな心の持ち主としか喋ってくれない人だ)はそのままにした。


何とか、荷物と少尉のお供のミニーちゃんをまとめて、玄関へ行くと、少尉は大佐の高そうなヒールに履き替えようとしていた。


サルバドール氏は、そっとそれを取り返し、これ少尉には危ないよ、ママに怒られるよ、と言いながら、もう一度、少尉の靴を履き直させ、少尉と手を繋ぐ。


パパじゃなくてママが良かったんだけど、まあいいや、そんなことより、わたしの部下のミニーちゃんをマザーズバッグからだしてくれないかな?


大佐のヒールにミニーちゃんの手を振らせ、少尉は行ってきますの挨拶をし、ようやく玄関の扉の向こうへと出た。


こうして、ふたりは仲良く並んでおててを繋いで公園へと向かったのだ。


第二回へつづく

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