第15話 想い

「──は?」


 自信満々に解決方法を提示するレーツェルだが、その方法があまりに簡潔かつ無謀な事だったため、明人は苛立ちと困惑の声を出す。額には青筋が張っていた。


「匣を取り戻すだと?」

「それしかないと思うがね」


 ふざけているとしか思えない言葉に、明人は珍しく驚きを隠せないでいた。声にも困惑が含まれており、口をあんぐりとさせる。


 そもそも奪った本人がどこにいるかも、方法すら分からないのにそんな事を自信満々に言われたとして、彼自身出来るはずがない。


 依頼人の匣を抜き取った事は幾度とあるが、それとは全くの別物。

 仮に取り戻す事が出来たとして、それを戻す方法など明人は知らない。


「やるかはお前さんが決める事であって俺が決める事ではない。判断は任せる」

「任されてもどうにもできん。匣を抜き取る事は出来るが戻す方法などは知らんし、奪った本人がどこにいるのか見当もつかん。こっちはただの赤の他人だ」

「では、赤の他人ではないと言ったらどうだろうな」

「なに?」


 明人は先程からレーツェルに主導権を握らされており、苛立ちを隠せないでいた。

 

「どういう事ですか?」


 ツリ目の瞳でレーツェルを見上げ、カクリが困惑している明人の代わりに問いかけた。

 

「言葉のままだ。知人の可能性があるという事」

「例え知人であろうと今の俺に記憶はない。知る訳が無いだろ」

「確かにそうだ。だが、そいつがもしお前さんの記憶のを握っているとしたら?」

「ありえ──」

「──ない話ではないはずだろう。気付いているのではないか?」


 レーツェルは明人の言葉を遮り、試しているような目線を向ける。その目線を受け、明人は何か考えるように顎に手を添え俯いた。すると、レーツェルが左右の髪から覗かせている狐の耳をピクピクと動かし、遠くを見るように森の外に目を向けた。


「君の依頼人に、良からぬ影が近付いているらしいな。……さて、ここで話を続けるかい? 俺は構わないが、お前さんはそうもいかないだろう」

「依頼人に近付く影だと? まさか!」


 レーツェルの言葉に目を見開いた。なんの事を指しているのか瞬時に理解した明人はその場に立ち上がり、脂汗を額に滲ませる。


 明人に依頼している人物は、今現在一人しかいない。


「カクリ急ぐぞ。依頼人を取られる前に!!」


 急いで依頼人の所へ走り出そうと足を踏み出す明人だったが、後ろからの落ち着いた声によって止められてしまう。


「まぁ待て」

「待てだと? この状況で言うか?」

「ここから走った所で何十分かかると思っているのだ。それに依頼人がどこにいるかなど予想でしか動けまい。それを外してしまったらどうなる?」

「ならどうするつもりだ」

「──は?」


 明人の気の抜けた声が口から漏れたのと同時に、レーツェルは鋭く尖った爪を着物の袖から出し、右手を横に広げた。すると、手の平から黒いモヤが現れ一つに集まる。

 それはまるで、光すらない真っ黒な空間。宇宙にある何でも吸い込んでしまう星、ブラックホールのようだった。


「また、会いたければ来るが良い」


 その言葉を最後に、レーツェルは明人を目に見えない何かで引っ張り、黒い空間へと放り込んだ。

 カクリは怪訝そうな顔を浮かべているが、それでもレーツェルを信じ近寄り。一目だけ振り向き「ありがとうございます」と一言述べ、彼の後ろへと続いた。


「また会おう。


 ☆


「──って!!」


 明人はレーツェルの出した黒い空間の中に無理やり放り込まれ、気付いた時にはどこかの路地裏に投げ飛ばされていた。

 上手く着地が出来ず、地面に片腕や両膝をぶつけてしまう。


「こんな明人を見る事が出来るとはな」


 カクリはしっかりと両足で着地をし、地面にうつ伏せになっている彼を冷静な瞳で見下ろす。

 その姿は先程と同じだが、耳は狐になっており、おしりにも尻尾が生えていた。


「ってぇな。ふざけるな、なんなんだアイツ。そもそも……」

「愚痴なら後で聞こう。……聞きたくはないがな。今は話し声が聞こえる方へと行った方が良さそうだ」


 明人の長くなりそうな愚痴を速攻で遮り、道が続いている先を見る。

 高い建物の隙間に移動されたらしく、光が入ってきていない。そのため、暗くジメジメと重苦しい空気が漂っている。

 前後どちらにも行けるが、片方は人通りがあるらしく少し明るくなっており、もう片方は暗闇が続いていた。

 カクリは暗闇の方に目を向けながら呟く。


 カクリは少年のままだと身体能力や五感は人間と同じになるが、一部でも元の姿に戻れば五感は敏感になり身体能力も向上する。


「ちっ、行くぞ」

「あぁ」


 明人もここで文句を言っても仕方がないと思い素直に従ったが、その顔はばつが悪そうに歪めている。相当怒っている。

 依頼人の前ではどうなるのかと、カクリは心配しつつ話し声がする方へと案内するように歩き始めた。


 そして、しばらく歩いた所で明人は足を止めた。普通の人間にも聞こえるくらいには近づく事か出来た。カクリは明人の足元へと近寄る。


「どうするつもりだ」

「まず姿を確認する」


 曲がり角から少しだけ顔を出し、話し声の主を確認する。

 

 道の先には三人の人影が見え、一人は女性で明人の依頼人である夏恵。残り二人には面識がない。

 そんな三人は何かを手にして話し合っていた。

 

 二人いるうちの一人は明人と似たような背格好の男性だ。茶色の髪を後ろで結んでいるように見える。

 ダッフルコート主体の上着に、濃いピンクでサイバー模様が入っていた。ズボンに付けられているであろう濃いピンクのベルトがしっぽのように揺れている。

 脛あたりまでのショートブーツを履いており、手には黒い手袋がはめられていた。


 もう一人はカクリよりも身長がやや小さい。小学校低学年くらいの少年だ。緑色のパーマかかった肩あたりまで長い髪に、白いワイシャツに赤いネクタイ。黒いロングジャケットに、太もも辺りで膨らんでいる脛辺りまでのズボンを履いている。モノトーン色のタイツが太ももの外側に空いている穴から見えていた。靴は普通のビジネスシューズ。


 明人達がいる場所からは何を話しているのか所々しか聞こえない。

 何とか会話を盗み聞こうとするも難しく、彼は小さく舌打ちをし、カクリを見下ろした。


「おい、耳かせ」

「……言い方が気になるが、まあいい」


 言われたカクリは、手を明人の耳に当てた。そうする事によってカクリの聴覚は明人とリンクする事が出来る。


 他にも、嗅覚、視覚なども同じくリンクさせる事が出来るが、必ずカクリが明人のリンクさせたい箇所を手で触れていないと出来ない。


 カクリの耳を借り、明人は三人の話し声に耳を傾けた。


「あの、その事はもうお願いしている人がいますので……」

「その人よりこっちの方が効率いいよ? これさえ舐めれば君は一回だけ願いが叶う」

「ですが、その代わりに失敗したら代償がありますよね……」

「詳しくは言えないけどそうだね。でも、失敗する確率なんてそんなに高くないから大丈夫だと思うけど?」

「でも……」


 どうやら何かを売りつけられているらしい。舐めればと言っているので飴か何かだとは推測できる。


 そんな会話が聞こえ、明人は険しい顔をしながら様子を伺い続ける。


 ”願いが叶う”がもし、カクリと同じ力なのであれば願いが叶う訳では無い。だが、あの男は確実に”願いが叶う”と言った。

 明人は目を光らせ、少しの言葉も聞き逃さないように聞き入っている。


「まぁ、どうしても嫌なら無理強いはしないけど、もし今お願いしている人が無理だった場合はどうするつもりなの?」

「それは……」

「俺もここには長くいられないんだよね。だから、今お願いしている人が無理だった場合もう一度俺に会うって事も難しいし、今のうちに試した方がいいんじゃないの?」

「……」

「それに、その人は必ず何とかしてみせるとか言ってないわけでしょ? 少なからず俺は約束するよ。これさえ舐めれば。必ずね」

「救われる……」

「そう。だから、少しだけも試してみてよ」


 夏恵は男性の圧に呑まれ、”救われる”という甘い言葉に誘惑され、差し出している飴に手を伸ばしかけてしまった。


 明人はその時、カクリとのリンクを解き静かに道の角から歩き出し夏恵へと近付いて行く。そして、受け取ろうとした彼女の手を優しく掴み止めた。


「昨日ぶりですね」

「え!?」


 人当たりが良い優しい笑みを浮かべながら、夏恵の手をやんわりと戻してあげた。


「このお方は私の依頼人ですよ?」

「これはこれは──どちら様かな?」


 男性は明人の姿を確認するのと同時に、先程まで笑顔だった顔が急に険しく歪む。

 目を細め、怒りで燃えているような瞳を彼へと向ける。だが、直ぐに表情を笑顔に戻し、夏恵に向けていた表情と同じ顔を浮かべ明人に問いかけた。


 明人も男も笑顔のまま言葉を交わす。たが、笑顔だからといって和気藹々わきあいあいとしたものではなく、ギスギスと。お互い絶対に譲らないような空気だった。


「私は筺鍵明人と申します」

「筺鍵明人ねぇ」


 含みのある言い方に明人は少し眉を顰めたが、そのまま夏恵の前へと一歩前に出る。


「私はしっかりと名乗りましたよ。では、次は貴方が名乗る番なのでは?」

「俺の名前か? そうだな。悪陣魔蛭おじんまひるとでも名乗っておくか」

「悪陣魔蛭さん──ですか。でしたら、霜田美由紀さんをご存知では?」

「え、美由紀?」


 いきなり友人の名前が出た事に、夏恵は目を見開き驚いた。


「あぁ、前回の依頼人だな。それがどうした?」

「おや? 美由紀さんが今どうなっているかご存知では無いのですか?」

「残念ながら。俺は依頼人とは一回しか会わないし、後がどうなったのか興味が無いんでね」


 その言葉はまるで、依頼人を玩具みたいに扱い楽しんでいるように思える。笑顔を絶やさないのは明人と同様だが、その真意は全く違う。


「そうなのですね、それは許せませんね──」

「許せなかったらなんだってんだ?」

「貴方が抜き取った感情。匣をお返し願えますか」


 明人が言うと右手を前へと差し出した。夏恵はなんの事だかさっぱり分からず、二人を交互に見る。


「なんの事だ? 俺はただを渡しただけだぜ? ハコを抜き取ったとか、意味わかんねぇ事言うんじゃねぇよ」


 魔蛭は先程、夏恵に渡そうとしていた袋をヒラヒラと明人に見せびらかした。


 見た目は普通の飴玉だ。水色やピンク、紫や橙色と様々な色がある。どの色も見た目だけでなんの味かわかるが、それを袋に入れて渡そうとしていた事が怪しすぎる。


 明人自身も周りからしたら怪しいだろうが、やり方がまるで違う。ちゃんと相手の意思で開けに来ているので、お互い合意の上ということになる。だが、魔蛭は違う。

 先程の会話からして相手の意思など関係なしに弱みを握り、そこを突き止め無理やり渡そうとしていた。


「先程の会話は聞かせていただきました。願いが叶うですか、それはすごい物をお持ちですね。ですが、それなりに代償が必要なのでは? そうですね……。例えば、など」


 明人は口元に笑みを浮かべ続けているが目は笑っていなく、漆黒の瞳は怒りでユラユラと揺れ動き、今にも叫び出しそうになっていた。

 それでも何とか依頼人の前という事で、素を出さないように務めているが、それももうそろ時間の問題だろう。


「まぁ、失敗したらそうなるだろうな。でもよ、失敗しなければなんもしなくても願いが叶うんだぜ? これはすごい事だろう」

「この世にそんな事があるはずありません。貴方は一体何を奪っているのですか?」

「人聞き悪い事言うなよ。奪ってるんじゃなくて合意の上での契約だ」

「────合意の上、だと?」


 明人のこめかみがピクピクと動く。もうそろそろ限界が近い。

 元々短気な性格なため、ここまで我慢したのはある意味すごい事。後ろから見ていたカクリは諦めたように肩を落とした。


「あぁ、依頼主からは願いが叶う代わりにを貰う。詳しく言えないのは仕方が無いしな。それを聞いて尚、受け取るんだ。それは合意以外のなんになるんだ?」

「っ、ふざけるな! あんなのは合意とは言わない。一方的に売りつけているだけだろう!」


 依頼人の前と言う事も忘れ、明人は声を荒げてしまう。

 カクリは「やはり……」と呟きながらも、その場から動こうとしない。

 夏恵は明人のいきなりの豹変に驚き、固まってしまった。


「お〜お〜、怖いねぇ。でも、今回は収穫があったからこれ以上ここにいる理由はないな。返して欲しいもんはこれでいいだろ、ほらよ」


 言いながら小瓶を明人に向かって投げた。彼はいきなり投げられた事に驚きつつも、落とさないよう慎重に右手で受け取る。

 右手に握られている小瓶を見下ろし、ギュッと握った。


「人の感情を、想いを……。記憶を、なんだと思ってんだ」


 抑えた声の中に入っている感情は怒りしかなく、いつもの笑顔も忘れ、ただただ魔蛭を燃える炎が宿っている瞳で睨み続ける。


「俺にとってはそんな大事な物では無いんでね。それに、俺の目的はただ一つ。てめぇ明人をこの世から消すこと。そのためには他人の犠牲など興味はない」

「なにっ?!」


 魔蛭の言葉に、明人は強く手を握り震わせる。


「お前が覚えてなくても関係ねぇ。これからは遠慮なくお前の邪魔をしてやるし、必ず消してやる。怒り、憎しみを受けてこの世から消えろ、荒木相思あらきそうし。いや、筺鍵明人!!」


 憎しみの籠った声と共に、彼はその場から闇に溶け込むように姿を消した。

 その後を追うように一緒にいた少年も姿を消すが、その前にチラッとカクリの方を見る。


 気付かれていた事にも驚いたが、向けられているその目は何を思っているのか分からず、視線を送られたカクリは眉を顰めるしか出来なかった。


「そ、うし? 誰だ」


 明人は何も無い所を見ながら固まり、魔蛭の言葉をゆっくりと口にした。そして、口元に手を置き何かを考え始める。


 夏恵は何が起きたのか分からず、「…………え?」という、抜けた声が口から漏れその場に立ち尽くすしかなかった。

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