第45話 理知と鮮やかさを結い加える⑬
老婆と男性は衆目の睥睨から一歩引くようにして、オレと閑谷に対して頭を下げた。これまで散々、罪を着せようとした非礼を詫びると言わんばかりの姿勢だ。
正直な感想を心の中で言うと、怒りが沸々と煮えたぎっている訳でもなく、二人に呆れる訳でもなく、やっと終わったかと軽く肩を落とした程度だった。未然に防げたこともあるかもしれない。
もちろんどんな理由こそあれ、老婆と男性の算段は許されることじゃない。前々から見張っていた様子で、オレだから良い、他の誰かなら問題ない、なんてことでもない。
けれどなんというか、クラスでも遠巻きに眺めるだけだった閑谷がこうして矢面に立ってくれるとは思っていなくて、その喫驚が内幕のゆとりを産んだらしい。
「あの……」
「……何でしょうか?」
閑谷が二人を呼び止める。もしかすると警察を呼ばれるのではないかと脳裏をよぎって怯えているようにも映る。まあ、犯罪行為を企図してはいたみたいだけど、実際に起きてはいない事件なわけだから、そこまで気圧される必要はないはずだ。別途後ろめたい過去があるのなら、こんな表情にもなり得るのかもしれないが。
でもきっと。これまでの閑谷の言論姿勢から逆算するに、そんなものは杞憂に過ぎないと思われる。
「最後に、この男の子を関与しようとした理由を教えて貰ってもいいですか?」
「……どうして?」
「貴方たちの動機をちゃんと聴いておきたいと思いまして……ほら例えば、よくテレビで事件を起こした人がムシャクシャしてやった、とかよく言いますけど、私はムシャクシャした理由がその人にちゃんとあるんだと思います。だからそこまで訊ねるべきだと……もちろん相手が黙秘するのなら、それは仕方ないですけど」
「そんなこと、ですか……ムシャクシャした理由ねぇ、確かに分からなくもないですね」
男性は老婆に身体を貸しつつ、どこか拍子抜けしたように呟く。閑谷はオレのスポークスマンみたいな役割を担っていただけだが、二人からすればオレの味方をして、事件がないことを証明した才媛の高校生に見えているだろうから、警戒するのも無理はないのかもしれない。
それに相対して、さきほどの閑谷の思考を実際に問うのはとても面倒なことだ。要するになんで、と無礼にも訊く第三者にわざわざ、被害者もといアイツが何日も前から自分の邪魔ばかりするから懲らしめてやろうと考えて犯行に及んだ、なんてまどろこしく経緯を供述するよりもムシャクシャしたと簡略化する方が加害者側も労力を割かなくていい。楽な言い回しで追求を逃れることが叶う。
だけどそれを許してしまうと説明不足の動機のみが、場合によっては世の中に伝播する。もしかすると受け取る側の匙加減で、そんな短絡的なことしか考えていないのに罪を犯したのかと誤解されかねない。
閑谷がそこまで小難しく思考回路を巡らして語ったのかはさておき、多少面倒でも双方の根本的な主張を知り得ないで収束させたとしても、しこりが残ったままに必ずなる。
「ユーイチ、さっさと立ち去った方が……」
「そうだけど。最後の質問としてなら、答えても良いかな? お嬢さん」
「はい、これでお互い最後にしましょう」
今すぐにでも居た堪れないこの場からずらかりたい老婆とその付き添いの男性、オレへの容疑が晴れたし余計な争いは避けたい閑谷の意向が合致する。まさに手切れの会話だ。というか、不要な口論をしたくないのは閑谷よりもオレの意向とするべきかもしれない。彼女は他人の動機をちゃんと知ろうとしているんだから。
「……簡単に言うと、俺たち家族の収入源を全て費やしても返せない借金があってね……いや、これだけじゃ不十分か。騙し取られたんだよ……詳細は省くけど詐欺というよりは横領に近いかな? 警察に問い正しても泣き寝入りするしかないってさ、その人物にも見当が付いて……探波高校の出身の若い男性だったんだよね」
「それは酷いです……いやでも探波……第三ではなくてですか?」
閑谷の疑問に男性は首肯する。
「ああ。本当はそちらを狙うつもりだったが、俺の息子が二年前まで通っていてさ。アイツにとって思い入れのある学校の生徒に危害を加えるのには気が引けて、そんなときちょうど校外学習を控える探波第三高校の行事予定を見かけ、代わりになると……うん、こじつけで八つ当たりなのは承知の上だよ。俺たち家族を狂わしたヤツと同じことをしているのも分かってる。そこの男の子には全く関係もないのに因縁を付けた……それは悪かった——」
僅かに頭を下げる。双眸も閉じる。
謝罪の意もあるが、どこか歯痒さも残る。
「——でも……どこにも仕返す? 取り返す? そゆな機会がないなんて不条理だろ? なんで奪い遁走したヤツが得をして、俺たちが何かしようとしても八方塞がりで、挙句には破産を待つだけの状態なんて、ふざけるなよ……」
オレの立場からだと、男性の言う通り八つ当たりもいいところだ。要約すれば探波高校関連で若い男性から金を毟り取ればいいだけで、当事者への復讐の代わりに選んだという理不尽極まりない動機。ふざけるなと言いたいのは、オレも同感だ。
ただ、どこにも置くことが出来ない憤りの行方で苦悩するのは分からなくもない。世の中は仕返しを是としないし、もし行えば先に手を出したヤツと両成敗なんて判決を下されることばかりだ。そもそも先手を打ってきたヤツがいなければ何もなかったのに、なんでそんな平等擬きの不公平を受け入れなきゃいけないのか。
まあこれに関しての理屈は単純。裁定者にとってどちらも部外者に過ぎなく、他人の心情なんてどうでもいい。なのに複雑な条項を設けて妥協点を探り合うなんて面倒な不条理を排除したいからだろう。
つまり面倒かつ不条理を生み出した諍いの解決方法まで、面倒で不条理では堪らない。こんなことの堂々巡りで、帰結としてみんなの不満が蓄積するらしい。本当はもっと、気楽に暮らしたいだけなのに。
「なるほど。お呼び止めしてすみません、ありがとうございました」
「いえいえ、では——」
「——あっ、一つ……お金の問題をどうにか解決する訳じゃないかもしれませんが、私から提案がありまして……」
「えっ、提案?」
そう言うと閑谷はリュックからペンとメモ帳を取り出して、何かを書き写すように走らせた。のちに点線に沿って一枚の紙を切り、そのまま男性に手渡す。
「どうぞ、なにかの役に立つのではないかと」
「えっと……これは?」
「私が知り得る探偵事務所と興信所のリストです。そのお相手の高校が判明しているということはお名前も分かっているでしょうし、若いと言っていたので年齢も絞れている。もしその方を追いたいのなら、そちらのいずれかに頼めば高確率で居場所、もしくは親族の特定は出来るでしょう。そのあとのことは……私は貴方たちを信じます」
「……っ」
個人的には、あまり得策ではない提案だ。
なんてことない紙切れが今、
例えばこれを契機に、家族を狂わせた当事者へ復讐を果たすかもしれない……そんな野望が果たされかねない情報だ。
けれど閑谷は老婆と男性を信じると言う。今日は散々その信頼を失い続けた二人には、願ってもない一言だろう。
探偵役を演じ終えた後の閑谷による余計な善意をどのように受け取るかはもう、オレの預かり知るところじゃない。ただ願わくば、老人と男性にとって納得の行く結末を無事に迎えて欲しいと祈る。
「じゃあ、これで」
「はい。お二人とも、お元気で」
それはきっと。二人が会釈をして去って行った後、民衆からの黄色い歓声を一身に浴びながら、まだ探偵役の気分が抜けきらないのか、人差し指をどこかで見たような少年探偵の決めポーズのようにオレへと伸ばす閑谷も同様なんじゃないだろうか。
そうであったらと……くだらない想像をして、オレはなんとも言えなくて苦笑するしかなくなる。この可憐で愛らしいのに
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