第32話 甘美とファンレター⑤

 木製のトレーに緋色のマグカップと紙コップ、そしてお茶はないけど茶請けのようなものも用意してくれた田池さんが持って現れる。


「吉永くん、鮮加、飲み物持って来たよ」

「あっ! ありがとう、政光さんっ」

「どこか置くスペースはあるかな?」

「んーどうしようか——」


 テーブルの上は複数ある紙袋に面積を奪われ、トレーどころかコップを置く場所があるかどうかも怪しい。閑谷の心境を推し量るならファンからのプレゼントを無碍にしたくはなくて迷っているんだと思う。


 でもこれは都合が良い。オレの自己満足真相を確かめるなら、このどさくさに紛れたほうが訊ねやすい。


「——この……中身が少ない紙袋って、多分閑谷のファンからじゃなくて雫井プロダクションからの贈答品ですよね?」

「あ……えっ!」


 閑谷の喫驚が室内に響き渡る。

 どうやら彼女自身も知らなかったらしい。


「ああ。そうだけど……吉永くんよくわかったね。昨日雫井さんたちが所要で来て、鮮加のファンレターやプレゼントとお世話になっているお礼にと少し早めのお中元を兼ねて頂いてね。でも雫井さんたちと入れ違えに依頼が来てしまってそのままだったんだ。ごめんな鮮加、紛らわしかっただろう?」

「えっと……それは仕方ないことだからいいけど、なんで吉永が分かったの?」


 閑谷はその雫井プロダクションからの贈答品の入った紙袋を手に持って一度覗き、オレを純粋な眼差しで聴いてくる。田池さんも閑谷に同調するように微笑んでいる。


「隣にある紙袋との中身の差があり過ぎるから、なんでこんなことになったんだろうなって疑問がまずあって。最初は生ものと装飾品で分けたとかかなと思ったけど、ファンからの飲食物は事務所で弾かれるんだよな?」

「うんそうだよ」


 閑谷はすぐに肯定する。

 オレも首肯して応え、話を続ける。


「うん。それにもし片方が割れ物とかなら紙袋には絶対詰めないだろうし、ならこの極端な分別はなんだと考えた帰結として、ここにある全てがファンからのプレゼントじゃない。雫井プロダクションからの品物が含まれているんじゃないかと思った。ファンと事務所の贈り物を一緒に詰める訳がないし、中身が減っているのは……田池さんがいま持って来たリンゴジュースと御茶請けを含めた雫井プロダクションからの飲食品を、先に冷蔵庫へ移動させていたため、ですかね? あとオレに飲み物を訊ねたときに頂き物のリンゴジュースと言っていましたね? その頂き先が雫井プロダクション。まあお中元かどうかは中身を見て判別しづらいですが、おそらくはそのリンゴジュースと御茶請けをみるに、所属タレントの遠征地……青森かな? にて購入した品物を詰め合わせたのでしょう……閑谷の好物もそこにあるみたいですしね?」


 オレがそう言い終えると、田池さんがトレーを持って来て空きスペースに置く。オレがオーダーしたリンゴジュースが紙コップに、閑谷専用の緋色のマグカップにはコーヒー、そして御茶請けには海と山の幸が共に楽しめる漬物が添えられていた。


 御茶請けといえば和菓子を想像しがちだけど、漬物の意味合いもある。そしてこの漬物は閑谷の好物だ。プロフィールにもそのように記載されている。


 というより彼女はあまり甘味を好まない。食べられないことはないはずだけど、確か普段から菓子も果物もそんなに食べないと以前話していた気がする。


「今のは全部予想なのかい、吉永くん」

「はい……ところどころ違うかもしれませんけどね」

「いや、的確過ぎて驚いているんだよ——」


 田池さんはそこまで言うと、突然オレの耳にだけ届くような小声になる。状況からして閑谷には聴かれたくない話みたいだ。


「——お見事だ。ぼくは君の推理力を評価して鮮加のお願いを聞いた訳じゃないんだけど……これは掘り出し物かもしれないね」

「……大袈裟ですよ」

「どちらかというと吉永くんは鮮加への配慮が出来るから側に置いてるんだけどね……例えば、鮮加の苦手なリンゴジュースをわざわざ頼んでくれたり、とかかな?」

「……たまたま、欲しかったんです」

「……うん、そういうことにしとくよ」


 しらばくれるだけのオレを、田池さんは微笑み汲んでくれる。そして一旦引き返そうとしたみたいだけど、なにか忘れものがあったと言わんばかりに、紙袋を抱きしめて立ち尽くす閑谷を流し見て伝える。


「そうだ鮮加。雫井さんから昨日、完成したCMの映像を貰ったけどみるか?」

「えぇ……ああ……いや、吉永がいるなら後でいいよ。折角の休みだからファンレターにも目を通したいし——」

「——どうせしばらくしたらテレビでも流れるんだろ? それなら恥ずかしがらなくてもいいのに」

「ち、違うよっ! 別に恥ずかしいとか、吉永がいるからとか、そんなんじゃない……」

「……ああ、まあそうだな。一人で観たいこともあるしな——」


 どこか親目線のような瞳で田池さんはいじけた閑谷を眺める。それはまるで愛娘の成長を再確認した父親のようだとオレは感じる。正確には叔父と姪の関係だけど、二人の親しさがひしひしと伝わってくる瞬間だった。


「——さて……と、年頃の小娘の気持ちも分からないクソジジイは、銭湯にでも行って疲れを癒やして来ますか……鮮加のこと、頼んだよ吉永くん」

「ああ……はい」

「鮮加、銭湯に行ってからにはなるけど、家に帰るときはすぐに言いなさい。今日は俺が車で送るから。ほら、あんまり遅いと姉さ……お母さんがうるさいだろうしね。こっちが叱られちまうしなー……なんて」

「……分かってるよ」


 唇を尖らせて不満気な閑谷に苦笑しながら田池さんは困ったように、後頭部を右手で支え小部屋を後にする。きっとこのあとに銭湯へと向かうんだろう。


「……違うからね」

「うん……」


 それだけ言い残して閑谷は紙袋を抱えたまま再びファンレターを読んでいく。オレはどうするわけでもなく、用意してもらったリンゴジュースをスローペースで飲み進めるだけだった。


 結局閑谷がオレを呼んだ理由は分からずじまいで、それを訊ねる機会も失う。でもこうして、この田池探偵事務所に招かれるのも、紹介してくれたのも、学校外では一緒にすることが多いのも全部、閑谷のおかげ。


 オレは不意に、そんな奇縁を結んだキッカケを思い返す。それはまだ閑谷がタレント探偵ではなく、密かに美人だと噂されていただけの一般の高校生だった頃、大体二、三ヶ月くらい。クラスで顔見知り程度のオレを助けてくれたときの優しく温かい出来事。

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