第30話 甘美とファンレター③

 紙袋の中から丁重に手紙を一通取り出した閑谷は瞬く間に小椅子に座り、牡丹の花のような姿勢で目を通す。デジタル化したご時世だというのに、タレントへのファンレターは未だ顕在なんだと奥隣でまざまざと見せ付けられる。一体その手紙には、なんと書かれているんだろうか。オレの場所からだと拝見出来ない、これは閑谷だけの対話だ。


 しかも閑谷はSNSでのマメな投稿まで行なっていて、交流手段に抜かりはなく、遠距離のファンとも接しようとする。タレントとしての意識なのか、それともただの性分なのかは言うまでもないと思う。


「吉永くん?」

「ああはいっ、なんですか田池さん?」


 小部屋の入り口に田池さんが顔を覗かせる。ただ、閑谷がファンレターを黙読しているのに気付いたのか、オレを呼ぶ声がみるみる小さくなっていく。


「飲み物なにがいいか訊ねるのを忘れてたから。麦茶に緑茶、コーヒーに牛乳、頂き物のリンゴジュースもあるけどどうする?」

「あー……それなら、今日はリンゴジュースにしましょうかね」

「なるほど……了解。鮮加はいつものコーヒーでいいかな?」

「えっ? ああうん、お願い」


 まるで家にいるようなテンションで、閑谷は応える。ちょっとこんな姿は物珍しい。


「ふっ……鮮加が喜ぶ御茶請けも一緒に持ってくるから、少し待ってなさい」

「はーい」


 愛想の良い笑みと共にそう言うと、田池さんはキッチンスペースへと戻っていく。フランクな返事だけした閑谷はもう手紙に目線が移っている。さて、オレはなにをする予定もないしどうしようか。


 雫井プロダクションを経由して送られたのはファンレターいっぱいの紙袋だけじゃなくて、別に長方形の小包が詰められたものもある。いや、ひとえに長方形といえどサイズや色合いにバラつきがあって、銘柄も記されているがよく分からない。知りたいなら一つ一つインターネットなどで調べないといけないだろう。


 なんとなくお土産のたぐいかなという予想が立つが、少し不可解な点もある。こちらも色が異なる二つの紙袋に入っているんだけど、明らかに詰めている量が異なる。


 それだけなら配分を間違えたとか、形状の似たものをまとめたとか考えられるけれど、どうにもそういう訳でもないらしい。だからこその違和感だ。


 もし危険物と分別したとかなら雫井プロダクションで弾かれていないとだから、前提としてあり得ない。正直オレがこんな入れ方で紙袋を二つ手渡されたら、絶対にいくつか片方に移す、そのくらいおかしなバランスになってる。


 閑谷か田池さんのどちらかに訊けばすぐに解るとは思うが、あいにく二人とも所用があるみたいだから、暇つぶしにこのことを考えるのはもう辞めておこうか。不必要な好奇は気が散るだけだ。


「……探偵の邪魔はできないしな」


 それは本物とタレント、二つの意味を込めてだ。そもそもこうしてタレント探偵が生まれたのも、田池探偵事務所が関与したおかげでもある。


 閑谷が雫井プロダクションからスカウトを受けたとき、最初は自重しようかどうか悩んでいたみたいだった。


 けれどいわゆる【愛凛の一枚】が世間に伝播し、彼女の一挙手一投足がまるでインフルエンサーのような影響力を持ってしまった状況が、オファーを受理して正式な芸能人になることとあまり大差がなかったのに加え、寧ろ事務所の保護があった方が安心なんじゃないかと、タレントになることへ前向きになっていったらしい。


 しかし芸能事務所といえど千差万別。もしものことも考慮してか閑谷の家族が所属する前に、雫井プロダクションが信用に値する芸能事務所か否かの調査を、閑谷の母親の弟である田池さん……田池探偵事務所に依頼したという訳だ。


 まだ新進気鋭の芸能事務所だけど、大手のアマガミエンターテインメントとの関係性があること。雫井さんが元アマガミのマネージャーで、これは後付けの情報だけど朱里さんを含め著名な芸能人を多数請け負い、高い評判を得ていたこと。


 その他の身辺調査や契約条項の把握やタレントへのサポート環境などを経て、雫井さん及び雫井プロダクションは、閑谷が所属しても問題ないという結論を導き出した。


 ただ叔父としての姪っ子の可愛さからか、田池さんはそれだけじゃ飽き足らず、何故か雫井さんと直接会談する場所を設けた上に、密かに調査していたことまでも告げる。


 もう探偵どころかエージェントの役割のような気がするけど、逆にこの行動が奏功したみたいで、雫井さんからしたら親戚とはいえ探偵を雇ってまで調査されてなお、閑谷が所属を決めたことが嬉しかったらしい。


 あと告げられるまで全く勘付けもしなかった田池さんの調査能力を高く買い、妙案として閑谷を含めた雫井プロダクションの所属タレントへの追跡行為などの危害が波及しそうな場合において、依頼をお願いする取り決めになったという。


 芸能事務所がお得意さんとなり、もちろん相応の報酬も支払われることに付随して、合理的に閑谷を見守ることも出来るので田池探偵事務所側にかなり利点があり、雫井プロダクションとしては所属タレントの親戚が勤めている探偵に調査を任せられるので、まず依頼先の相手を懐疑的な目で見る必要が薄くなるなどの様々な安全性を高められる。つまりウィンウィンというヤツだ。


 業種こそ異なるが双方事務所の利害が一致し、今後の蜜月な関係性の示す一環として、田池探偵事務所が閑谷のタレント探偵の監修としても携わることにも合意がなされた。


 そして今のところ完全な部外者のオレが何故閑谷と一緒に居るのかというと……端的に表すなら、オレはこの田池探偵事務所を閑谷から紹介され、書類上はアルバイトのような扱いで時折通っているという訳だ。


 どうして閑谷がオレを親戚の探偵事務所に薦めたのかは彼女のみぞ知る。でもそのおかげというか、巻き込まれたというか……いやもうそんなのはどうでもいいんだけど、雫井プロダクションの助言もあって、オレもタレント探偵の補佐的な役割と、同じ高校とクラスなのでお目付け役も担うことになる。


 こうするといつかの朱里さんが言っていた、タレント探偵は二人いるというのは適当ではないけど完全な間違いでもない。なんにせよ。高校一年生の前期の段階で、オレのくだらないだけの人生を揺さぶる閑谷に翻弄されるのは、悪い気はしない。


「吉永?」

「し、閑谷……なに?」

「なにじゃないよ。なんでずっとその紙袋を凝視してるの?」

「いやなんか、やることがなくてな」


 オレがぼんやりと耽っているうちにファンレターを眺めていたはずの閑谷が封筒に戻してから立ち上がり、首を傾げて問いかけながらこちらに接近して来ている。


 閑谷が視線の後を追い、紙袋を覗く。

 オレは気圧されるように後退りする。

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