第22話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑲

 他人の過去に触れるのは野暮でしかない。特に際立ったエピソードも持たないオレだって、そんなことをされるのは嫌だ。それを十二分に承知の上で、白砂 朱里と里野さんの接点を探る……既におおよその見当が付いていたから、この情報化社会で手間取ることはなかったが、口惜しい。


「お二人の関係はモデルとスタッフ、しかも会社が異なるから無条件で庇う親しさは無い、確かにそうだと思います……それだけなら、ですけどね。そこで白砂 朱里さん、貴女の過去を調べました」

「過去……?」

「はい。元々は子役としてデビューしたこと、結果を残せなかったこと、前事務所と劇団の両方を辞め、その後に中学生の頃にSNSで有名になり、オーディションを経てアマガミエンターテインメント所属のモデルタレントとして正式に芸能界へ復帰。すぐにティーンズ誌の専属モデルに決まり、SNSでの人気も引っ提げたことにより瞬く間に一般知名度を獲得、カリスマモデルの地位を確立していく……まだ二十歳なのが不思議なくらい激動な物語だと思います」

「大体合ってる、けど……御託を並べる必要は無いしいらないわ。それで、その私の過去が桜子と何の関係があるのよ?」


 相変わらず伸び切った背筋のまま、淡々と人格を品定めするように訊ねてくる。お望み通り二人の関係をすぐに提示しても良いけれど、残念ながらオレは閑谷と違って平和的な解決ばかりを好んでいない。

 どんな感情論が渦巻いていたのであれ、雑に疑惑の矛先を向けて来た白砂 朱里への苛立ちが少なからずある。あやふやに見て見ぬ振りをするほど、お人好しじゃない。


「その前に貴女へ質問……いや、詰問になるかもしれませんがいいですか?」

「なによ、物騒な言い方ね」

「はは……そうですね——」


 その通り、言われてみれば物騒だ。オレの苦笑いが気に入らないのか、僅かに双眸を細めていてどう捉えていいか悩ましい。


「——貴女のこの撮影に呼んだ人選を、教えて貰っても?」

「……大体分かることでしょ、まあいいけど。現役、元を問わずモデルの子、雑誌の企画も請け負うアパレル店員の子、昔撮影をご一緒したスタッフの方々にも頼んだわ。これは私の写真集の撮影だから、全員交流のある人たちを選んだ。それがなにか——」


 これはきっと無意識だろう。

 要素を一つ排除して答えている。

 まだオレの予測範囲ではあるけど、里野さんとの関連ある単語だけを言わなかった。


「——今、閑谷に言った内容を一つ隠しましたね?」

「えっ?」


 白砂 朱里はまだ気付いていないみたいだ。だけど事前に伝えていたせいもあって、隣で佇む閑谷もその隠蔽には違和感が過ったらしく、唇を少し開いて眺め見る。


「オーディションで凌ぎを削った人は、一体どこにいったんですか?」

「……それは」


 白砂 朱里は現場で誇らしく語っていた。

 そのときは彼女のことをまるで知らなかったから、芸能界で数いる競争相手を何人か指したものだと先入観で感じていたけど、インターネットでは情報が不確かな子役時代を除き、大規模なオーディションに挑んだのはただの一つだけ。


「これは貴女が受けた、恐らく唯一のオーディションの話ですよ。まさか忘れていたなんてことはないですよね……里野さんも——」


 そう告げながらオレは自らのスマホを取り出し、予め検索しホームページを開いていた画面をまざまざと提示する。


 それは当時中学生の白砂 朱里がスポットライトを浴び、ティアラを戴冠し、トロフィーを受け取り、メダルを首掛け、グランプリの賞金額と副賞に協賛会社のブランド財布贈呈と記された長方形の薄板を掲げ、カメラの前であどけない微笑を浮かべた写真。


 後方には薄暗くはあるけど、最終候補に残った人達が複雑な表情をして褒め称えている姿が、どうしてか胸が痛い。その写真をスクロールすると、グランプリに対するコメントと、最終候補者の名前と年齢と一言が伏せて掲載されている。


 そこにある簡素な一文をピックアップ。最終候補一人ずつのコメントが掲載されている部分の一節をズーム機能で拡大させ、文字を見やすくする。

『年齢的に最初で最後のオーディション、残念ながら私には向いていなかったのかもしれません。 根室ねむろ 桜子さくらこ(20)』


「これは、里野さんのことですよね?」

「……」


 白砂 朱里は何も答えなかった。絶句と表現しても良いだろう。だけどそれはオレに図星を突かれたからというよりも、里野さんの旧姓と思しき根室ねむろ 桜子さくらこかすかに映る写真と、不向きだというコメントを反芻して言葉を失っているような気がした。


「……やっぱり、そこまで分かっちゃってたか。じゃないと追いかけて来られないよね」

「認めるんですね、里野さん……」


 観念したと、代わりに里野さんが頷く。


「……ええ、根室は私の父方の姓。両親が離婚してからは母方の里野を名乗っているけど、間違いなく私です……ははっ、なんか恥ずかしいですね……こうして改まって昔のことを話す機会もなかったので——」

「——それがなんだっていうのっ!」


 恥じらいを誤魔化すように左頬を指先でなぞっていた里野さんを遮るように、白砂 朱里が起立すると、前回よりも凄んだ剣幕でオレに詰め寄らんとする。


「朱里さんっ! ダメです無理は——」

「——桜子と私が同じオーディションを受けていたからって、なんになるのっ! 所詮それだけの関係でしょ、守る道理がないことには変わりないわっ」


 きっと立ち上がった瞬間、怪我のことなんて忘れていたんだろう。だからそんな苦悶な表情を覗かせまでも、堪えて拒絶の台詞を吐く理由。


 どうしてここまでするのか。

 それだけの関係と言うのは、その通りだ。

 だけどさっきから、白砂 朱里は里野さんのことを守ってばかりな気がする。今だってそうだ、追求をやめないオレから里野さんだけを庇う。


「……普通はそうです。でも貴女はオーディションで凌ぎを削ったと誇らしく言っていたし、関連とはいえ別会社の雫井プロダクションから里野さんをスタジオに呼びました……同日に雫井プロダクションのタレントである閑谷のCM撮影があるというのに、です」


 いくら提携関係があるとはいえ、直属のタレントが同日に同じビルで撮影しているのにも関わらず、別事務所の白砂 朱里の現場に帯同している時点でおかしいと思うべきだった。

 

 あれだけの仲間を集めていることから明らかに人数が足りていないなんて理由じゃないし、雫井さんは里野さんが別現場に赴くことを認めている。少なくともそれだけの関係が二人の間にあると察せる。つまり、モデルとスタッフだけじゃない仲がどこかに存在すると判る。


「……いやっ——」

「——そしてそれが認められたということは、雫井さんもお二人の事情を知っているのでしょう。オレは当事者じゃないから、全て推測でしかありません。ですがこれだけの関連性を加味すると、貴女にとって里野さんは庇うに値する存在、ということにはなりませんかね?」


 正直スマホで検索した情報と現場状況だけでは、もっと高圧的な論理展開を図っていたと思う。里野さんが白砂 朱里に対して犯したことだって、推理に過ぎなかったはずだから。真相を明らかにするためのプレッシャーを掛ける必要があった。


 でも怪我を押してまでスタジオから里野さんを追い掛けた白砂 朱里を尾け、行動や議論姿勢から、ただの推理が確信に変化する。

 閑谷みたいに要領を得ていないし、たくみな話術も無く舌鋒を無闇に振るうだけだったけど、ようやく最終局面を迎えられる。

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