第19話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑯

 その気になればいつでも彼女に追い付くことが叶っていた。だけど敢えて忍び足で尾行することを選択したのは、彼女らの本音を垣間見てからだとオレと閑谷は判断した。


 撮影スタジオと同フロアだけど、真反対に位置する細長い通路。どうやらここには所属タレントの控え室が用意されているらしい。

 白砂 朱里はもちろんのこと、閑谷の名前までも堂々と表記されているのに面食らいつつ、タレントなんだから当然の扱いだと改めつつという複雑な感情が入り乱れる真っ只中、二人が遂にお互いのパーソナルエリアに踏み込み合う。


「ちょっと、待ちなさいっ!」

「……どうしたの、二人のとき話しかけて来るなんて、いつ以来かな?」


 話を盗み聴いたところ、どうやら久々の言葉の交わし合いだというのにどちらも喜んでいる様子は無く、寧ろ狩猟と害獣のような関係に似ている。まさにたった一人を狙い撃たんとする者と、撃つかどうかも分からない銃口に怯える者。オレにはそう映る。


「そんなことどうでもいい。正直に言いなさい……貴女、私に隠していることがあるでしょ。それを今すぐ白状しなさい」

「隠し事なんて……二十五年も生きていればいくつもあるから、どれのことを指しているのか言って欲しいな」

「……ない、とは言わないのね」


 親しみの仲間に震える刃物を構えるような、儚い会話。彼女たちの年齢、立場、接点、どれもここまでの噛み合わせは有り得ないような平等さ。一応オレと閑谷はこの二人の関係性を洗っていて知ってはいるけど、割って入る勇気がまだ湧かない。まるで不可侵の領域みたいに感じてしまう。

 念のため通路の角にしゃがんでいる閑谷とアイコンタクトを取ったが、まだだよと、かぶりを振っている。どうやら同感らしい。


「なんだ、否定して欲しかったんだ?」

「……違う。私は誰にも口外するつもりはないから、貴女がやったことを素直に喋りなさいって言ってるの」

「あはは……そんなの誰が信じると思ってるの? 大体その証拠はあるのかな?」

「あるわ、そこに」


 そう言うと、その鋭利な指先は小道具を収納するウエストポーチへと突き刺す。


「な、なんで……どうして——」

「——見てたからに決まってるでしょ! なんでは、こっちの台詞よ……なにもあのやり方じゃなくても、あのタイミングじゃなくても良いじゃない……もっと正々堂々と、私を恨んでいるのならそう示せば良かった、私の要請を拒絶すれば良かった……——」


 どうして面と向かって来なかったんだと胸元を叩くと、彼女の肺の空洞から反響し、細通路にこだまする。それは虚無な痛傷。言われた方は精神的に痛み、言った方は物理的に傷む。


「——このたった数年で、貴女がそこまで性根が捻じ曲がってるなんて、思いもしなかったわ……」

「……たった数年? はは……随分と長かった気がするよ……ここに来るまで」


 生ける年月にも、体感により解釈が異なる。この二人はどんな内幕を折り重ね、これまでの人生を歩んで来たんだろう。


「とぼけないで。さあ今すぐ差し出しなさい……まあおおよそなにか、見当は付いているけどね」

「そこまで言うなら……私から力尽くで奪ってみなよ、若いんだし出来るでしょ?」

「そうしたいのは山々なんだけどね……生憎この足じゃ、難しいのよ……」

「うん、知ってる。だから——」


 拍子抜けするくらいあっさりと事実を認めた慈しみの顔付きは、青縁の眼鏡越しの視界を通して、壁角から覗くオレとかち合う。


「——そこに居る二人に、手伝って貰ったら良いよ」

「えっ……」


 それは即ち、数秒後に閑谷ともそうなることと同義なんだが、生気を放出する気力も無く肩を落とし、なにもかも諦観したと憂げなのに、残余の気品が憐憫さを掻き立てる。何故だか目が離せそうに無い。


 最初からそこまで隠し通すつもりがオレと閑谷には無かったとはいえ、とっくの昔に勘付いてはいたようだ。半ば控え室の近辺まで誘導したともいえるだろう。

 ここには滅多に人が寄らないみたいだし、実際閑谷は荷物を置くことにすら使用しておらず、利便性に乏しいのだと想像がつく。


 それでいてもう、オレたちが大まかな真相に辿り着いた上で尾行してきたまでも知っていると、先程よりも褪せた表情が物語っており、容易に汲み取ることが出来る。

 わざわざ若さを引き合いに出したのも、主な起因に対する皮肉がふんだんに込められているせいかもしれない。本当にそれは、全くもって笑えない自嘲でしかない。


「あ、鮮加……吉永君……」

「やっぱり朱里、気付いてなかったんだ……まあ足首の怪我で、普通に歩くのにも集中力が散漫しているだろうし仕方ないかな? まずは……このまま患部が悪化してもまずいし、どこか座って話せるところに行こうか……閑谷さんと吉永君も、是非」


 そんな苦悶を押し殺したような優しい声に、オレと閑谷は素直に頷き、立ち上がって応える。そこには内壁に右肩を寄り掛かりつつ振り返る白砂 朱里と、取り繕って煽るのにも疲れたと嘆息を吐く、里野さんが佇む。

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